弘子のホームページ日記1 ホーム         

これは、私が、ホームページ立ち上げまでの、いろいろな失敗をつづった日記です。失敗は成功のもとと信じてやってきました。失敗のたびに、学ぶことがありました。ホームページ立ち上げに躊躇しているみなさん、40代の私でもできました。ぜひ、挑戦してみてください。

2000年
「おい、板山のホームページが作れないか。」
と、同級会から帰ってきた夫が言った。遠くから来た同級生に、
「板山から発信して欲しい。ふるさと板山情報が欲しい。」
と言われたという。
 板山とは、私たち家族が住んでいる地域のことである。新潟県新発田市板山。おいしいコシヒカリ、豊かな自然。牧場もある。
 夫は、前から地域作りに携わってきた。5月には、地域の祭り「ひめさゆりまつり」にたくさんの人たちが参加してくださった。集落以外の人たちも参加してくださった。
「その様子も入れたいなあ。」
でも、はたして、私にホームページなどできるのだろうか。
2001年5月
「女教師のためのインターネット初心者ML」の宇多先生から、「ホームページビルダーをインストールしよう」というメールが送られてきた。
 ホームページビルダー6は、購入済みだったのだが、まだインストールしていなかった。「いつかするぞ。」と見えるところにおいておくのだが、めんどうくさそうで、手がでなかった。宇多先生のホームぺージを見ながら、インストールする。結構、簡単にできる。
「なんだ。簡単じゃない。続きもやってみよう。」
ということで、これまた、前に買っておいた本を引っ張り出した。
 この本の第1章は、「サンプルを使ってホームページを作ってみよう。」というものだった。でも、いざやってみると、今ひとつよくわからない。今回は、インストールだけでやめることにした。
2001年6月
 今年の「ひめさゆりまつり」は、昨年以上に盛会だった。私は、新発田MLに入っている。MLで、祭りのことをお知らせしたら、それを見て、何人かの方たちが来てくださった。インターネットのすごさを感じた。そこでも、「ホームページ」を作ってといわれた。
2001年6月
 こんどこそやるぞ。ということで、プロバイダに、連絡の電話をした。
「ホームページを作りたいのですが。」
「どんな、アドレスにしたいのですか。」
「えーっと、決まってないのですが。」
「決まったら連絡してください。」
今日こそはと思って電話したのに、残念ながら、アドレスはもらえなかった。
 
アドレスをもらうときは、前もって、自分の欲しいアドレスを考えておいてから電話すること。多分、大きなプロバイダなら、そんなことはないのだろうが、地方のプロバイダでは、自分の欲しいアドレスがもらえる。
 帰ってきてから、夫と相談したら、
第1希望 itayama.-yumesayuri22
第2希望 yumesayuri22
が、いいという。長いなあと思ったが、それがいいという。電話よりも、メールの方が、しっかり伝わるように思い、メール連絡をした。
2001年6月
 なかなか連絡がこない。
 やっと、アドレスを知らせるメールが届く。が、思った通り、長い。
www.inet-shibata.or.jp/~yumesayuri22/
/前がプロバイダのもの。~以下が連絡した部分である。
 ここで、問題が一つ。板山のページはもちろんのこと、私の実践ページも作りたい。そこに、会社を経営している夫が、「会社のページも欲しいな。」横で、聞いていた娘が、「私も作りたい。」
 ちょっと待ってよ。私は、私のホームぺージに、夫の会社の人にアクセスされてもこまる。アドレスをもう一つもらわないといけないのか。でも、2つのアドレスにすると、プロバイダ料金がかかってくる。いろいろ考えたら、もういやになってきた。もう、やーめた。夏休みになったら、がんばろう。