文芸しばた第29号 発行平成15年10月

塩津小学校と塩津中学校

伊藤國夫     

「塩津」という地名は、「塩」にかかわる大変由緒ある地名です。「塩」を送り出した「津」、即ち港があったことに由来しています。
日本国内で「塩津」と言う地名は、私が知っている所では4ヵ所あります。
例えば、1つ目は新潟県の中条町にあります。2つ目は、島根県平田市塩津町にあります。3つ目は、愛知県蒲郡市竹谷町にあります。4つ目は、滋賀県西浅井町に塩津中と塩津浜があります。
これらの「塩津」という地名は、いずれも「塩」と深くかかわりのある地名です。
愛知県蒲郡市竹谷町の「塩津」は、蒲郡市立塩津中学校の三浦教頭先生のお手紙によると、次のような由来がありました。
【蒲郡市の西部、三方に山を負い、南に海が開けたこの地は、往古より藤原俊成卿の開発地といわれる「塩津」であります。山紫に水清く、秀峰遠望峰山をはじめとする山々や、穏やかな流れの捨石川と尺地川、そして南に広がる三河湾は、今もかわらず我々に安らぎを与えてくれます。
この「塩津」は、明治22年10月1日に柏原村、竹谷村、西迫村、捨石村、鹿島村の5ヶ村が合併して「塩津村」が誕生しました。「塩」は、古くからこの土地の塩田で生産されておりました。「津」は、渡し場やあふれるという意味があることから、「塩」があるれる地「塩津」となったわけです。「塩津」の塩作りは、平安時代の9世紀には既に行われており、江戸時代からは、主産業としてこの地を支えてきました。江戸時代を通して海浜の望む地域では、塩の自給自足体制や販売による財源収入を意図して、製塩業の保護育成に力が入れられました。
「塩津」は、天領支配になったこともありました。
(中略)
塩田は、昭和28年の台風十三号の被害を受けて競艇場へと姿を変えることになりました。
昭和29年、蒲郡町と三谷町が合併して蒲郡市が誕生するまでの65年間の「塩津村」でありました。
いまなお「塩津」の名は、地域の人々とともに行き続けています。(塩津中 峠尚良)
現在は、塩津小学校、塩津中学校・塩津駅(JR東海道線)に、その名が残って降ります。】ということでありました。
また、島根県平田市塩津町にも、塩津小学校が現存しています。大森校長先生は、平田市の塩津町の由来について、調べて連絡してくれるそうです。
さらには、滋賀県西浅井町には、「塩津」という港が存在しています。滋賀県の場合は、「塩津街道」としても地域の人々から親しまれています。
塩津町の塩津小学校は、新潟からのフェリーに関するロマンが、映画化されています。また、滋賀県の塩津街道は、テレビのドラマとして全国に放映されました。
このように、愛知県や滋賀県や島根県では、「塩津」という地名を大切にしています。先人が、「製塩」にかかわった文化や伝統を、後世の人たちに正しく伝承していこうとする現代人の努力が、強く感じられます。
新潟県の阿賀北地方の「塩の道」についても、ようやく黒川村・中条町・新発田市の住民をはじめ、新潟県民にも再確認されてきました。
それは、黒川の塩沢・塩谷で生産された「塩」は、中条の「塩津」という港から送り出された事実が明確になってきたからです。それらの由来から、「塩津潟」という潟名になったといわれています。
これらの根拠は、新発田市や新潟県の文化財である越後絵図で判明しています。また、黒川村の文化財の「越後興地全図」や中条町の文化財「高井道円時茂譲状案」でも明白なことです。さらには、昭和22年まで、黒川の安城さん等が製塩の作業を行っていました。
現に塩沢に「高井戸」が2本現存しています。
「塩の道」は、黒川村からスタートして中条町・加治川村を通って、新発田市から聖籠町・豊栄市を経由して、新潟市に至っています。新潟市から、津川町を通って福島県へと達する「塩の道」が、復活するわけです。
現在はかなり連携ができてきました。
新発田市は、新発田藩から会津藩へ「塩」を送っていた藩なので、「製塩」や「塩の道」などの先人の営みを、後世の人々に伝承していく活動は非常に重要になってくると思います。
例えば、新発田まつりで以前実施した「井上久助の塩止め事件」の演劇や、「塩の道ウォークラリー」の継続は大変よいイベントだと思っています。
また、黒川村や中条町のように、小学校・中学校用の副読本を編集して、社会科や総合的な学習に活用することも大切になってきました。
その意味では、今年度の3月に新発田市議会で、長谷川晃議員が「塩津潟について」一般質問したことはとても有効だったと思います。それは、「塩津潟」が、蘇ってきて、認識を深めたからです。
「塩津潟は塩の道」という本が、8月に出版される予定です。これを機会に、全国の「塩津」にかかわる地域の住民が、地域おこしの交流を開始することを提案します。私は、新潟県と、島根県・滋賀県・愛知県などの子供たちの交流も、心から願っています。