新発田郷土史会後資料    平成12年12月21日

会場:新発田市文化会館  塩津潟研究家:伊藤國夫

 塩津潟と都岐沙羅柵のロマン 


1 はじめに  --- 正保二年越後絵画の復刻版の完成 ---

2 新発田藩の歴史について『新発田市の取り組み

3 郷土の歴史が小・中学校の教材として続々登場

    (1)中条町の事例
    (2)豊栄市の事例
    (3)黒川村の事例
    (4)新発田市の事例
    (5)その他市町村の事例

4 「塩津潟」が紫雲寺潟に変わった理由がはっきりしない

    (1)大学教授の個人的な面子のこだわり・・・・・明確な論文が一つもない
    (2)各市町村の行政側の怠慢・・・・・・学者任せ
    (3)各市町村の住民のあきらめ・・・・・・自分たちには郷土の歴史を主張する勇気がない
    (4)塩津潟を紫雲寺潟に変えたという古文書がない
    (5)塩津潟と紫雲寺潟の2つの潟名に不自然
    (6)紫雲寺潟は、古絵画に記述してあるのが非常に少ない(2点)

5 「塩津潟」を正式名で呼ぶための手立て 〔「都岐沙羅柵」についても同様〕 

    (1)「塩津潟」の研究を、学者に働き掛ける
    (2)学者と行政との連携を強化
    (3)各大学関係者と連携を強化
    (4)各市町村の横の連携を強化
    (5)各市町村の議会が条令化・・・新発田市・中条町等
    (6)各市町村の所有している文化財を公開
    (7)関係する地区住民の意識の高揚
    (8)水辺の文化の見直し
    (9)新田開発を多角的に認識
    (10)新聞やテレビ等のマスコミの活用する 等々

※各市町村の『郷土史会』の
   活躍の場である。

6 「塩津潟」についての最新情報

  (1)「町のあゆみ」・村松浜郷土史 (中条町)
  (2)「塩津潟のうつりかわり」(おくやまのしょう・第25号)
  (3)中条町・蔵ノ坪遺蹟の墨書土器「津」の発見 (中条町)新潟日報報道
  (4)新潟県立歴史博物館の展示・書籍
  (5)各種手紙の紹介

7 都岐沙羅柵についての最新情報

「芳賀矢一博士 (東大大学教授・国学院大学学長)」

    (1)「月さら」に光が当たる(文芸 なかじょう 第27号)
    (2)県からのお知らせ(新潟日報平成12年11月19日付)
    (3)新潟県総務部広報公聴課の対応
    (4)加治川と古四王神社の森(新潟日報ミニック 平成12年10月1日付け)

 21世紀に向けての郷土史の取り組み

9 おわりに

【インターネット】

【塩津潟の由来】

http://www.inet-shibata.or.jp/~shionotsu/
《塩の津》

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