三楽大学 講演資料

 日 時  平成16年5月14日 午後1時15分〜
 会 場  加治川村中央公民館
塩津潟教育研究所
    所長 伊藤 國夫

塩津潟・都岐沙羅柵が加治川村に与えた価値

 

 1 はじめに ⇒ 伊藤の生涯学習→塩津潟の復活へ【「塩津潟の由来」HPの開設】
                         【「塩津潟は塩の道」出版】
  (1) 新発田藩の新田開発の歴史  ⇒ 治水事業と食料増産・農業の振興
  (2) 新発田藩の郷土史の見直し  ⇒ 新潟県の歴史の見直しと訂正
  (3) 新発田市の地域おこしに活用 ⇒ 「塩止め事件」演劇の継続 等
     〔新発田市と合併 → 平成17年〕

 2 新発田市・中条町の三つの幻の解明 ⇒ 新発田藩における塩津潟の価値 →※1
  (1) 塩津潟   ⇒ 古絵図が語る歴史の真実
  (2) 塩の津   ⇒ 墨書土器「津」の出土    ⇒(中条町蔵ノ坪遺蹟)
  (3) 都岐沙羅柵 ⇒ 新発田市の古四王神社の由来 ⇒(諏訪神社との関連)
    (つきさらのき)

 3 塩津潟を立証する古絵図 ⇒ 「塩津潟は塩の道」の193ページ(13編)
  (1) 正保 2年 ⇒ 「越後絵図」        【1645年】
  (2) 元禄13年 ⇒ 「越後国蒲原郡岩船郡絵図」 【1700年】
  (3) 宝暦 6年 ⇒ 「日本輿地図」       【1756年】
  (4) その他多数

 4 新発田藩・三日市藩・黒川藩における塩津潟の価値 ←※1
  (1) 新発田市が所蔵している絵図
   @ 越後絵図(新発田市文化財・新潟県文化財) 〔徳川家光が制作を命令〕
   A 越後国蒲原郡岩船郡絵図(新発田市文化財) 〔徳川綱吉が制作を命令〕
  (2) 村上藩や天領との関連
  (3) 新発田藩の治水事業と新田開発
  (4) 塩津潟関連の河川舟運と日東道の共通点(平成14年10月開通)


 5 塩津潟が定着してきた大きな理由 →※2
  (1) 塩津潟の研究が、多数の学者に高まってきたこと
  (2) 学者と行政との連携が強化されたこと
  (3) 塩津潟の研究者が、各大学関係者と連携ができたこと
  (4) 新潟県及び各市町村の連携が頻繁になってきたこと
  (5) 各市町村が「塩津潟」を正式潟名であると明確な態度を取ってきたこと
  (6) 関係する地域住民が、「塩津潟」を再認識してきたこと
  (7) 「塩津潟」を「紫雲寺潟」と呼んでいる不自然さに気付いてきたこと
  (8) 「塩津潟」の正式潟名に訂正する手順・手続きが分かってきたこと
  (9) 新聞やテレビ等のマスコミが多く取り上げたこと
  (10) 新発田市民が、「塩津潟」を認識してきたこと
  (11) 多数の古絵図による立証ができたこと
  (12) 古文書による立証ができたこと
  (13) 遺蹟発掘の遺物・遺構による立証ができたこと
  (14) 各種副読本の発行がされたこと

 【 最近の諸活動 】
    ◎ 長岡あれこれ情報誌  『My−Skip』マイースキップ(3〜7月号)
    ◎ 『胎内川流域のわが郷土』 (平成16年3月発行)片野徳蔵氏
    ◎ 新潟日報         (平成16年5月4日付)
    ◎ 中条町日曜町議会     (平成16年3月7日)

 6 社会科・総合的な学習の時間の副読本の編集続出
  (1) 黒川村・中条町・・・・「胎内川の恵み」         ⇒ 平成14年
  (2) 黒川村・中条町・・・・「わたしたちの郷土 中条・黒川」 ⇒ 平成12年
  (3) 中条町    ・・・・「ふるさと中条」         ⇒ 平成10年
  (4) 新新発田市(平成17年に誕生)
  (5) その他

 7 「塩津潟」を教材にした学習の実践例
  (1) 新発田市立住 吉小学校
  (2) 新発田市立外ヶ輪小学校     ※ 新潟県教育研究集会で発表
  (3) 新発田市立車 野小学校      「総合的な学習の中に歴史学習を
  (4) 中 条町立中 条中学校       取り入れる一考察」
  (5) 中 条町立竹 島小学校      〜塩津潟の新田開発の歩み〜
  (6) 新発田市立東 豊小学校

 8 越後の『塩の道』の伝承
  (1) 阿賀野川ルート(塩津潟経由を含む)
     〔黒川→中条→塩津潟→加治川→新発田→聖籠→新潟→津川→会津ライン〕
  (2) 荒川(板谷峠)ルート
  (3) 80里越ルート
  (4) 60里越ルート
  (5) 糸魚川ルート
  (6) 沼田・渋川(三国峠)ルート

※2

 9 加治川村が正確に郷土史を伝承していくための方策
  (1) 加治川村所蔵の古絵図を新発田市民に啓発する
  (2) 加治川村議会が「塩津潟」とすると議決する
  (3) 加治川村の小・中学校用の副読本を早く編集し活用する
  (4) 加治川村歴史資料展を開催し、新発田市民に発信すること
  (5) 新潟県民に「塩津潟」であることを発信する ⇒ 旧金塚村
  (6) 「一村一価値づくり」や「地域おこし」等のイベントを開催する
  (7) その他 (新発田地域振興局の活用)   ・・・ 公共の事業
        (第1回”心のふるさと”)   ・・・ 民間の事業

10 都岐沙羅柵の比定地の確認と啓発活動 ⇔ 文部科学省の研究指定中→新潟大学
  (1) 旧築地村の村歌の作詞       ⇒ 芳賀矢一博士の作詞
  (2) 新発田市の古四王神社       ⇒ 阿部比羅夫
  (3) 渟足柵(沼垂城)・岩舟柵との関連  ⇒ 大和朝廷の三城柵

11 おわりに
  (1) 加治川村役場職員の認識と意欲 ⇒ 加治川村民の意識改革
  (2) 他市町村と連携        ⇒ 「塩の道」の連携
  (3) 日本全国に発信        ⇒ 加治川村役場のホームページ

  【塩津潟の由来】 〔ホームページアドレス〕
    http://www.inet-shibata.or.jp/~shionotsu
                   (塩の津)
      〔検索で「塩津潟」を開いても、見ることができる。〕

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