− 塩の津・塩津潟の復活 (No.4)−

(8)越国の歴史に各大学が着目

越国の歴史については、新潟大学をはじめとして、各大学がそれぞれに研究を進めている。

例えば、東京大学、法政大学、筑波大学の田中教授、福島大学の丸井教授、同志社大学の森教授 立教大学の藤木教授、京都大学の国文学研究室、国学院大学、明治大学の伊能学芸員、 茨城大学の藤井教授等があげられる。

各大学のそれぞれの研究によって、新潟県の歴史がさらに正確に解明され、真実の内容に書き直される ことが、そう遠くない日であることを確信している。前述の各大学に、国立歴史民族博物館の杉崎学芸員や たばこと塩の博物館の、半田学芸員等のご協力を得て、今日に至っている。 県内外の多くの博物館や資料館が内陸水上交通の歴史や塩の流通について、 非常におおきな関心をもち、着目してきているのが現状である。


− 古絵図等による塩津潟の立証 −

「塩津潟」が正しい本当の潟名である。

その為には、紫雲寺潟ではないということを立証しなければならない。 「塩の津・塩津潟の復活」させる為に、古文書や古絵図で立証できると確信している。 「塩津潟」が正しいと立証できる古絵図を探すことから始めた。探した場所は、 各大学の研究室、および大学の図書館、国立国会図書館、内閣文庫、国立歴史民族博物館、 各県立図書館、市町村役場等々考えられるありとあらゆるところへ行ってきた。 その結果「塩津潟」に結びつく古絵図や古文書を探し当てることができた。 「しうつ」「シホツ」「塩津潟」「塩津」と明記してあったものを次に列記する。
康平の絵図 康平三年 1060年
高井道 時茂 譲状案 健治三年 1277年
正保二年越後絵図 正保二年 1645年
元禄十三年越後国蒲原郡岩船郡絵図 元禄十三年 1700年
日本輿地図 宝暦六年 1756年
新刻日本輿地路程全図 安永八年 1779年
増修定本新刻日本興地路程全図 寛政三年 1791年
諸街折絵図 文政四年 1821年
越後国絵図(下) 文政五年 1822年
国郡全図 天保八年 1837年
日本全図 寛永五年 1852年
大日本海陸全図 文久三年 1863年
明治道中大絵図 明治一二年 1879年

このように、私が、調査した古文書や古絵図の中に「塩津潟」及び「シホツ」と明記してあるものが13編にも及んだのである。

ちなみに、「紫雲寺潟」と記載してあるものは、次の2編だけである。
寛治の絵図 寛治三年 1089年
亨保の絵図 亨保六年 1721年

以上のように古絵図等の調査を考察すると、次のようなことが言えるのである。