新発田良寛会  講演資料

                         塩津潟教育研究所
                         所長 伊藤 國夫
 日 時  平成16年2月22日 午後1時30分〜
 会 場  新発田市文化会館

『良寛さん』と新発田市のつながり

 T 良寛さんと新発田市

 1 はじめに
  ○ 良寛さんと私      ⇒ 教育活動の教材化
  ○ 山田佐門校長との出会い ⇒ 玉川大学の労作教育〔小原國芳学長の哲学〕
  ○ 「塩の道」と良寛さん  ⇒ 米沢や柳津 等

 2 良寛さんと新発田市とのつながり
  (1) 新発田市への来訪   ⇒ 二度の関わり → 良寛さんと山田佐門校長
  (2) 良寛さんと敬和学園大学⇒ 延原時行教授等

 3 良寛さんと山田佐門校長
  (1) 道徳教育の重視    ⇒ 大規模校健康優良学校特選校
  (2) 集団指導と個別指導  ⇒ ティームテーチング
  (3) 「センス オブ シーズン」のシーズン制の指導 ⇒ 季節感〔感性〕

 4 良寛さんと新発田市立御免小学校
  (1) 山田佐門校長の時代  ⇒ 人間教育〔全人教育〕
                      (じねんろん)
  (2) 『開運の丘』の記念碑 ⇒ 健康の森〔自然論〕
      「わけのぼる しほりとなる松は 位なくとも うやまわれけり」
  (3) 身近になった良寛さん ⇒ アニメーションの作成と上映
  (4) 新発田市の児童生徒の良寛さんに対する意識が希薄 ⇒ 教育活動の希少化

 5 良寛さんと河川舟運
  (1) 良寛さんの行動範囲と思想
   @ 良寛さん  ⇒ 静から動へ
   A 上杉謙信侯 ⇒ 動から静へ

  (2) 良寛さんの阿賀北地方の足跡
   @ 新津
   A 新発田
   B 柳津
   C 米沢

  (3) 中国の蛾眉山

 6 良寛さんと教育活動
  (1) 良寛さんの教育素材 ⇒ 教材化
   @ 漢詩
   A 書道
   B 児童生徒の生徒指導

  (2) 全国良寛サミットの運営

  (3) 自然論(季節感)

 7 おわりに
  ○ 新発田市良寛会の活躍の場 ⇒ 若い人々への啓発
  ○ 良寛さんと新発田市の密接な関係 ⇒ 新発田市への啓発
  ○ 親子の接し方の在り方 ⇒ 現代の土・日曜日の休日〔生涯学習指導〕
  ○ 良寛さんとキリスト教 ⇒ 感謝する精神
  ○ 出雲崎や与板町との連携 ⇒ 新発田市で「全国良寛サミット」を開催?
  ○ 小原國芳学長と加藤僖一教授 ⇒ 玉川大学出版部から「良寛さん」の出版
  ○ 教育現場への提言 ⇒ 道徳や書道等の教材化 ⇒ 教育活動へ


 U 塩津潟と新発田市

 1 はじめに ⇒伊藤の生涯学習→塩津潟の復活へ 【「塩津潟の由来」HPの開設】
                         【「塩津潟は塩の道」出版】
  (1) 新発田藩の新田開発の歴史   ⇒ 治水事業と食料増産・農業の振興
  (2) 新発田藩の郷土史の見直し   ⇒ 新潟県の歴史の見直しと訂正
  (3) 新発田市の地域おこしに活用  ⇒ 「塩止め事件」演劇の継続 等
      〔新発田市と合併 → 平成17年〕

 2 新発田市の三つの幻の解明 ⇒ 新発田藩における塩津潟の価値
  (1) 塩津潟     ⇒ 古絵図が語る歴史の真実
  (2) 塩の津     ⇒ 墨書土器「津」の出土(中条町蔵ノ坪遺蹟)
  (3) 都岐沙羅柵   ⇒ 新発田市の古四王神社の由来 ⇒ 諏訪神社との関連

 3 塩津潟を立証する古絵図  ⇒  「塩津潟は塩の道」の193ページ(13編)
  (1) 正保 2年 ⇒ 「越後絵図」            【1645年】
  (2) 元禄13年 ⇒ 「越後国蒲原郡岩船郡絵図」     【1700年】
  (3) 宝暦 6年 ⇒ 「日本輿地図」           【1756年】
  (4) その他多数

 4 新発田藩における塩津潟の価値
  (1) 新発田市が所蔵している絵図
    @越後絵図(新発田市文化財・新潟県文化財)  〔徳川家光が制作を命令〕
    A越後国蒲原郡岩船郡絵図(新発田市文化財)  〔徳川綱吉が制作を命令〕
  (2) 村上藩や天領との関連
  (3) 新発田藩の治水事業と新田開発
  (4) 塩津潟関連の河川舟運と日東道の共通点(平成14年10月開通)

 5 塩津潟が定着してきた大きな理由
  (1) 塩津潟の研究が、多数の学者に高まってきたこと
  (2) 学者と行政との連携が強化されたこと
  (3) 塩津潟の研究者が、各大学関係者と連携ができたこと
  (4) 新潟県及び各市町村の連携が頻繁になってきたこと
  (5) 各市町村が「塩津潟」を正式潟名であると明確な態度を取ってきたこと
  (6) 関係する地域住民が、「塩津潟」を再認識してきたこと
  (7) 「塩津潟」を「紫雲寺潟」と呼んでいる不自然さに気付いてきたこと
  (8) 「塩津潟」の正式潟名に訂正する手順・手続きが分かってきたこと
  (9) 新聞やテレビ等のマスコミが多く取り上げたこと
  (10) 新発田市民が、「塩津潟」を認識してきたこと
  (11) 多数の古絵図による立証
  (12) 古文書による立証
  (13) 遺蹟発掘の遺物・遺構による立証
  (14) 各種副読本の発行

 6 社会科・総合的な学習の時間の副読本の編集続出
  (1) 中条町・黒川村・・・「胎内川の恵み」         ⇒ 平成14年
  (2) 黒川村・中条町・・・「わたしたちの郷土 中条・黒川」 ⇒ 平成12年
  (3) 中条町    ・・・「ふるさとの中条」        ⇒ 平成10年
  (4) 新新発田市  ・・・「   ?   」        ⇒ 平成17年?
  (5) その他

 7 「塩津潟」を教材にした学習の実践例
  (1) 新発田市立住 吉小学校
  (2) 新発田市立外ヶ輪小学校     ※ 新潟県教育研究集会で発表
  (3) 新発田市立車 野小学校      「総合的な学習の中に歴史学習を
  (4) 中 条町立中 条中学校       取り入れる一考察」
  (5) 中 条町立竹 島小学校      〜塩津潟の新田開発の歩み〜
  (6) 新発田市立東 豊小学校

 8 越後の『塩の道』の伝承
  (1) 阿賀野川ルート(塩津潟経由を含む)
     〔黒川→中条→塩津潟→加治川→新発田→聖籠→新潟→津川→会津ライン〕
  (2) 荒川(板谷峠)ルート
  (3) 80里越ルート
  (4) 60里越ルート
  (5) 糸魚川ルート
  (6) 沼田・渋川(三国峠)ルート

 9 新発田市が正式に郷土史を伝承していくための方策
  (1) 新発田市所蔵の古絵図を新発田市民に啓発すること
  (2) 新発田市議会が「塩津潟」とすると議決すること
  (3) 新発田市の小・中学校用の副読本を早く編集し活用すること
  (4) 新発田市歴史資料展を開催し、新発田市民に発信すること
  (5) 新潟県民に「塩津潟」であることを発信すること
  (6) 「一村一価値づくり」や「地域おこし」等のイベントを開催すること
  (7) その他 (新発田地域振興局の活用)   ・・・ 公共の事業
        (第1回”心のふるさと”)   ・・・ 民間の事業
         (マイ・コレクション・ワールド ・・・ 公共の事業

10 都岐沙羅柵の比定地の確認と啓発活動  ⇔ 文部科学省の研究指定中→新潟大学
  (1) 旧築地村の村歌の作詞       ⇒ 芳賀矢一博士の作詞
  (2) 新発田市の古四王神社       ⇒ 阿部比羅夫
  (3) 渟足柵(沼垂城)・磐舟柵との関連 ⇒ 大和朝廷の三城柵
     ※ 都岐沙羅柵(658年に初見)

11 おわりに
  (1) 新発田市役所職員の認識と意欲 ⇒ 新発田市民の意識改革
  (2) 他市町村と連携        ⇒ 「塩の道」の連携
  (3) 日本国民に発信        ⇒ 新発田市役所のホームページとリンク

【塩津潟の由来】 〔ホームページアドレス〕
   http://www.inet-shibata.or.jp/~shionotsu
                   (塩の津)  
    〔検索で「塩津潟」を開いても、見ることができる。〕

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