事 故 報 告

ボクにとっては、旧津川、旧上川こちらの山域というのはあまり相性が良くよない。というか印象がよろしくない・・・・・


そもそもは、こうだ・・・・
この週末は、負傷者の相方と谷川にクライミングにいくつもりで準備していた。
この日のために、彼女はトレーニングを重ねてきたし、それをボクは近くで見ていて本当に上手くなってきていたことを知っている。

Wロープを練習したり、もしコールが効かない場合の、ロープの引きでの合図の確認まですべて終了してお天気待ちで
技術的に特に問題になるようなルートでないので、高度感さえ馴染めば、次のステップに進むための通過点の予定だった。
次のルートを終えたら、再び今回計画のルートをツルベあるいは全ピッチリードしてもらおうかな?と考えていた。

一応は、連れて行ってもらう人から、レベルは別にして自分のことは自分でできる独立したクライマーへ。という計画でいた。
無茶にレベルUPさせていることなく、手順を踏んでキチンと技術的な習得をしてきたし体力的にも十分にトレーニングを積んでいた。

ところが、現地の天気が悪天予報だったので、早々に中止延期を決めた。
相方が御前ヶ遊窟を提案。自分とすればあまり好きなエリアではなく、いや、どとらかと云えば嫌いなエリアだ。
なぜか?このエリアにはいい思い出がない。悪い印象がある。
・・・・ん〜といいつつ了解する。MH氏夫妻も前日に参加されることが決まった。

朝起きても何だかなァという
気がしていたことをよく記憶している。今思えばなにか身体がイヤイヤをしていたような気もする。
HM氏夫妻と合流し準備をして歩きだせば、そんな嫌な感覚も失せていく。
なんだ、良くあることか・・・・そんな思いも感じていた。

まあ、良くあることで、歩きだすまで何だか億劫な感じ・・・
いつもそうだけれど、歩きだすと忘れてしまうものだ。
この日も同じだけれど、時折ぐらつく大きな浮石に嫌な時期に来たもんだ・・・と思った。

さっさと登って早々に帰りたい気分のシジミ沢の登り。
そうして事故が発生した。


事故発生日時 
平成24年6月3日 午前10時50分頃

山行山域及び山名
会越国境 御前ヶ遊窟

登山形態 
一般登山(スラブ登り)

山行メンバー 
L=LTQ(下越山岳会)M
A・K(N山岳会)F
M・H(現在所属なし)M
M・H(N山岳会)F

負傷者 
A・K(N山岳会)

傷病名 
左足首(腓骨)開放骨折・脛骨の一部損傷

受傷部位 
左足首上部位

負傷原因 
シジミ沢出合いから20分前後(出合いから標高差で50m位:出合い付近が悪く高巻いたの
で時間がかかっている)登った場所の沢床に長さ6m前後、直径30pを越える丸太があ
り2ndを歩いていたM・H(F)が丸太にさしかかった前後に丸太が動き直近に位置して3rd
を歩いていたA・Kの左足を巻き込み沢の岩と丸太の間にA・Kの左足を巻き込んだもの。

丸太が動いた直接の原因については、トップのLTQは5m程上を登っており視認していな
い。LTQは、その丸太に触れていない。また足も乗せず通過したため状態について把握していない。
丸太の動いた直接的な原因は不明だが、いずれにしても不安定な状態であったことは想像できるが
6m前後の長い丸太であるため、安定している様に見えたが、事故後ヘリを待つ間に手で動かすとやや動きずり落ちた。
枝の節が腐らず飛び出ていたのでコロの様に作用したのかも知れない。

入山から事故処理までの概要  
平成24年6月3日(日)
07:10 津川の道の駅でM・H夫妻と落ち合い、登山口へ
08:25 駐車場発
08:55 ソウケイ新道分岐
10:15 シジミ沢出合い  雪不安定なため巻き道へ
    雪解けから間もないので、浮石も多くいやな感じがする登りだった。

        事故現場、わずか下の沢の様子



10:50 事故発生・・丸太から足を引き抜いた際、足がブラブラするので骨折は間違いな
く、ヘツリ道が続く悪路を背負い搬送はリスキーであることから、早々にヘリに
よる搬送を即決。役割はM・H夫妻が下山、LTQがA・Kに付き添うこととした。

                 事故現場


11:15
M・H夫妻救助要請のため下山開始。
LTQの見立てはMH氏ら12:30頃下山。
ヘリ到着13時頃が最速。それから、1時間位の間がヘリ到着の予測時刻と考え
れば、13時頃から14時前後までが想定時間。

骨折ではあるが、付近に副木とする適当な木が見当たらない。(丸物の棒は避け
たい)また、衛生的な布もない。そして、足首付近の骨折であることから靴を不
用意に脱がせることで状態の悪化、腫れによって再度靴が履けなくなることを考
えるとこのまま靴紐も緩ませないで安静を保つこととした。

時間があるので菓子を食べさせ、バファリンを服用、ツエルト、レスキュー
シートで包むが、本人は痛み、悪寒を訴えない。また、靴の内部に出血によるヌ
ルつき感も訴えないので、案外軽傷?そんなことも考える。
時折、症状と全身状態を尋ねる。


11:30
雨降り始める 12時頃より本降り・・・M・H夫妻の下山時間が遅れる可能性を考える。


12:30
この頃から沢水の増水を考え、移動をA・Kに提案するが受傷部位を動かすのが怖いのか、
ここで大丈夫という。
雨が激しいのでA・KはLTQの雨のしみ込むボロ合羽を見かねたのか、木陰に入って雨に
当たらないようにして欲しいと言う。少し高台にあるブナの下から様子を見ていた。


13:00
この頃M・H氏らが携帯電話の通じる場所(ワラビ園の下の集落まで降りて)で110
番通報により、救助要請。(後刻M・H氏より)
雨が本降りになって時間が経過し急激に増水してくる可能性が高まったので、移
動の際に、邪魔になる枝を折り、ナイフで細枝を切り通路を確保して少し離れた
樹の幹に2本スリングをかけて環付きカラビナとロープ準備。待機場所とする場
所の邪魔な枝を処理して増水に備えた。


13:30
この頃、視界は落ちないものの雨が強くヘリが来ない可能性が高いと考え始める。
降雨のためシジミ沢が増水、地形的にも増水しやすくA・Kの位置が水没の可能性
がでてきた、ロープをFIXして手がかりにして背負い数メートル上へ強引に上が
り、ツエルトを細引きで張り直し、降雨のため今日のヘリ搬送不可の可能性も考
え始め、16時を超え雨が止まない場合はビバーク以外選択がなくなるか?
天候回復を願うのみ。15時になったらビバーク位置の再考を含め、ビバークの準
備を始めることを内心固めた・・・月曜日急ぎの仕事あったかな?等と考え始め
る。

         新潟県警ヘリ『こしかぜ』


14:17
ヘリの爆音・・・・レスキューシートを大きく振り要救助者位置をアピール。
ヘリは新潟県警の「こしかぜ」直ぐに発見できた様で一度近くまで来てから
尾根の裏に旋回して行った。
大急ぎでツエルト、レスキューシート、食料品等飛散の可能性のあるものをザックに
乱暴に突っこみ入れヘリの進入を待つ。

通常、救助ヘリは、要救助者のみをピックアップするので、ヌカるむヘツリ道をダブルザックで
下山するのも楽ではないと内心思いつつ、雨で増水する沢を下り悪いヘツリ道を単独で
下山することになるLTQを心配するA・Kに、岩山で集水面積が狭く増水も早いが減水も早い。
日没まで時間は十分にあるから必ず今日中に下山して連絡する・・・
とヘリの爆音と猛烈な風が吹き付ける中、大声で伝える。


14:23 ヘリから航空隊員がホイストで下降してきた。隊員が、「2名とも搬送する。
最初に、荷物、次にLTQ、最後に隊員とA・Kを吊り上げる」と言う。
ほどなく、ザック、LTQ、A・Kの順に「こしかぜ」機内に収容された。


          ヘリで搬送される途中で撮影



時間不詳 
津川の河川敷のヘリポートに降りる。救急隊員がA・Kの靴を脱がせると出血がありソックス、靴内部に血痕がある。
踝付近に穴がありそこから出血していた。
開放骨折なのか?単純な外傷なのか判然としない。


15:10 
A・K、救急車で西新潟中央病院へ搬送 LTQ、津川警察署で事情聴取を受ける。
後刻、M・H夫妻も津川署に到着。H・M氏の車で駐車場所へ。その後、移動中に佐久間下越山岳会々長、
A・K所属会の会長、LTQの携帯に不在着信のあったA・Kの所属会のH・S氏の携帯に事故連絡を入れた。
高速道路で病院に向かうが、A・Kから西新潟中央病院から新潟大学病院へ移送とのメール。
開放骨折の可能性が高いと察した。


17:30 
MH氏夫妻とともに新潟大学病院着。ほどなく、AK所属会々長、N夫妻着。事情を説明。
手術の同意のために急遽病院に呼ばれたA・Kの長女に事情を説明、間もなく手術に入るとのことで、A・Kの長女に事後をお願いする。


18:30 
新潟大学病院発

19:15
LTQ所属会の会長宅で事故の詳細報告して帰宅。
雨でずぶ濡れの二人分のザックを片づけて干す。
血の染み込んだA・Kの登山靴を洗いながら何でこんな日になったのか?
等とりとめのないことを考える。

22:56 
A・K長女より手術が終わった旨のメールが入る。

平成24年6月4日(月)
午前中、会社の仕事をして、午後からA・K所属会々長宅を訪ねその後新潟市内で
仕事の用事を足して、県警本部地域課、地元の所轄である津川警察署、阿賀町広域消防本
部を訪ねて昨日のお礼を申し上げ謝意を伝えた。(後日、新潟空港の県警航空隊にもご挨拶させて頂いた。)
その後、病院を訪れA・Kの様子を見に行くと、A・Kの所属会メンバー2人が見舞いに訪れていた。


固定装具が痛々しい様子で昨晩の手術は3時間30分ほど要し、今後腫れが引いたら骨を繋
ぐ手術が行われるとのこと。受傷当日は発熱はなかったが、今日になり38℃程の発熱があ
り食欲もあまりないとのこと。
今は感染症のない事、後遺障害が残らないことを祈るだけである。

※ 脛、踵、内側側部に合計4本の金属棒を骨に差し込みそれをヤグラ状に組んだカーボン?製の
棒を組み合わせて、骨折部位を浮かせている。見た目は痛そうだけど、本人至って平気。
平気な方が怖いね。


事故防止策その他
事故防止
@ 倒木の不安定
不安定な状態で止まっていた倒木が僅かに(多分、半回転〜1回転)転がり足を巻き込んだことが今回の事故原因であるが、
雪解け直後であることから石・岩と同様に不安定で浮いている(動きやすい)と考えるべきで、浮石への警戒はしていたものの、
相当な長さのある倒木に対して全員の警戒が薄かったといえると思う。
浮石が多い春先は倒木に対しても動く可能性を強く意識すべきである。
A 行動間隔
LTQは事故の瞬間は視認していないものの2edのM・H(F)と3rdのA・Kの間隔が近すぎたのかもしれない。
薮・落石に対してはできるだけ先行者に近付いた方が良い場合があるがこれも定常的ではなくケースバイケースであろう。

今回の事故は本当に不運としか言いようのない事故であるが、敢えて突き詰めれば、倒木の動く可能性の認識・動いた場合
自分の位置が安全か?この点にメンバー全員に注意意識があれば避けることができる可能性があったかもしれない。
結果論と言えばそのとおりだが、事故を振り返り対応策を考えれば上記2点に集約されると考える。


事故後の対応
事故後においてはRICEが原則といわれているが今回を振り返るとどうであったか?

Rest(安静) 運動の停止
今回のケースでは運動の停止というより、動けなくなったので安静にする以外なかった。

Ice(アイシング)
受傷場所が靴の中でありヘリによる搬出が絶対的に確立していない状態で不用意に靴を脱がせてしまうと、骨折部位が足首付近
であることから悪化させる可能性があり躊躇われ、また一度靴を脱がせてしまってその後腫れてしまい、
靴を履かせることができなくなった例を過去に直接見たことがあり靴を脱がせなかったので冷却はしていない。
また、万が一受傷部位に外傷があった場合、沢水では不衛生であることから、靴ごと沢に入れ冷やす様なこともしていないし、
極力雨にも濡らさない様に注意していた。

Compression(圧迫)患部の圧迫
圧迫の程度は非常に弱いが靴を緩めない事で少しは良かったかもしれない。

Elevation(挙上)
心臓部より高い位置に患部を位置させることで、出血量を押さえ浮腫みを抑えることを目的としているものだが、
受傷部位が足首であり傾斜地であり足を上に挙げるとが相当に頭が下に位置してしまう。また雨が本降りであり仰向けで
ザックを敷いたとしても地面に寝かせて着衣を濡らすことも、ヘリ搬送が確定していない時点では避けたかった。


このように、考えて行動していたが装備・地形・気象の条件で結果的には不十分な初期対応しかとれなかった。

帰宅後、ザックを片付けていて、ハンディGPSを携行していたことを思い出した。救助要請のため下山したM・H夫妻にGPS座標を
メモして渡すべきだった。また、帰宅後写真を確認すると問題の倒木、現場の写真を全く撮っていないことにようやく気がついた。
LTQ自身かなり動揺していたのだろう。
実にマヌケなことをしたものだ。
事故当事者となると、心に焦りがあるのだろう。安全にそして、早く救助要請をして欲しい。そういう願望が強く働き
間違いなく、早くM・H夫妻に事故現場から出発して欲しい。そういう意識は強く持っていた。このことが、前述のマヌケを引きお起こした。

幸い後日、県警航空隊に伺った際に、御前ヶ遊窟の場合、場所が特定できるのであまり困難ではなかった。そして天候面では、事故現場
方向に雷雲があり心配した。これは行ってみないと判らないので、とにかく出動したのだが、現場の標高が低かったのも幸いした。との
事だった。ボクのマヌケは県警航空隊の知識に救われた。

何時・何処で・誰が・どうした。忘れちゃいけない。ボクは慌てていたのだ。事故後の事では一番の反省点はここにある。


その他
開放骨折においては、受傷後6時間以内に医療施設で適切な洗浄等の処置が行われるか否かで感染症リスクが大幅に変わるという。
骨が外気に晒されることで細菌等に感染すると骨内部は本来、無菌であるはずが感染すると非常に厄介と聞く。
沢で開放骨折、翌日に救出されたケースでは感染症で半年の入院を余儀なくされた例を聞いたことがある。

事故発生から医療施設への搬送、事故後の関係機関への挨拶回りを終えたが、事故そのものは、A・Kが回復して
元の生活に戻り再び登山靴を履くことが狭義の事故終息で完治と考える。
A・Kの一日も早い完治を願うのみであるが、不運な事故とはいえ、何か悔しいというか言い表せない思い、気持ちを感じている。
この先、辛いリハビリがあると思われるがしっかりとリハビリを行い一日も早く元の生活に戻り、再び元気に岩を攀じ登り、
山と沢を歩いて欲しいと願うばかりである。

末筆となりましたが、救出搬送に関わっていただいた関係機関の方々には衷心より御礼申し上げます。
また、ご家族様、山岳会関係者の方々にも多大なご心配をおかけいたしました。
皆様方のご協力とご心配頂きましたことにお詫び申し上げるとともに心より感謝申し上げます。

平成24年06月05日
LTQ



06月08日(金)事故後5日目
拇指横、脛骨、外果骨下に合計4本の金属棒を差し込み受傷部を浮かせ
固定、安静を保つ状態とか・・・痛そうなんだが・・・
痛くない。とのこと????





追記
・06月03日(日)事故発生日・・・開放個所の洗浄、左足の受傷個所の前後の骨を金属棒で固定、安静にさせる固定手術。
・06月13日(水)に折れた骨をつなぐ2回目の手術。
・06月18日(月)リハビリ開始 腫れ、痛みもなくリハビリ担当の療法士さんも?とのこと・・・・案外、ネコ並みの早さで癒合したりして・・・?

  ※ ネコの骨折の癒合の早さは驚異的な早さだそうだ。
・06月22日(金)抜糸・追われるように、退院・・・まだまだ、社会復帰には程遠いとのこと。

シロウトでどうにも判らないけれど、順調に回復している様な気がする。
順調に回復してくれれば、里山でのナメコ採りに間に合うかな?そんな気がしている。

・07月03日事故後1か月・・・・浮腫、術創が痛々しい

     

写真左・・・・踝上からの大きな術創はプレートの埋め込み。踵の創は固定術によるもの
写真中・・・・脛の2つの創、甲の側面の創は固定術によるもので、内果付近の縫合創は受傷時の創
写真右・・・・負傷した左足は右足に比べ全体的に浮腫んでいるが、ヒラメ筋、腓腹筋(内側頭・外側頭ともに)細くなっている。わずか1カ月での筋委縮

・07月05日(木)2回目の外来で体重の30%位の加重を加える練習。
足首の可動域が狭いと指摘を受けたとのこと。夜、長女に乗せてもらいお見舞いの御礼に東スポに来た。
松葉杖も少し慣れてきたかな?

・07月19日(木)3回目の外来。受傷した側の脚に体重の1/2荷重とするリハビリ指示を受ける。骨折箇所の癒合はあまり
進んでいない。との説明を受けた。とのこと。
やはり、若年層の骨折とは異なり、癒合に時間がかかるのだろうか?(7月21日追記)


     
写真は事故後60日。観血的整復固定術後50日の写真。落屑もなくなり術創はずいぶんキレイになった。
写真左・・・プレートの埋め込み痕。大きな術創もきれいになった。でも、少し動くと浮腫みが出るという。
写真中・・・これもひと月前から観るとずいぶんキレイになってきました。
写真左・・・左右の下腿の太さが全然違います。受傷した左脚の筋肉の委縮が進んでいる。
              退院後、自宅内では膝をついて這って移動することが多かったらしく、両膝に色素沈着が観られる・・・ちっとかっこ悪いね。

今後骨折箇所の癒合状態が安定したのち、@左脚の筋力回復、A足首の可動域の拡大、B浮腫みの予防。の3点を少しずつ行い、年内の低山散策がとりあえずの目標。


・08月04日(日)ノリちゃんに乗せて貰い、70日振りに杉滝岩に遊びに来た。東屋で皆とおしゃべり。気分転換になったんじゃないかな。

・08月9日(木)外来、主治医不在も2/3荷重で歩行指示。

・旧盆の頃から急速に浮腫が軽減。やはり足を着いて荷重をかけて歩くとポンプ作用が働くのかな?

・08月17日(金)桜尾根登山口までキツネノカミソリを観に行く。

・08月23日(木)外来、癒合進んでいない。1本の抜釘術は9月3日(月)プレートは一年後。

・08月25日(土)不整形地歩行。案外できる。とのこと。

・08月26日(日)東スポでウエートトレーニング開始。

・08月27日(月)プールで歩行訓練、軽く水泳。

・09月03日(月)抜釘術・・・・貧血起こすほど怖かったそうな・・・?

・09月10日(月)職場復帰・・・事故から99日、観血的整復固定術から89日での職場復帰・・・・事故同行者、ヤマの相方としちゃ〜一安心。
          でも、本人が一番ホッとしているハズ・・・・本人足首の癒着が不満だけど、あれだけのケガだから順調な回復と思う。

・09月11日(火)事故後100日、観血的整復固定術から90日が経過。

・09月18日(火)再び足首の浮腫が強く出たとのこと。

・09月22日(土)護摩堂山 274m復帰登山 事故後111日、術後101日のリハビリ山行 空身でWストック。登りも下りも時間的には同じくらい。



・09月27日(木)外来受診 プレートは半年以降外せるが、できれば1年位は留置しておいて欲しい。と言われたとのこと。

・09月30日(日)角田山 486m 復帰登山第二弾 五箇峠コース 高低差 295m 距離約7.6キロ 
          日帰り装備Wストック やはり登りも下りも時間はほとんど変わらない。



・10月01日(月)前日の角田山登山で左膝が腫れてしまう。筋力が弱っていること、足首が固いため膝に負担がかかり軟骨を傷つけた様だ。残念。
          当面安静にして、腫れが引いた後、ウエイトトレーニング、ウオーキング等の基礎トレーニング再開して対応したい。

・10月13日(土)〜14日(日) 所属会の会長の病後、相方くんの快方登山で所属会の方々が湯ノ平温泉の温泉山行を企画実施してくれた。

・10月25日(木)外来受診 骨折箇所はキレイに着いて、骨折面が写真で判らないくらい。とのこと。固定プレートも1年は留置したいところだけど
          春頃に外すせそう。とのこと。

・10月27日(土)杉滝岩でクライミング再開できた。簡単なルートを2本登れた・・・これは本当に良かった。その後、6人で湯ノ平温泉へ。



・10月28日(日)湯ノ平から下山

・11月10日(土)〜11日(日) 長井葉山 Brother Bourbon(小国山岳会)と久しぶりの飲み 飲んで語らいの楽しい葉山山荘、翌日は大人の遠足隊と
 合流して、竹爺(小国山岳会)とGW以来の再会。



・11月24日(土・祝)冷たい雨の中、リョウちゃん(つがざくら山岳会)と新発田市某所でキノコ採り

・11月25日(日)小国町の倉手山登山。飯豊の絶景を楽しめた。



・12月02日(日)角田山 灯台コース

・12月03日(月)事故から丁度半年経過。東スポでインドアクライミングを再開できた。

・12月08日(日)五頭山 三ノ峰コース 三ノ峰小屋まで、雪で3時間を要した。先行Pは4時間を要したとのこと。

・12月22日(土)二王子岳 一王子避難小屋まで

・12月23日(日)〜24日(月・祝) 家形山避難小屋 リョウちゃんと3人で忘年会。事故後初のスノーシュー登行での泊まり装備。



平成24年12月25日追記




平成25年(20013年)

・01月05日(土)〜06日(日) 所属会メンバーと米山登山(快晴)。ボクは5日に日帰りで二王子岳

・01月12日(土)〜14日(月・祝) 所属会メンバー+ボクで八ケ岳 阿弥陀岳北稜〜赤岳〜地蔵尾根・・・やはり下山は疲れが出て、術創部位が
 靴に擦れ少し痛みがでたそうだ。




・02月17日(日) 所属会メンバー+ボクで五頭山(三ノ峰コース) 晴天で気持よく登れた。



・02月23日(土)〜24日 小国山岳会のヤマ友と長井葉山を目指すけれど、悪天候で米沢市愛宕山荘で孫さんにお世話になる。



・02月28日(木)4カ月ぶりの外来。3月19日にプレートを外す手術を行うことに決まったとのこと。

・03月03日(日)徳ちゃんと3人で角田山へ



・03月07日(木) 受傷後初めてランニングマシンでランニング。問題なしとのこと。

・03月10日(日) 所属会メンバーと福島県会津(桧原湖右岸)高曽根山へ登山。

・03月12日(火) 今年受傷後再開したクライミングでなかなかできなかったルートをようやく落したとのこと。

・03月16日(土)〜17日(日) 所属会メンバー+ボクで八ケ岳 初日 キャンディで遊んで、翌日横岳西面 石尊稜へ



・3月18日(月) 八ケ岳から下山した翌日、骨折部位に埋め込んだ金属プレートを外す手術のため入院

・3月19日(火) 無事手術を終えたと午後にメールを貰う。

・3月20日(水・祝) 夜にワガママを言って退院したとのこと。

・3月21日(木) 夜になり、頭痛がでてしまう。麻酔の後遺症らしい。
     
 外側・・・僅かに出血があったみたいですね  内側も切り直したみたい 外したプレート 


・03月23日(土) 頭痛がおさまったとのこと。比較的軽微で済んだらしい

・03月25日(月) 抜糸じゃなくて抜鉤か・・・術創を止めていたステープラーを抜く。これで治療そのものは完全に終わった。
           事故から295日、手術から285日、40週を要した。ただ、抜鉤後も暫く腫れが残るはずなので、また、リハビリが必要かな?


これで、全ての治療を終えた。でもまだ、足首の機能回復にはもう少し時間がかかるだろう。
多分、機能回復がどの程度なのか判るのはGWの頃ではないか?
そうすると、11カ月で回復可能な範囲での収束つまり、実質的な完治という感じになるのだろう。

・03月31日(日) 抜糸(抜鉤)後、東スポでウオーキングマシンでトレーニング&クライミング再開。以前登れたルートが登れない。怖々登っているかな?

・04月07日(日) 東スポでクライミング

・04月13日(土) 角田山 ヨーロッパ松

・04月27日〜29日 岳沢ベースで前穂、西穂を計画も大量降雪で横尾から先、岳沢も入山禁止 仕方なく旧穂高町側から蝶ケ岳へ。
            見た事がない程バテた。

・05月04日〜06日 飯豊 西俣〜頼母木小屋(泊)〜梅皮花小屋ピストン〜頼母木小屋(泊)〜西俣下山

・05月12日     杉滝岩・・・・今年初の外岩

・05月19日     杉滝岩

・05月25日〜26日 石転ビ登り・門内沢下山  受傷後1年で石転ビに戻る事ができた。


石転ビの登り・・・・akiちゃん、本当に大変な1年でした。
頑張りましたね。

下山して、何だかボクは凄く嬉しい反面、ホッとしました
まだまだ、足首が硬いものの石転ビを登り門内沢を余裕を持って廻れた事をすごく嬉しく思います。

・06月02日(日)       焼峰山&杉滝岩  杉滝岩に直接行かないで、近くの焼峰山でひと登りしてから、杉滝岩で遊んだ。
                 今日は、6月1週の日曜日。事故からちょうど一年経過しました。事故から丁度一年目の脚の様子・・・杉滝岩にて

     
 術創はキレイになったけれど・・踝が腫れている  創は目だ立たなくなってきた  両側の踝がまだ腫れている


一年経過したけれど、まだまだ、元通りではないようですが、山にも戻れ、クライミングも楽しめる様なので安心しました。
1年を経過したことでこれをもって事故報告を終了としたいと思います。