水澤化学中条工場職制会の記念講演         平成13年6月29日

会場  水澤化学中条工場第一会議室  塩津潟研究家   伊藤 國夫

中世の塩津潟が復活



講演の録音(抜粋)はこちら

1 はじめに 
  《水澤化学中条工場と私のかかわり》

 ・柴橋小学校の5年生の時    
          ・・・・社会科学習の工場見学
 ・中条高校3年生の時       
          ・・・・就職
 ・新発田市立外ヶ輪小学校の時 
          ・・・・地層の現場学習(6年生の学習)
 ・中条町立竹島小学校の時    
          ・・・・地層の現場学習(6年生の学習)
 ・多くの方々のご好意                
          ・・・・佐藤氏、渋谷氏、篠田氏、高橋氏、石山氏 等

2 中条町の歴史の三つの幻(新潟県の歴史見直し) ∽古絵図が語る歴史の真実∽

 (1)都岐沙羅柵  ・・・・◎各種の論文を執筆済み
                  ・都岐沙羅柵比定地の確認
                  ・旧築地村の村歌  ―  芳賀矢一博士の作詞
                  ・新発田市五十公野の古四王神社
 (2)塩津潟      ・・・・現在復活して教材化に成功⇒◎新潟県の動向
 (3)塩の津      ・・・・蔵の坪遺蹟に「津」の墨書土器出土(立証の遺物)

3 古絵図における塩津潟の立証 〔中世の塩津→中条町の高井道円の文化財〕

 (1) 正保2年 「越後絵図」                  西暦1645年
 (2) 元禄13年 「越後国蒲原郡岩船郡絵図」    西暦1700年
 (3) 宝暦6年 「越後輿地図」                西暦1756年

4 塩津潟が正式名で呼ばれるようになった理由 ⇔項目8
               【伊藤の研究執念】→◎40年来のこだわり

 (1) 『塩津潟』の研究が、学者の関心が高まってきた。
 (2) 学者と行政との連携が強まった。
 (3) 『塩津潟』の研究者が、各大学関係者と連携ができた。
 (4) 各市町村の横の連携が頻繁になってきた。
 (5) 各市町村が『塩津潟』を正式潟名であると明確な態度を取ってきた。
 (6) 関係する地域住民がしっかりと認識してきた。
 (7) 福島潟の「お副伝説」が正しく理解されてきた。
 (8) 竹前氏たちが、幕府への干拓願いを新発田藩を抜きに進めたことが判明した。
 (9) 『塩津潟』を「紫雲寺潟」と呼んでいる不自然さに気づいてきた。
 (10) 『塩津潟』の正式潟名に訂正する手順・手続きが分かってきた。
 (11) 『塩津潟』の正式潟名に訂正しようとする意識が行政側に出てきた。
 (12) 新聞やテレビ等のマスコミが多く取り上げてくれた。  等々

5 「塩津潟」を学習した実践例 ・・・・ ◎ 地域教材を開発する視点 

  (1) 新発田市立住吉小学校の事例
 (2) 新発田市立外ケ輪小学校の事例
  (3) 新発田市立車野小学校の事例
 (4)  中条町立中条小学校 の事例
 (5)  中条町立竹島小学校 の事例
新潟県教育研究集会で発表
 「総合適な学習の中に歴史学習を取り入れる―考察」
    〜塩津潟の新発田発の歩み〜
 

6 塩津潟が定着してきた理由 ・・・・◎ 研究者の努力 ⇔項目7

・古絵図による立証
・古文書による立証 
学校の副読本として児童生徒に活用

7 社会科副読本の編集続出 ・・・・◎ 「総合的な学習」への発展 ⇔項目6

  ・中条町 ・黒川村 ・新発田市 ・豊栄市 ・その他

8「塩津潟」が紫雲寺潟といわれている理由 ⇔項目4

    (1)  「しうつ」=「しょおんづ(塩津)」と「しうんじ(紫雲寺)」が、一致→【言語学的にも立証】
    (2)  「塩津」の行政区が目まぐるしく変遷
    (3) 中条町の住民が、『塩津潟』を諦め
    (4) 紫雲寺潟は、古絵図に存在しない
    (5)  塩津潟と紫雲寺潟が同じ
    (6) 塩津潟を紫雲寺潟とも言う住民のいい加減な意識がある
    (7) 塩津潟と紫雲寺潟の2つの潟名に不自然さ
    (8)  「紫雲寺潟は、『塩津潟の転』だ」という事実
    (9)  「塩津」をよい意味の「紫雲寺」に変えたという説
  (10)「紫雲寺町」の町名由来を調べれば,紫雲寺という寺名である  等々

9 河川舟運の様子〔旅人からの立証〕

 ・イサベラ バード(イギリスの旅行家)
 ・松尾芭蕉
 ・地元の古老の話
 ・新発田市の日渡
 ・川船の船大工
 ・高僧の旅日記

10 越国の『塩の道』

 (1) 荒川ライン
 (2) 阿賀野川ライン
  (3) 60里ライン
 (4) 80里ライン
 (5) その他

11 越国の『塩の道』と各市町村の地域おこしの実態 ・・・・◎ 私の大きな夢

 ◎ 黒川村→中条町→加治川村→新発田市→聖籠町→新潟市→津川町→福島県へ
 ・  新発田市 ・・・・ 越後絵図の新潟県文化財指定
 ・  中条町   ・・・・ ふるさと中条、塩津潟記念公園の造成
 ・  津川町   ・・・・ 塩蔵等の活用、塩の道の復活
 ・  黒川村   ・・・・ 塩の産出の伝承、博物館への展示
 ・  関川村   ・・・・ 「道の駅」に塩の道の展示
 ・  山北町   ・・・・ 海塩の製塩
 ・  糸魚川市 ・・・・ 塩の道の体験

12 郷土史を伝承していくための今後の課題 ・・・・◎ 住民・教師・行政

 ・ 郷土の歴史を正しく学ぶ努力 ⇒ 郷土史の素材を教材化して副読本に編集 

                                  ◎・・・他市町村への伝播

13 おわりに 

・ NHKの「プロジェクトX」の放映事例 ◎ 付加価値の添加
◎ 新製品の開発
◎ 需要への予知・予見

《ホームページアドレス》

【塩津潟の由来】

http://www.inet-shibata.or.jp/~shionotsu/
《塩の津》
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