長岡あれこれ情報誌 Vol.41 My-Skip 6月号  2004.06 

八十里越の「塩の道」C

大和朝廷軍への米と塩の提供

 マイスキップ4月号の「知事ふるさとを考える集い」の項目の中で、新潟県内の渟足柵(新潟市付近)・磐舟柵(村上市付近)・都岐沙羅柵(中条町付近)等にも米や塩を送っていることを記述しました。
  県内の城柵についての研究は、文部科学省の研究指定を受けて、第4回シンポジウム”地域と地域史研究の未来を語る”『渟足柵探求の4ヵ年』と題して平成16年2月29日に新潟市で発表しています。この資料集の中にも、渟足柵・磐舟柵・都岐沙羅柵について説明しています。
  この研究は、新潟大学の小林昌二教授を代表者とし、各大学の研究調査チームを編成したものです。これらの三つの城柵にも、それぞれ「塩の道」が存在したものと考えています。大和朝廷と新潟県との関係については、梅原猛が行く越後古の旅Bの中で、「奴奈川姫伝説」で掲載していました。この研究調査チームによる研究結果は、新潟県及び各市町村の地域振興に多大な影響を与えるものと思っています。


( 沼垂城の木簡 )

「塩の道」の展示による県民への啓発

 新潟県立歴史博物館友の会主催の研修旅行が、5月8日(土)にありました。見学場所は、真田宝物館・真田邸・旧文武学校・松代城(海津城)、長野市立博物館、長野県立歴史館、森将軍古墳間でした。好天に恵まれ、長野の歴史を見学し、体験的な研修旅行に楽しい一日を過ごすことが出来ました。その中でも特に印象に残ったのは、『長野県立歴史館』の「塩の道」の展示コーナーでした。長野県の松本を中心とした地図に、日本海側と太平洋側から「塩の道」が、電光掲示板で表示される地図は、とても良く出来ていました。
  マイスキップ5月号に記述した『県内の塩の道啓発を考えよう』の提言は、このような施設設備を私は考えていたのです。4月号に記述したように県内の「塩の道」は、大きくまとめて6つのルートがあります。新潟県の地図の上に、この6ルートを、電光掲示板で表示したら、分かり易いコーナーが出来ると思っています。新潟県立博物館内に、「塩の道」のコーナーが一日も早く完成する日を心待ちにしています。関係各位の努力に、大きな期待を寄せています。長岡市では、下記のような『塩の道記念碑』を、市民の力で建立することをお薦め致します。
  新潟県の場合は、「塩」が有り余っているのであまり大切に扱わない傾向があります。しかし、「塩」を受け入れている地域では、「塩の博物館」を建設したり、「塩の道」の記念碑を建立したり、「祭り」の中に、「塩」を位置付けて後世にきちんと伝承している努力が感じられます。
  例えば、新潟県黒川村では、「塩の取れた場所」や『この処土塩あり』という古絵図を活用したり、副読本に掲載したりして児童生徒の学習に役立てています。また、新発田市では、新発田祭りに『この豊かなる大地の賛歌』と題して、新発田城公園で「井上久助の塩止め事件」を演劇で上演したりしています。中越地方には、これに類したことないものでしょうか。

塩津潟教育研究所  伊藤 國夫