遍歴
開局は144MHZで15年くらいはVUで運用していました。
中学のクラブにはHF機もあって運用はしていましたが自分では144MHZばかりでした。
その後430MHZに出たりしてHFに出るようになったのは開局から20年すぎた頃です。
タワーも建てたりで資格も2級から1級になりやっと余裕ができました。
それでも出るのはSSBばかりでした。
試験用CWでは、実戦ではほとんど役に立ちませんでした。
ノイズ、混信、符号が汚い、何を打ってくるか分からないので集中するので疲れます、相手の内容に返信する内容も
考えなければなりません。
25字/分の実際の送信文の方が60字/分の試験問題よりも難しいと思いました。
1990年代のCWはラグチュー風で現在の599 TU BKのような短いものでなかったためか1局15分くらいかかって
汗ダラダラでやっていました。
そのうちに仕事が忙しくなってCW運用はやらなくなりました。
パケット通信をはじめた1997年頃に、電子ログとしてHmamlogを使い始めました。
その頃から文字通信も専用機を使わないでパソコンでできるという話を耳にしてやってみたいと思いました。
一度は見よう見まねでI/Fを自作したのですが受信できませんでした。
それから数年の時間が経過して、もう一度PSK31の受信だけケーブルを作ってやってみました、香港の局が交信している
通信文がMMVARIの画面に表示されました。
これは面白いということで送受信するI/Fまでは作れそうにないので既製品を購入して、変更申請を出しました。
最初のPSK31の通信なんて、すべてキー入力で汗ダラダラでした。
何局かQSOするうちに、他の人は直ぐに返事を淀みなく返してくるので何かやっているのかと思いました。
調べるとマクロ機能で定型文を送れることが分かりました、条件分岐の高度のものは無理でも最初のあいさつやファイナルの
決まり切った文言を入れてボタンを押して送信できるようにすると楽になりました。
MMVARIは、RTTYもできるので受信すると英数だけの通信文のためやっていることはCWとほとんど変わらないで局数も
多いことが分かって運用を開始しました。
こちらもRTTY用にマクロを作って交信するので、クリック3回くらいでQSO終了です。
そのうちに移動運用でRTTYを運用したいと思いました、ノートパソコンを持って1kmほど離れた聖籠町の田んぼでCQを出すと
次々に呼んできます、しかし光沢画面のため乱反射して文字も見にくいこと数局やって止めました。
その後、ノングレアのPCを買って使っています。
平成の大合併もそろそろ終わるころに、北魚沼郡川口町が長岡市に合併する日が近づいていました。
最後の日にFT-817とダイポールで本格的な移動運用に行ってみました、5Wでも消滅する市町村という付加価値の高い運用地ですから
100局以上とできました。
それから移動運用が多くなりました、FT-817でSSBとRTTYでやっていたのですが扱いにくい面もあってIC-7000の中古を見つけて
50Wに改造して使用しています。
移動運用も1年やると、常連さんばかりになって交信局数の割りに1STが増えません。
CWなら少しは1STが増えるかと思って、CWの練習ソフトで聞き取り練習をしてかなりいいところまで行くようになりました。
あとは送信です、送信はさっぱりで縦振り電鍵で30字/分程度が限界です、ローカル局が送信はパソコンをメモリーキーヤーとして
使えるからそれに合う、I/Fを揃えればQSO可能ということでUSBIF4CWを教えてくれました。
家で交信を練習かたがた、20局ほどQSOしてから道の駅に行って実戦です。
村上市の笹川流れでしたが、ノイズが多いところですが初心者にはノイズとパイルの二重苦で80局ほどできました。
そんな訳で、PSK31−RTTY−CWと何か逆方向にやっています。