長岡あれこれ情報誌 Vol.40 My-Skip 5月号  2004.05 

八十里越の「塩の道」B

塩の道と三坂峠
 塩の道は、峠と深い関係にあります。新潟県の海岸線は、360キロメートルも続いています。それと相俟って、越後山脈等に囲まれており、隣接県との交流は『峠』を越えなければなりません。
 例えば、長岡市からは、三国峠があります。現在の国道は、昔切り開いたこれらの峠と関連を持っています。三国街道・国道17号・関越高速自動車道は、その例です。「三坂峠」とは、「御坂峠」とも書くように「御」という字が付いているのは、「大切な峠」という意味もあるようです。そのためか新潟県内には、「三坂峠」というのがいくつかあります。例えば、六十里越を経て会津坂下に至る三島三坂山があります。また、群馬県四万に出る稲包み山の三坂峠(国道353号)や、小千谷から堀ノ内を経て、三坂峠を越えて十日町に通ずる「塩の道」(国道252号)もありました。上越地方にも、牟礼三坂峠や小谷三坂峠等が挙げられます。
 現在の国道は、「塩の道」が礎になっていると言っても過言ではないでしょう。このように、長野県や群馬県や福島県等へは、峠越えをした「塩の道=ソルトロード」が存在し、人間の生活を支えた『塩』の往来があったわけです。この資料は、長岡市在住の遠山様からの提供によるものです。

八十里越と六十里越の塩の道との関連
 八十里越の塩の道は、十里越の塩の道と、密接な関わりを持ちながら営まれていたものと思います。六十里越の塩の道は、柏崎から小千谷を経て只見・叶津に通じています。これらの「塩の道」に関わった人々は、競争をしながらも互いに協力しあっていたものと思います。その意味では、中越地方の長岡市や柏崎市や小千谷市等は、協力して「塩の道」を通した地域おこしや地域づくりに取り組むことをお勧めします。
 『ソルトロード』を、「火焔土器の道」のように立ち上げてはどうでしょう。【県内の「塩の道」啓発考えよう】この標題は、糸魚川市のボッカ運搬用具が、国の重要有形民俗文化財に指定されたことを、新潟日報『窓』欄に掲載(平成16年1月28日付)されたものです。糸魚川市根知の「塩の道資料保存会」は快挙であると思います。私は、「今回のこの良き機会に、新潟県立歴史博物館内に”塩の道”を展示すること」を提言したものです。この提言に対して、県立歴史博物館の小林達雄館長は、新潟日報『窓』欄に回答を寄せてくださいました。
 「今後、各街道の現状把握、文献史料や民俗調査などを総合的に行い、それぞれの社会的・文化的・地域的特徴を把握した上で、展示などについて検討してまいりたい。」とのことでした。八十里越の塩の道に関わる長岡市に、『塩の道』を記念した記念碑等を建立しては如何でしょう。『塩の道』を後世に伝承するためのモニュメントが、是非ほしいものですね。
 阿賀北地方の「塩の道」については、地域住民にかなり認識されてきたいます。各市町村の生涯学習課や小・中学校や大学等で、取り入れられています。今年は、既に4回の講演を行ってきました。5月には、三楽大学の講演を予定しています。中条町と黒川村では、塩の道に関わる『塩津潟記念公園』(仮称)の造設計画も、推進されています。

翡翠(ひすい)の道
 糸魚川の「翡翠」は、全国に送り出されています。新潟県内でも、遺跡の発掘によって「翡翠」が数多く出土しています。「翡翠の道」が、県内に存在していたわけです。「翡翠の道」は、「塩の道」でもあったことが確認されています。例えば、糸魚川から姫川に沿って大町から松本に至る街道(国道148号)は、「塩の道」とも呼ばれています。長岡市周辺の遺跡発掘によって、翡翠は出土しているので、「翡翠の道」はあったものと考えています。長岡市は、「火焔土器の道」や「翡翠の道」や「塩の道」等の要衝地になっています。この歴史的な事実としての『宝』を、地域お
こしにもっともっと活用すべきであると、私は提言したいのです。


新発田郷土史会の講演(4年目)

塩津潟教育研究所  伊藤 國夫