美術画報 No.43

 現代作家美の競演 (p179)

 『塩津潟は塩の道』は、文字通りライフワークというべき著作で、「塩津潟」という江戸時代の古い絵図にあった地名が、近世以降「紫雲寺潟」と呼ばれてきたことの疑問について半世紀を費やして得た答えなのである。小学生時代に抱いた疑問を、教職という恵まれた立場にあったとはいえ、古絵図や古絵図やさまざまの文献を渉猟して結論に至る過程は知的なスリルに溢れている。かつて塩の積出の地であった「しぉんづ」から「しうんじ」に転じたのではという推論を、文献的に論証するなかで新発田藩の干拓事業や塩の道、米の道といった流通経路、さらには七世紀に存在した都岐沙羅柵の研究から大和朝廷と越の國の関係にも及び、新潟県の歴史の見直しを迫る。B5版7章三六〇ページの大作。「あとがき」冒頭の”十歳の少年が、心ときめかせて抱いた「塩津潟」の探求が、私のライフワークとなり、しかも教員の仕事と深くかかわりながら、今日まで続くとはとても信じられない気持ちである”という文には充足感がこもっている。新潟に縁の薄い読者にも十分な知的興奮を与えてくれる著作である。

 

本書 見開き