泣きながら私の方を見ていた*君に話しかけた。
「何か言いたいことはありますか?」
「悔しいです。やりたいです。もう一度やらせてください」
泣いていた他の子たちも口々に言い始めた。
「やらせてください」
「もう一回お願いします」
「やりたいです」
泣きながら言うのである。

「わかりました。ではまず声を出してもらいましょう」
「ドッコイショ!ドッコイショ!」
私の声に子どもたちが続く。
「ドッコイショ!ドッコイショ!」
いい声だ。
「ソーラン!ソーラン!」
「ソーラン!ソーラン!」
いい。張りがあって、実にいい。
しかし、まだ足りない。
明らかに“一人残らず全員”ではないのだ。

「大体はいいようです。が、まだ全力でない人がいます。クラス男女別にやってもらいますがいいですか?」
「ハイ!」
「では1組男子から。行きますよ。ドッコイショ!ドッコイショ!」
「ドッコイショ!ドッコイショ!」
「ソーラン!ソーラン!」
「ソーラン!ソーラン!」
他の子たちに聞いた。
「どうですか?全員がしっかり声を出していますか?」
「いいです」
「よし、合格。次、1組女子。ドッコイショ!ドッコイショ!」
「ドッコイショ!ドッコイショ!」
「ソーラン!ソーラン!」
「ソーラン!ソーラン!」
他の子たちに聞いた。
「どうですか?」
一瞬沈黙。
「わかりました。では次に行きましょう。2組男子」
同様に繰り返し、2組は男子女子共に合格となった。

残ったのは1組女子。うちのクラスである。
「どうしましょう?一人ずつやってもらうのも酷だと思うのですが・・・」
「やります!」
1組の女子はもうボロボロ泣いている。
5年生のキッズ・ソーランの明暗がかかっているのだ。
泣きながらでも、やらなかったらどうしようもない。

「誰から行きますか?」
「私がやります!」
何人かの子がそう言って名乗りを上げたが、真っ先に一番大きな声で言ったのは*さんだった。
彼女はキッズ・ソーラン担当チームの一員でもあったが、自分から人前に出ることはなかった子である。
一瞬驚いたが、うれしくなった。
「では、やってもらいましょう。ドッコイショ!ドッコイショ!」
「ドッコイショ!ドッコイショ!」
「ソーラン!ソーラン!」
「ソーラン!ソーラン!」
他の子たちに聞いた。
「どうですか?」
「いいです!」「合格です!」
即座に返事が返ってきた。
「やった!」
うれしそうに彼女は座った。
「おめでとう。次は・・・」
「はい!」「私がやります!」「やらせてください」
どちらかと言えば、おとなしめのうちの女子が、全員必死の形相で名乗りを上げている。
もう泣いていられない。泣いたら声は出ないのである。
結局、端から順番にやってもらった。
次々に合格。

だが一人だけ、*さんだけはすぐに「いいです」「合格」の声はかからなかった。
子どもたちは正直である。
そして正当な評価だった。
とりあえず、次の子・・・結局、*さんだけが残った。

全員の前で最後の一人。
こんなに過酷な状況はない。
一応、聞いた。
「どうします?もう一回やりますか?」
「やります!」
即答だった。
人前でなかなか自己主張ができない子である。
「じゃ、行きます。ドッコイショ!ドッコイショ!」
「ドッコイショ!ドッコイショ!」
「ソーラン!ソーラン!」
「ソーラン!ソーラン!」
いい声だ。大きな声が出せない彼女の精一杯が伝わってきた。
他の子たちに聞く前から
「合格!」「いいです!」
の声がかかり拍手が起こった。

「全員合格しましたね。よくやりました。これなら大丈夫です」
「ヤッター!」
「では、今度は踊りを見せてもらいます。大丈夫ですか?」
「ハイ!」
「では、行きます」
ビデオ再生開始。

荒削りだし、動きが揃っていない部分もたくさんある。
が、気迫が十分伝わってきた。
本当に素晴らしかった。
ビデオを回していなかったことが本当に悔やまれた。

こうして、子どもたちは最初の大きな山を越えた。
しかし、これだけでは終わらなかったのである。

県北の*市の小学校に勤めているSADA先生は5年生担任である。
SADA先生のところは、キッズ・ソーランではなく正調・南中ソーランをやるのだという。
練習風景をビデオを送ってもらった。
すごい。
完成度が高い。
キッズ・ソーランよりも難易度の高い踊りを見事にこなしている。
しかし、SADA先生に言わせると
「これで60%です」
という。

このビデオをうちの5年生に見せた。
「どうですか?」
「難しい踊りなのにそろっています」
「動きがキビキビしています」
「じゃ、私たちはどうでしょうね?ビデオに録ってみましょう」
一回踊って、ビデオ録画。視聴。
「どうですか?」
「動きが揃っていません」
明らかに失望している。
自分のイメージと実態はかなり違うものだ。
「どうしましょう?動きでよくわからないところはありますか?」
口々に子どもたちはポイントになる動きを確認し始めた。
ビデオを見ながら確認。
そして、部分練習。
こうして少しずつ動きが揃ってきた。
何度かビデオに録画しては見せ、その都度曖昧な箇所を確認しながら修正していった。
町の産業観光課にお願いして、町のイベント用のハッピも借りてきた。

そんな頃、クラスの*さんが入院した。
彼女は激しい動きで、ステージ前のポジションで踊ることになっていた。
お見舞いに行った時も、進行状況を気にしていた。
どうやら、本番までに退院できそうもない・・・。

本番二日前。
SADA先生の学校のソーランが新聞に載った。
5年生と6年生がそれぞれソーランを披露したのである。
以前から、SADA先生に本番の様子を収録したビデオを送ってもらうようお願いしていた。
何とか本番前に子どもたちに見せたかったので、即送ってくださるようお願いした。

そして、その日の算数の時間。
突然具合が悪くなった*さん。
学校で流行っているお腹に来るウイルス性のカゼの症状が出た。
おうちの方に連絡して、迎えに来てもらうことになった。
話しかけても返事ができない状態。かなり重症だ。
彼女もまた、ステージの上中央で激しく踊っていた子だ。
本番には間に合わないだろう・・・。

本番前日。
午前中、学校に来客があった。
なんとSADA先生の奥様だった。
ビデオテープを届けるために、お子さんを実家に預けて、60km以上の道のりをわざわざ車を走らせてくださったのである。
もう感謝感謝である。
涙が出るほどうれしかった。
その日の午後、新聞記事を紹介し、届いたばかりのビデオを子どもたちに見せた。
5年生6年生の踊りは圧巻の一語である。
もう一度、踊りのポイントを確認した。
そして、ビデオ収録。視聴。ポイント確認。
最後の練習は終わった。

放課後、入院していた*さんの母上から学校に電話があった。
「仮退院という形で本番には行けます。ただし踊るのはさすがに無理ですが」
「でも、きっと踊りたいですよね」
「そうなんですよ」
「・・・そうだ、旗は振れますか?ステージの後ろで旗を振ってほしいのですが」
「それは大丈夫です」
「ありがとうございます。よろしくお願いします」

夜、欠席していた*さんのお宅にも電話した。
最後に「ドッコイショ!」で残った子である。
本番ではステージ上で踊ることになっている。
幸い日中に回復し、明日は大丈夫だという。
良かった。

もう一人、前日に早退した*さんのお宅に電話した。
一日中、食べ物を受け付けない状態だったという。
彼女はくす玉作りも担当していた。
残念だが、明日は欠席になるだろう。

本番当日。
空き時間に子どもたちの日記を読んでいた。
本番に向けての気合が伝わってくる。
その時、教室から連絡が入った。
*さんに例のカゼの症状が表れた・・・。
教室に飛んでいくと、苦しそうな表情の*さん。
おうちの方に連絡して、迎えに来ていただいた。
無念さと苦しさが入り混じった表情で帰宅していった・・・。

その次の時間にビデオを見せた。
「三年B組金八先生」第六シリーズ第五話である。
三年B組が文化祭でソーランを踊る話である。
何も言わず、一話分全部見せた。
感想はいらない。感じたことは午後の本番に行動で見せてほしい、とだけ言った。

給食準備。
ビデオで見た南中ソーランの振りを真似する子たち。
「今やってるソーランもいいけど、いつかあれも踊ってみたいよね」
その時、学校に電話が入った。
二日前に早退した*さん本人からだった。
「先生、もう大丈夫です。行ってもいいですか?」
「大歓迎だよ!でも無理してない?本当に大丈夫?ご飯は食べれたの?」
「大丈夫です。ソーラン踊れます」
ビックリして、母上と話した。
「今朝からご飯も食べて、午前中は部屋で踊りの練習もして勉強もしていました。大丈夫ですので送って時間に間に合うように送っていきます」
クラスに戻って、そのことを伝えた。
「スゴイ!」「ヤッター!」
という歓声と拍手が起こった。
給食は緊張のためか、さすがに食欲は減退気味だったようだ。

昼休み。
病院から*さんが到着した。
玄関でクラスの子たちに出迎えてもらい、うれしそうだ。
ハッピと旗を受け取り、体育館に向かった。

本番直前。
*さんが到着した。
すっかり元気そうな顔になって、教室から自分でハッピを持ってきた。
「大丈夫?無理してない?」
「大丈夫です。(^_^)v」
隣で踊る子には、何かあったら助けてやってほしいとお願いしておいたのだが、その心配もなさそうだ。

卒業を祝う会が始まった。

そして終了。

終了後、*さんは病院へ戻っていった。
彼女の入院生活はまだ続く。
*さんは、後片付けもしていった。
本当に元気になったのだった。

教室に戻ると皆満足そうな顔をしていた。

充実感と心地よい疲労感。
「がんばってよかった」
と子どもたちの顔が言っていた。