平成11年度  新潟県教育研究集会

第3分科会  社会科教育
【分科会の研究視点】 
 《社会事象を主体的に学習し、自分の問題としてとらえ、考えを深めていく子どもを育てるにはどうすればそだよいか。》

総合的な学習』の中に郷土の歴史学習を取り入れる一考察
     〜塩津潟の新田開発の歩み〜

期日  平成11年11月12日(金)〜13日(土)
会場  長岡市

【研究内容の要旨】

  1. 地域教材を開発する視点について
  2. 古絵図による「塩津潟」の立証について
  3. 塩津潟の新田開発の歩みについて
  4. 新発田藩による塩津潟の新田開発について
  5. 新潟県の歴史の見直しについて〔実践例〕

1 地域教材を開発する視点

 『総合的な学習の時間』が、平成14年度から全国一斉に実施される。その移行措置として、平成12年度から全国どこの小学校・中学校でも実施されることになる。
 『総合的な学習の時間』の学習内容の一つに「郷土の歴史学習」を取り入れるべきと考えている。
 私は、長年の研究と多くの試行錯誤による研究実践から、【地域素材を教材として開発する視点】を次ぎのように考えている。

《教材を開発する視点》

1. 地域素材をあらゆる角度から十分に調査・研究できるものであること。
2. 教師自身が興味と関心をもって楽しめるものであること。
3. 教材が史実に基づいた歴史的価値のあるものであること。
4. それらの各教材が密接な関連性を持っていること。
5. 郷土の歴史に精通した研究者が多くいること。
6. 学習の課題が次々と発展できる内容を包含していること。
7. 児童生徒が楽しみながら取り組める内容であること。

 上記の考え方は、新潟日報「NIE」(平成9年11月25日付)の新聞紙上で既に取り上げられている。

地域教材を開発する視点
-地名の考察を通して-
先人の足跡「塩津潟」  郷土の歴史、正しく学ぶ
 「資料1」が、その主な内容である。

【塩津潟の新田開発に関する教育実践及び講演会等】

1 「塩津潟の変遷」 ・平成7年度  中条町教育委員会(講演会)
2 「甦る塩津潟」 ・平成7年度  中条町教育委員会(講演会)
3 「豊浦町と塩津潟のつながり」 ・平成7年度  豊浦町教育委員会(講演会)
4 「甦れ、都岐沙羅柵」 ・平成8年度  中条町教育委員会(講演会)
5 「塩の津・塩津潟の復活」   ・平成8年度  中条町教育委員会(講演会)
6 「郷土の歴史」を放送 ・平成9年度  エフエムしばたで放送(4回)
7 「いきいきスクールの講演会」  ・平成10年度  中条中学校
8 「ミニック」1年間連載  ・平成10年度  新潟日報社
9 「塩津潟の新田開発」  ・平成10年度  竹嶋小学校4年生
10 「塩の津・塩津潟の復活」 ・平成11年度  加治川村教育委員会(講演会)
11 「塩津潟の由来」のホームページの充実    ・平成11年度  インターネット(約55ページ)
12 「“塩の津”の比定地は塩津」 ・平成11年度  中条町教育委員会(講演会)
13 「昔さがしクラブ」  ・平成7年度  竹島小学校4〜6年生
14 「おくやまのしょう」の執筆  ・平成11年度  中条町郷土研究誌
15 各種「機関紙」に執筆多数  ・平成7年度〜
16 「塩津潟が教材にできた要因」 ・平成13年度 朝日村教育研究協議会(講演会)
17 「中世の塩津潟が復活」 ・平成13年度水澤化学中条工場職制会の記念講演
18 「塩津潟」は中条町の宝物 ・平成14年中条ロータリークラブ例会
19 「塩津潟」に関する資料の謹呈について ・平成14年8月22日
20 塩津潟が新発田市に与える価値 ・平成14年8月22日新発田市郷土史会講演資料

2 古絵図による「塩津潟」の立証

「塩津潟」が正しい本当の潟名である。
その為には、紫雲寺潟ではないということを立証しなければならない。「塩の津・塩津潟の復活」させる為に、古文書や古絵図で立証できると確信している。
「塩津潟」が正しいと立証できる古絵図を探すことから始めた。探した場所は、各大学の研究室、および大学の図書館、国立国会図書館、内閣文庫、国立歴史民族博物館、各県立図書館、市町村役場等々考えられるありとあらゆるところへ行ってきた。
その結果「塩津潟」に結びつく古絵図や古文書を探し当てることができた。「しうつ」「シホツ」「塩津潟」「塩津」と明記してあったものを次ぎに列記する。

◎康平の絵図 康平3年  1060年・939年前の絵図
◎高井道円時茂譲状案 健治3年  1277年・722年前 (中条町文化財)
◎正保二年越後絵図 正保2年  1645年・345年前の絵図  (新潟県・新発田市文化財)
◎元禄十三年越後国蒲原郡岩船郡絵図 元禄13年  1700年・299年前の絵図・綱吉の幕命による
◎日本輿地図 宝暦6年  1756年
◎新刻日本輿地路程全図 安永8年  1779年
◎増修定本新刻日本輿地路程全図 寛政3年  1791年
◎諸街折絵図  文政4年  1821年
◎越後国絵図(下) 文政5年  1822年
◎国郡全図 天保8年  1837年
◎日本全図 寛永5年  1852年
◎大日本海陸全図 文久3年  1863年
◎明治道中大絵図 明治12年 1879年


このように、私が、調査した古文書や古絵図の中に「塩津潟」及び「シホツ」と明記してあるものが13編にもおよんだのである。

《古絵図を探した場所》

◎国立公文書館  ◎新発田市立図書館
◎国立国会図書館        ◎国立民俗歴史博物館
◎各県立図書館 ◎東京大学
◎国学院大學 ◎各県立博物館
◎明治大学  ◎各種資料館
◎玉川大学 ◎篤農家
◎茨城大学 等々


ちなみに、「紫雲寺潟」と記載してあるものは、次ぎの2編だけである。

●寛治の絵図       寛治3年  1089年
●享保の絵図 享保6年  1721年


上記のように、「塩津潟」と記述してある絵図が国立公文書館に圧倒的に多いことが分かる。

塩津潟の新田開発の歩み

※『塩津潟の新田開発』に改訂した場合の学習内容

 先人が「新田開発」することによって、稲作の収量を多くして自分たちの生活を豊かにしようとした工夫や努力を、調べながら学習を進めた方がより現代の教育内容と教育方法に合っている。

(1) 胎内川がたびたび洪水を引き起こし、農作物に大きな被害を及ぼしたこと。
(2) 「新田開発」によって耕地を広げたり、耕地や水路を改良したりして、農作物の収穫量を多くすることができたこと。
(3) 「新田開発」は、先人の工夫と努力によってできあがったことを「胎内川沿岸土地改良区史」「落堀川沿岸史」「各市町村史」等で調べることができること。

  例えば、下記のような学習内容が考えられる。

・胎内川の洪水によって農民が苦しんだ歴史
・胎内川等の瀬替事業や加治川等の瀬替事業
・胎内川筋の堀割り及び開墾の嘆願
・胎内川治水ダム等の建設
・一の堰・三の堰・塩津堰等の建設
・地区の区画整理事業
・暗渠排水の事業
・大江用水等の開設
・新発田藩の干拓等(落堀川を掘る工事)
・竹前さんや宮川さんたちの干拓
・落堀川の拡幅工事
・用水路・排水路の整備及び改修工事
・頭首口の建設
・水害予防組合・胎内水利組合等の取り組み
・胎内川沿岸土地改良区の設立
・県営事業への請願  などなど
『総合的な学習』の中に
  郷土の歴史学習を!!

  「塩津潟を新田に開発し美田化する」ために、私たちの先人はそれぞれの時代にいろいろな工夫や努力をしてきたことを知ることができる。
また、そのことによって農作物の収穫量を増加させ、大型機械で農作業ができるようにしてきた先人のたゆみない工夫と努力を、子供たちなりに理解することができる。
 黒川村や中条町の江戸時代から現代までの上記のような歴史を通しながら、史実に基づいた学習をすることができると考えている。

4 新発田藩による塩津潟の新田開発

 この内容については、平成9年度の第47次新潟県教育研究集会の時に発表してあるので、ここでは省略する。

5 新潟の歴史の見直し〔実践例〕

 塩津潟の由来について

 黒川村元教育長 片野徳蔵様

 1994年10月14日・新発田市カルチャーセンター