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From:
伊藤 國夫
Sent:
October 01, 2004 23:55 PM
Subject: 「きょうは何の日」の放送内容について

  日本テレビ社長様 『おもいっきりテレビ』を、毎日楽しく観ています。しかし、9月28日の放送は、気になる内容のところがありました。当日の内容は、徳川吉宗の『享保の改革』でした。前半は、「見沼代用水」のことでした。問題は、後半の「越後国紫雲寺潟の干拓」のことです。新潟県(越後国)には、紫雲寺潟は存在しませんでした。「塩津潟」が、1060年の『康平の絵図』に既に存在しています。塩津潟の干拓は、新発田藩の初代藩主溝口秀勝侯以来、新田開発をしてきたものです。塩津潟の干拓を論ずるときは、江戸幕府が命じて作製させた二つの絵図で説明するのが一般的です。一つ目は、三代将軍家光が命令した『正保二年越後絵図』(1645年)です・二つ目は、五代将軍綱吉が命令した『越後国蒲原郡岩船郡絵図』(1700年)です。二つの絵図は、『塩津潟』と明記されています。だから「紫雲寺潟」というのは俗称です。本来の正式潟名は、「塩津潟」です。今回の説明で使用した『享保6年の絵図』は、一番信用のない絵図です。新潟県の関係者は、その不正確に気付き、『塩津潟』か、『塩津潟(紫雲寺潟)』と呼称し、記述しています。( )内にいれて説明しているのは、正式名にする移行期だからです。今回の貴社の放送で、新潟県内の教育現場では混乱を起こしています。全国放送で、「紫雲寺潟」で放送されたので、本当に困っています。貴社の早急な善処をお願いします。 真偽を、新潟県教育委員会や新潟県立歴史博物館等で調べてください。また、小生の著書『塩津潟は塩の道』(新潟日報事業社発行)〔初版平成15年8月20日・二版平成16年8月9日〕を、ご覧ください。更には、小生のホームページ『塩津潟の由来』を参照してください。 アドレスは、【http://www.inet-shibata.or.jp/^shionotsu/】です。 平成10年前後から新潟県から発信される公文書には、『塩津潟(紫雲寺潟)』となっています。 貴社のご高配を、お願い申し上げます。

塩津潟教育研究所  所長  伊藤國夫
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日本テレビ「おもいっきりテレビ」の「きょうは何の日」の放送内容の訂正が日本テレビのホームページに掲載されました。

放送は、平成16年9月28日です。
「享保の改革」の「新田開墾令が発布された日」の説明でした。
説明は、大部分「見沼代用水」の説明でした。後半に少し、「越後国・紫雲寺潟」の説明をしました。
この説明の訂正文が、10月1日に「きょうは何の日」のホームページに掲載されました。訂正文は、次の通りです。

◆番組中の情報
「紫雲寺潟は、平成10年前後から塩津潟と呼称・記述されるようになっています。「新潟県から発行されている公文書などは塩津潟(紫雲寺潟)」になっています。」