平成10年11月11日
中条町立中条中学校『いきいきスクール事業』講話資料
「塩の道」は阿賀北地方が本場

中条町立竹嶋小学校
塩津潟研究家 伊藤 國夫

1 はじめに



2 「しうつ」という名称[中条町の文化財指定]   『高井道円譲状案』

  (塩津)



3  「コノ処土塩アリ」 [黒川村の文化財指定]   『越後輿地全図』



4  「塩津潟」         [新発田市の文化財指定]  『越後絵図』 ⇒ 江戸幕府の命令

            [新潟県の文化財指定]    『越後絵図』



5 塩津潟の由来

   ◎新潟県史

   ◎各市町村史

   ◎大木金平先生

   ◎池田雨工先生



6 古絵図における塩津潟

   ◎正保 2年「越後絵図」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・西暦1645年

   ◎元禄13年「越後國蒲原郡岩船郡絵図」・・・・・・西暦1700年

   ◎宝暦 6年「越後輿地図」・・・・・・・・・・・・・・・・・西暦1756年



7 塩津潟が紫雲寺潟といわれている理由



8 塩津潟が正式名で呼ばれなかった理由



9 黒川村に「塩」が産出した立証



10 新発田藩による塩津潟の干拓



11 奥山荘と塩津潟



12 縄文時代の塩津潟周辺の様子



13 大和朝廷の3つの城柵の創置



14 胎内川・荒川・阿賀野川の内陸水上交通  [塩津潟と福島潟との連携]



15 阿賀北地方の中世の研究の状況 



16 越後の塩の道



17 「塩の道」の伝承



18 専売公社制度による規制緩和 (塩)



19 塩津潟を囲む各市町村の地域おこし



20 おわりに