東豊小学校 42年度 伊藤 國夫
私は、新発田市民として郷土の歴史に興味と関心を持って、多様な観点で研究を続けている。新潟県の阿賀北地方の「河川舟運」について調べてきた。特に、新発田藩との関連で研究を継続している。
その結果、先人が脈々と生活してきた郷土の歴史的な事実が判明してきた。判明した幾つかの事実が、各市町村の地域おこしの諸活動や教育現場の副読本という形で地域や学校現場に役立っている。私は、このことを大変喜んでいる。各種資料を提供してくれた方々や長年支援をしてくれた多くの協力者も、きっと喜んでくれているものと思う。次に、研究成果の具体例を、3点紹介する。
第一に、新発田市所蔵の「正保二年越後絵図」が、世に再認識されたこと。
平成9年に、新潟県の文化財に指定された。その絵図が、新潟県立歴史博物館に広いスペースで展示されている。新潟県民をはじめ、多くの国民に啓発している。
新潟県から出版される刷子や発信される各種の文章に、多数引用されるまでに発展してきた。この絵図は、三代将軍徳川家光の命令で1645年に作成されたものである。この絵図の正確さによって、新潟県の地形や数多くの潟、村落、河川、川と潟を活用した河川舟運の実態等が、正確に解明されてきた。新発田藩が新田開発した「塩津潟」が、新発田市民はじめ多くの新潟県民に再認識されてきた。塩津潟は、塩の道と関連する潟名であると言われている。
第二に、「正保二年越後絵図」が再認識されたことにより、各方面に多くの良い影響を与えていること。例えば、各市町村の公民館や図書館等の公共施設に「正保二年越後絵図」が掲示され、県民や市民に郷土の歴史を正確に伝承している。
第三に、郷土史を副読本として、児童生徒の教育活動に役に立っていること。副読本の最初の発行は、中条町の郷土読本「ふるさと中条」である。この副読本は、平成9年に発行された。中条町の各小学校の4年生以上の児童に毎年無料で配布され、社会科や総合的な学習に活用されている。平成10年に刊行された「わたしたちの中条・黒川」の副読本が2冊目である。これは、中条町と黒川村の3・4年生が、社会科の学習に使用している。3冊目の副読本は、平成14年5月に完成し、中条町と黒川村の全世帯に配布された。また、中条町と黒川村の各小・中学校に寄贈され、児童生徒の学習に利用される。更に、各市町村の図書館にも寄贈される。
これら3冊の副読本は、「正保二年越後絵図」が参考になっている部分がある。
『塩の津』や『塩津潟』について、先人の営みが学習できる。
私は、郷土の歴史を教材化することに勤め、それを実践してきた。昭和45年から後免町小・昭和55年から住吉小・平成2年から外ヶ輪小・平成10年から中条町立竹島小でそれぞれ実践してきた。また、副読本や記念誌の編集にそれぞれ関わってきた。それらの内容等については、私のホームページ【塩津潟の由来】(平成6年の開設)に掲載してある。現在2998回の利用数がある。豊浦大学・町民大学(中条町)・三楽大学(加治川村)・新発田市郷土史会等の各種講演会や専門誌に掲載した論文が、録画や録音や写真入りで満載されている。
アドレスは、【 http://www.inet-shibata.or.jp/~shionotsu
】である。
この「塩津潟の由来」が、阿賀北地方の「塩の道」の復活に役立ち県内の各市町村がそれぞれに取組み始めている。「塩の道」の復活は、間近である。
それは、『塩津潟記念公園』の造成計画が具体化しているからである。
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