敬和学園大学 講和資料平成15年11月14日
会場 敬和学園大学
塩津潟教育研究所 所長 伊藤國夫
「塩津潟は塩の道」
1 はじめに
@「塩津潟」と「紫雲寺潟」の疑問
A「塩津潟」素材を教材化する工夫と努力
B地域素材の開発
2 「塩津潟は塩の道」の出版意義→新潟県及び阿賀北地方に与えた影響
@塩作りと米作り
A中世の様子と古代の様子
B現代の様子と未来への文化や歴史の伝承
3 塩津潟と私の出会い → ライフワークとしての研究
@「塩津潟」に出会った年齢
A玉川大学に就職 = 小原国芳学長の教育哲学
B新潟県の教職員に採用
C新発田市の教員として着任
D敬和学園大学との出会い = 北垣宗治学長の教育哲学
4 塩津潟が紫雲寺潟と呼称された経緯
@「塩津潟」が登場する年代 → 1277年 中条町
A「紫雲寺潟」が登場する年代 → 1728年 新発田市
B「津」の墨書土器の出土 → 800年 中条町
5 塩津潟を正式名称に戻すための工夫と努力
@古絵図による立証
A古文書による立証
B教育活動の実践
C各大学の教授との連携
D各市町村長さんへの啓発
E論文による発信
Fホームページ「塩津潟の由来」に発信 (6692回(11月7日現在))
G「塩津潟は塩の道」の出版
H教職員への研修
6 新潟県及び各市町村の取り組み = 市町村史の改定又は追加版及び福読本の編集
@新潟県
A各市町村
B中条町
C新発田市 → 地域学としての『新発田学』の誕生
Dその他
7 大和朝廷が新潟県に設置した3つの城柵
@沼垂柵 647年 新潟市沼垂付近
A岩船柵 648年 村上市岩船付近
B都岐沙羅柵 658年 中条町築地付近
8 今後の課題と取り組み = 阿賀北地方の「塩の道」による地域おこし
@新潟県
A各市町村
・新潟市
・新発田市
・豊栄市
・中条町
・黒川村
・加治川村
・津川町
・安田町
・村上市
・その他
9 おわりに
@「塩津潟教育研究所」の今後の活動
・「塩津潟」の啓発の継続
・「都岐沙羅柵」の研究と啓発の継続
・教育現場での実践
A敬和学園大学の学生さんの活躍に期待
B郷土を愛する児童生徒・社会人の育成
∞伊藤 國夫のホームページ『塩津潟の由来』 平成6年解説 最近アクセス数が急増∞
》 http://www.inet-shibata.or.jp/^shionotsu 《
【 平成14年8月14日 3492回 → 平成15年11月7日 6692回 】
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