第3号
2002.4.16

新潟県立歴史博物館友の会会報


会員からの提言
  塩津潟の由来
伊藤國夫

「塩津潟」内に出土した青田遺跡シンポジウムには、大きな期待をしていきました。
しかし、残念ながら期待はずれでした。「川辺の縄文集落」の資料には、旧紫雲寺潟と記述してありました。現在は地域史の見直しから、塩津潟又は塩津潟(紫雲寺潟)として小・中学校の副読本に記述したものを学習に使用しています。この紫雲寺潟については、新潟県立歴史博物館内の展示にも「正保二年越後絵図」があります。三代将軍徳川家光が作成させたものです。この越後絵図は「塩津潟」と明記されています。
塩津潟は一日も早く正しい潟名で呼称さえることを、強く強く願っているものです。古絵図による立証ができているので、学問としての訂正を提言致します。

(平成14年3月17日 塩津潟研究家)

(伊藤会員からは、塩津潟に関する次の資料が事務局まで届いております)
・「地域素材を教材化し、体験的に学ぶ社会科学習」『研究紀要』第24集
新潟県小学校教育研究会・北裏原郡小学校教育研究協議会 平成13年11月
・『中条町郷土読本 ふるさと中条』中条町教育委員会 平成10年9月
・「塩津潟が急激に市民権を獲得」『文芸なかじょう』第28号
・その他 講演会資料・講演会のビデオ・CD-ROM

※新潟県立歴史博物館の「米づくり」コーナーには、江戸時代中期の「紫雲寺潟干拓絵図」を展示しています。つまり、「塩津潟」「紫雲寺潟」の双方は館内にあるわけです。この件については、今後改めて博物館の考えを皆様にお伝えできるようにしたいと思います。(事務局)