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○落ちて悔し〜い!月姫作文 先頃、観光協会の『月姫作文』の入選者が発表されまして、案の定?私の『月姫と権三』は、佳作5作品にも、最終選考25作品にも残りませんでした。グスン。佳作5作品は全て読ませていただきましたが、それらと比べると私の作品は、文章も構成ももう一つ練れてないし、当然といえば当然なのですが、とても悔しいのです。その原因は・・・ その1!74本もの応募がありながら、新潟県から佳作5作品に一つも残らなかったこと。同じ新潟県人に負けるならどうにか納得だけど、県外人に賞金を全部持って行かれるなんて・・・。 その2!佳作5作品が全部『童話』で、歴史的事実や地理的条件とは無関係なものばかりで、新発田の図書館や郷土資料館に通って、戦国時代に阿賀野川北部を統治した佐々木盛綱やその一族の新発田重家、そしてその娘婿の五十公野道寿斎(別名:長沢道寿斎、三条信宗)とたどり、その五十公野道寿斎がこの月岡あたりを統治していたらしいことを突き止め、彼の終焉の地・安養院(現・安楽寺)にまで行ってきたり、その頃の地図や五十公野城包囲の兵の配置図を見て、五十公野城からの逃避経路としては今の月岡を経由しても妥当だなという判断までした、私の努力はどうなるの!1編くらい江戸時代の溝口の殿様や、大地主の市島さんを扱った歴史小説的なものは無かったの!選考委員さん!・・・ウチの社長も選考委員の一人だったらしいんだけど・・・グスン。 でまあ、お約束通り私の作品『月姫と権三』発表させていただきます。入選作と読み比べて下さいませ。尚、この作品は提出後、手を加えてありますので、観光協会に提出したものとは多少異なります。 『月姫と権三』 本間周三郎は、石油掘削用の掘立て小屋の中で、静かにため息をついていた。「また、油は出ずか・・・」 大正初期の石油掘削ブームの中、本田村までやってきた小規模業者達は、大きな油田を発見することが出来ず、最後に共同で「本田石油組合」という組織を作り、最後の1本として深く掘削したものの、出たのはお湯だけで、石油はほとんど姿を見せなかった。本田石油組合の専務理事・本間周三郎は、たくさん雇い入れた人夫達や、借金を抱えた業者達のことを考え、悶々としながら、ここ何週間かの疲れも手伝ってついウトウトとするのだった。 周三郎がふと気づくと、どこから入ってきたか老婆が隣に座っていた。そして老婆は誰に聞かせるでもなくボツボツと語り始めたのだった。 「昔、越後の国を上杉謙信公が治めてなすってた頃、このあたりは五十公野の殿様の領地であった。しかし本田村のはずれで人一人として住んではおらず、ただこの月の丘の麓には湯が湧き出ておって、本田村の庄屋の三男、権三がその湯小屋の番をしておった。その湯は傷を治し、肌も綺麗になるというので評判で、近郊の農家の者ばかりでなく、いつの頃からか五十公野や新発田の侍の方々も湯治に来るようになり、ついには五十公野の殿様までも湯につかりに来られた。そしてその時、五十公野の殿様の三女、月姫様も一緒に来られていた。権三はその美しさに目を奪われてしもた。権三はその時に月姫様が忘れていかれた櫛を大切に手元に置き、また月姫様とお会いできる日を待ち続けた。そして権三の妹・おさきが五十公野城へ奉公に行くこととなり、権三はおさきに月姫様への手紙を託した。おさきはどうにか月姫様に手紙を渡すことが出来た。実は月姫様もちらっと見かけた権三のことが気になっておったのだ。おさきを通じての手紙のやりとりが何度か続いた後、二人は人目を忍び、この地で会うようになり、いつしか愛し合うようになった。しかし時は戦国。上杉謙信公が亡くなり越後には再 び戦乱が広がっておった。そして五十公野の殿様も謙信公の後継争いに巻き込まれ、ついには上杉景勝公と激突することとなった。五十公野氏は五十公野のお城に籠もり、上杉軍を迎え撃つことになったのじゃが、後ろ盾の佐々木氏が滅ぼされており、どう見ても勝ち目は薄かった。権三はその時、月姫様だけでも救おうと、お城に兵糧米を持って行くという危険な仕事を引き受け、五十公野城へとたどり着き、おさきに最後の手紙を渡した。『もしも、お城を抜け出せるのなら兵糧米を運んだ荷車に姫をお乗せして逃げます。それが無理なら、無理矢理にでも姫をさらって逃げます』と。その手紙を読むと、月姫はおさきに言うたそうじゃ『今私が逃げたら、兵達は父上の負け戦を覚悟した差し金と思い、動揺が広がります。先祖代々から守り通したこの阿賀北(阿賀野川北部)の地。先代の謙信公にも触れさせなかったこの土地を父上も母上も守りたいと思うておられる。私もそれに従いたい。』と、城と運命を共にする覚悟を語られた。兄だけでも助けたいおさきは権三に『月姫は城を抜け出すと言っておられる。月の丘の麓で落ち合おうと。私が必ず姫をお連れするから』と言い。権三を帰した。権三はそ の言葉を信じ、ここの湯小屋で待ち続けた。そしてついに五十公野城の戦闘は火蓋が切られ、一進一退の攻防が続いたが、奮戦空しく、死闘30日にして五十公野城は落城、城主・五十公野道寿斎殿と奥方は城の麓の安養院で自害して果てた。月姫様は父の手配もあり、上杉軍の主力が引き続き新発田城の戦闘へと向かったことも幸いして、おさきら配下の者と城を抜け出すことができた。そしてとりあえずこの地にたどり着いたのではあるが、そこで見つけたものは権三の亡骸であった。嘆き悲しむ権三の兄たちの話によると、権三は炎上する五十公野城を見、不安な心で待ち続けていたが、たまたま兵糧を調達に来た上杉の兵から『五十公野城の人間は皆殺しにされた、これからはこの土地もこの湯も上杉のものじゃ、逆らうことは許されぬ』と言われ、このまま上杉の兵に居られては月姫様が来られたら危ないと思い、持っていた鎌で兵に襲いかかったのだが、相討ちになってしまったというのだ。その話を聞くと月姫様は権三さんの亡骸にすがりついて泣き、ふいに隠し持った短刀を胸に突き刺した。そしておさきに向かい『私達はあの世で添い遂げます。お前は、この地の湯を守ってほしい。この不思議 な湯、受けし傷はたちどころに治し、人を傷つけんけんとする刃物はたちどころに朽ちさせる、まさに平和の湯。戦のない平和な時代になったら二人で・・・・』と言って果てた。その後、しばらく阿賀北の地は戦乱が続き、この地の湯は何故か枯れ始め、おさきも行方知れずになったそうじゃ。」 そこまで一気に話すと老婆は深く息をつき、遠くを見つめるように静かに言った。「おさきは、ある人を探しに行ったのじゃ」 老婆は周三郎の方に顔を向け、答えを訪ねるようにじっと周三郎の目を見た。 周三郎は思わず、「だ、誰を探しに行ったというんだ?」と尋ねると、 老婆は優しく微笑むように「あんたじゃよ!」 「わ、私?な、何で?」 「月姫様と権三さんが『平和の湯』として心から愛したこの湯を、人々の平和と健康のために役立ててくれる方を探していたんじゃよ。どうかこの地に湯治場を作ってくだされ!」 「し、しかし、私は借金も抱えているし・・・」 「大丈夫。この湯のすばらしさを人々は必ずわかります!湯小屋を建て、旅館を作って下され。いつか日本中の人々が導かれるようにこの湯に必ず入りに来ます。」 老婆の思い詰めたような表情と勢いに押され、周三郎は「そ、そうか、わ、わかった。やってみるが・・・」と答えた。 老婆は「そうですか、ありがとうございます。きっと、きっと約束を果たして下され・・・」と涙ぐみながら言うと、ふっと微笑むような表情を浮かべ、小屋から外へ出た。周三郎は老婆を追い表へ出るが、何故か老婆の姿は無く、ただ弱った鷺が静かに体を横たえていた。周三郎が鷺を胸に抱くと、鷺は一瞬周三郎の方を向き、周三郎の目をのぞき込むようにすると、静かに息を引き取った。その鷺の足には何故か櫛が握られていた。周三郎は鷺の亡骸を抱きしめ、しばらくそのまま立ちつくしていた。 翌日から周三郎は湯小屋の建設に取りかかり、人夫達を説得して旅館を建てさせ、立派な湯治場を作り上げた。そしてそこを訪れた最初の客は小柄な老夫婦で、周三郎に何度も何度もお礼をし、夫婦仲良くゆっくりと湯に浸かっていったという。そしてその帰り、周三郎は老婆の手を握りしめ、その手に古めかしい櫛を握らせたという。 この湯治場はその後、人から人へその湯のすばらしさが伝えられ、年々訪れる人が増えてゆき、その後『月岡温泉』として人々に親しまれるようになったという。(おしまい) (2001年5月25日記載) |
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