敬和学園大学講話資料 
平成15年1月17日
会場 敬和学園大学 
塩津潟研究家 伊藤 國夫

塩津潟と新発田市

 

1.はじめに → 【学問として追求する重要性】 → 〔〔塩の道の復活〕〕

(1)正保 2年 越後絵図が物語るもの  〔徳川家光の命令〕《1645年に作成》
(2)元禄13年 越後国絵図が物語るもの〔徳川綱吉の命令〕《1700年に作成》
・「塩津潟と新発田半の地域史の見直し」  ※正保2年越後絵図の復刻版の販売
・「塩津潟と都岐沙羅のロマン」

2.「塩津潟の由来」の意義

(1)新着紹介
(2)新潟県等のホームページとリンク

3.郷土の歴史は小・中学校の教材として続々登場

(1)「胎内川の恵み」 …中条町・黒川村の事例 〔平成14年6月〕
(2)「ふるさと中条」 …中条町の事例 〔平成10年9月〕
(3)「わたしたちの中条・黒川」 …中条町・黒川村の事例 〔平成12年4月〕
(4)「新発田400年のあゆみ」 …新発田市の事例 〔平成10年6月〕
(5)「わたしたちの新発田」 …新発田市の事例 →?? 〔平成14年4月〕
(6)「川辺の縄文集落」 …その他の市町村の事例 〔平成14年3月〕
(7)「胎内川の恵み」 …胎内川沿岸土地改良区 〔平成14年6月〕

4.「塩津潟」を正式名でよぶための最近の動向

(1)胎内川沿岸土地改良区 平成14年 6月11日  
(2)奥山荘歴史館 常設展示・パンフレット 〔平成14年 5月〕
(3)新潟県歴史博物館 「越後絵図」常設展示・はがき 〔平成12年 8月〕
(4)文芸なかじょう 第28号  「塩津潟が急激に市民権を獲得」 〔平成13年11月〕
(5)中条町郷土研究会誌
「おくやまのしょう」 第27号
「墨書土器”津”が物語るもの」 〔平成14年 3月〕
(6)郷土の銘菓の創作 「塩津潟」、「月さら」 〔平成 8年 5月〕
(7)東浦原郡史 資料編5 近世四 〔平成14年 6月〕
(8)文芸なかじょう 第29号 「胎内川の恵みのありがたさ」 〔平成14年11月〕

5.「塩津潟の由来」のホームページの閲覧数 → 【平成6年に開設】

※ 講演の題名
※ 年月日
※ アクセス数
(1)「塩の道」は阿賀北地方が本場 〔平成10年11月11日〕
796回
(2)塩の津・塩津潟の復活 〔平成11年3月10日〕
987回
(3)「塩の津」の比定地は塩津 〔平成11年5月22日〕
1001回
(4)塩津潟と新発田藩 〔平成11年12月16日〕
1022回
(5)塩津潟と都岐沙羅のロマン 〔平成12年12月21日〕
1335回
(6)築地と都岐沙羅柵のロマン 〔平成13年3月16日〕
1546回
(7)塩津潟が教材にできた要因 〔平成13年5月28日〕
1674回
(8)中世の塩津潟が復活 〔平成13年6月29日〕
2313回
(9)塩津潟は中所町の宝物 〔平成14年1月23日〕
2678回
(10)塩津潟が新発田市に与える価値 〔平成14年8月14日〕
3492回
(11)塩津潟と新発田市 〔平成15年1月17日〕
4412回
※アクセス数が、急激に増加している。

6.21世紀に向けて新発田市の取り組み

(1)新発田市役所の取り組み → 新発田市史 ・広報新発田 ・市民への啓発
 @ 総務課 ・・・・・・ ○歴史資料展の継続〔文化財資料の活用〕
 A 教育委員会 ・・・ ○「わたしたちの新発田」の副読本の改訂
 B 新発田郷土史会  ○会員の研修
(2)各大学の研究 ・・・ ○地域の大学の研究に協力
  ・敬和学園大学(新発田市) ・新潟大学 (新潟市)
(3)その他 ・・・・・・ ○新潟県及び他市町村との協力と連携
  ○新潟県立歴史博物館(長岡市)
  ○埋蔵文化財事業団 (新津市)

7.都岐沙羅柵についての最新情報
・・・「芳賀矢一博士 (東京大学・国学院大学学長)」

(1) 木簡の出土 (和島村・聖篭町等) → 各遺蹟の発掘 〔平成2年11月〕
(2) 「津」の墨書土器の出土(中条町) 〔平成12年6月〕
(3) 平山新潟県知事と語る会 → 新発田市にて 〔平成13年9月〕
(4) 平山新潟県知事の手紙 〔平成13年9月〕
(5) 新潟大学あさひまち展示館 〔平成13年12月〕 
(6) 新潟・沼垂の古環境と歴史像 〔平成14年3月〕
(7) 胎内川の恵み 〔平成14年6月〕

8.「タウンミーティング in 新潟」 で遠山文部科学大臣との対話

(1)地域史の教材化 ======  副読本の編集 〔平成13年11月〕
 @ 「総合的な学習の時間」の学習内容  
 A 社会科の学習内容  
(2)平山新潟県知事との対話 〔平成13年9月〕
 @ 塩津潟に関する「塩の道」  
 A 都岐沙羅の柵  
(3)「伊能図」の発刊 〔平成14年7月〕
 @ イギリス海軍の「日本海図」 → 塩津潟が読み取れる。  
 A ドイツ人シーボルトの日本地図 → 塩津潟が読み取れる。  

9.おわりに

(1) 大学生による研究の継続  
(2) 各市町村の郷土史会の果たす役割 → 行政への働き掛けの重視
(3) 「正保二年越後絵図」が国宝への申請 → 申請への諸準備の開始
(4) 都岐沙羅の解明 → 文化省の研究指定
(5) 今後の課題 → 各学校での実践の開始

 

【塩津潟の由来】
http://www.inet-shibata.or.jp/~shionotsu
                   《塩の津》