中条町役場ホームページ内の掲示板より 2004年9月4日  

 

 タイトル:「板額御前」しのぶ    投稿者:伊藤國夫

 新潟日報は、『中世の女傑・板額御前しのぶ』と平成16年9月4日付で紹介していま。「800年記念祭」以来、町民のアイデアを結集して中条町の歴史物語を楽しみなが、後世に伝承している活動は素晴らしいことだと思います。中条町民の大きな活力、新聞を読みながら感じています。本当におめでとうございます。
「歴史物語」と言えば、『塩津潟』も完全に復活しました。紫雲寺町の6月議会で、丸山員が、一般質問しています。これに対して、鬼嶋町長は「塩津潟は紫雲寺潟の干拓前にそのような表記をされて歴史的にも明確にあったわけであり、その時代を語るは塩津潟と表記すべきである。(以下省略)」と、はっきりと答弁しています。この内容、『紫雲寺町議会だより44号』で、紫雲寺町民にも知らされています。新潟県から発される公文書は、『塩津潟(紫雲寺潟)』の記述されるものが多くなってきました。ま、『都岐沙羅柵』についても、中条町に復活すると確信しています。その理由は、新県庁の4つの部署(知事部・新行政推進室・文化行政課等)が、既に認知しています。条町では、町も議会もその方向で活動しています。今回の「中条まつり」の新広告(新潟日報の9月2日付)で、西屋さんが『都岐沙羅柵(月さら)・塩の津』を「商標録出願中」と掲載していることは、非常に大きな後押しになると思っています。今後、中条町民の皆さんが、『都岐沙羅柵』を「板額御前」や「塩津潟」のように、歴史を切に守り育てていくことだと考えています。