掲示板から発信 2012

投稿日 投稿内容
2012/12/07(Fri) 12:11

敬和祭

敬和学園大学の「敬和祭」に、今年で4回目の参加になる。
会場〓同大学の尋真館
期日〓平成24年10月20日.21日
内容〓「徳川家光図と新発田藩」
    「大和朝廷の城柵「都岐沙羅柵」
本年の学園祭等の参加は、小・中学校、高校、大学等で13回のイベントを実施し、児童・生徒・学生とコミニュケーションをとることができた。新潟県の歴史の啓発に努めた。
2012/12/07(Fri) 11:57

都岐沙羅柵

「ラジオ郷土史講座」7月分
1日→都岐沙羅柵と文化セミナー
8日→都岐沙羅柵とひとかご山
15日→大和朝廷の城柵と青田遺跡
22日→郷土史講座1
29日→郷土史講座2
2012/12/07(Fri) 11:51

都岐沙羅柵

「ラジオ郷土史講座」11月分【新潟県と都岐沙羅柵の関係】
4日→「渟足柵と河川舟運」と古絵図との関連
11日→「磐舟柵と河川舟運」と古絵図との関連
18日→「都岐沙羅柵と河川舟運』と古絵図との関連
25日→渟足柵⇔都岐沙羅柵⇔磐舟柵の関連
2012/12/07(Fri) 11:46

都岐沙羅柵

「ラジオ郷土史講座」10月分【塩津潟と都岐沙羅柵の関連】
7日→塩津潟周辺の城柵の位置
14日→都岐沙羅柵の防人の人数・住居・食料
21日→塩津潟周辺の伊夜日子神社・弥彦神社
28日→塩津潟南辺の古四王神社の阿倍比羅夫

2012/12/07(Fri) 11:40

都岐沙羅柵

「ラジオ郷土史講座」9月分
8月26日は、『塩津潟は塩の道』の第二版出版に訂正
9月2日→ホームページ『塩津潟の由来』を開設
9日→第1回「巡検」
16日→第2回「巡検」
23日→「巡検展」
30日→「各種講演」
2012/12/07(Fri) 11:32

都岐沙羅柵

「ラジオ郷土史講座」8月分
8月5日→新発田と都岐沙羅柵.12日→芳賀矢一博士と都岐沙羅柵.19日→『塩津潟は塩の道』の出版と都岐沙羅柵.26日→ホームページ『塩津潟の由来と都岐沙羅柵』
2012/12/05(Wed) 18:02

ラジオ郷土史講座の延長

大和朝廷の城柵「都岐沙羅柵」の延長をする。
7月1・8・15・22・29日
2012/12/05(Wed) 17:55

敬和祭に参加する

敬和学園大学の学園祭に「大和朝廷の城柵「都岐沙羅柵」を展示する。平成24年10月20・21日。今年で4年めの参加である。多くの学生や市民が、参観してくれた。
2012/12/05(Wed) 17:51

芳賀矢一博士のお孫さん来訪

東京の芳賀さんが、新発田市・胎内市を来訪する。10月10日
胎内市→築地村歌や芳賀家の資料と対面する。ひとかご山の古墳を見学する。胎内市長を表敬訪問する
新発田市→古四王神社を参拝する。
2012/10/02(Tue) 17:36

小琴祭・中条高校の学園祭

中条高校の学園祭「小琴祭」に、『大和朝廷の城柵”都岐沙羅柵展”』を展示します。
とき→平成24年10月27日(土)10時〜14時30分
ところ→新潟県立中条高等学校
内容→塩津潟と都岐沙羅柵
ひとかご山の古墳と時代が近いです。古墳時代です。
「市報たいない171(10月1日号に掲載してあります)
www.inet-shibata.or.jp/^shionotsu/
2012/10/01(Mon) 07:21

都岐沙羅柵が結ぶ両市の縁

大和朝廷の城柵「都岐沙羅柵」は、新発田市と胎内市を歴史の上でうまく結び付けている。新発田市は、五十公野の古四王神社の防人の将軍「安部比羅夫」を祀っている。胎内市は、築地村歌の「〜史に名高きつきさらの〜」である。いずれも城柵と深く関わっている内容である。
両市は、この歴史的事実を明確に後世に伝承することが大切と考える。
www.inet-shibata.or.jp/^shionotsu/
2012/10/01(Mon) 07:13

高校の教師と交流

塩津潟の研究は、高校の教師との交流が挙げられる。@『塩津潟は塩の道』の出版記念祝賀会は、高校長会事務局長の小柴氏。A県内の高校の地理・歴史・公民の担当教師に、「塩津潟は塩の道」の講演をした。10年くらい前のことである。B高校の学園祭に参加。4校〔中条・新発田・西新発田・私立中央〕の合わせて六回。
www.inet-shibata.or.jp/^shionotsu/
2012/10/01(Mon) 06:58

大和朝廷の城柵

『古代日本とアジア』の教材(掛け軸)は、城柵を記述してある。渟足柵→647年、磐舟柵→648年、この掛け軸には、都岐沙羅柵→658年が記述していない。出羽柵→712年、多賀城→724年、桃生城→758年、雄勝柵→758年、牝鹿柵→(  )、新田柵→(   )、伊治城→767年、秋田城→733〜761年、胆沢城→802年、志波城→803年とある。
この教材は、都岐沙羅柵が、山形県の出羽に存在したとは考えられない。また、秋田県のきさ潟でないことは明確である。
www.inet-shibata.or.jp/^shionotsu/
2012/10/01(Mon) 06:44

大和政権と密接な関係

新潟日報は、胎内市大塚のひとかご山の古墳発掘の大ニュースを伝えた。畿内と同等の副葬品出土が、大きな見出しである。平成24年9月7日付である。この発掘調査の結果が、大和朝廷の城柵「都岐沙羅柵」と大きく結びつける歴史的な立証に発展した。
私が『塩津潟は塩の道』に、「よみがれ!都岐沙羅柵」をまとめて出版したのは、平成15年8月8日のことである。胎内市の歴史が、古墳時代まで遡ることが、見事に立証された。
www.inet-shibata.or.jp/^shionotsu/
2012/10/01(Mon) 06:34

温泉

新潟日報に「塩をテーマに楽しい探訪」が、掲載された。これは、私のライフワーク『塩の道』に関する内容である。平成24年9月9日付である。
9月1日付では、「中世に思いはせて」として阿賀野市山口野中遺跡についても、写真が掲載された。この遺跡は、河川舟運の新津⇔阿賀野市⇔新発田市の内水面交通の当時の様子が良く分かる遺跡である。塩津潟の舟運が、想い起こされる。
www.inet-shibata.or.jp/^shionotsu/
2012/10/01(Mon) 06:21

小琴祭

新潟県立中条高校の学園祭に、「大和朝廷の城柵〜都岐沙羅柵展〜」を開催する。期日〓10月27日(土)。会場〓中条高校。内容〓ひとかご山の古墳に関連する。
胎内市の古代の歴史を、鑑賞してしてみてください。
www.inet-shibata.or.jp/^shionotsu/
2012/10/01(Mon) 06:07

敬和祭

敬和学園大学の学園祭に、「徳川家光図と新発田藩」と写真展を、行う。期日〓平成24年10月20・21日。会場〓敬和学園大学〔尋真館→二階のJ211教室〕。内容〓@塩津潟と新発田藩、A大和朝廷の城柵「都岐沙羅柵」。是非、ご覧ください。
2012/10/01(Mon) 05:54

河川舟運による塩の道

新潟県高等学校長OB会の講演「河川舟運による塩の道」が、9月28日実施した。講演の後に、巡検を行った。会場は、胎内市の柴橋地域ふれあいセンターである。巡検した場所は、胎内市(9ヶ所)や新発田市(8ヶ所)の塩津潟や都岐沙羅柵に関連する15ケ所。時間は、9時40分〜15時30分。充実した一日であった。
2012/10/01(Mon) 05:45

塩津潟・都岐沙羅柵展

この古絵図展が、柴橋地域ふれあいセンターで「ラジオ郷土史講座」開設を記念して実施している。期間は、平成24年7月1日〜9月30日であるが、11月2日の講演「塩津潟の持つ歴史的な価値』の計画を受けて、11月まで延長されることになった。
2012/10/01(Mon) 05:38

ラジオ郷土史講座の延長

大和朝廷の城柵〜都岐沙羅柵〜のエフエム放送が、7月〜9月に続き10月1日〜12月30日まで3か月延長された。
これは、胎内市の「ひとかご山」の古墳が、大和朝廷と密接に関連することが出土品によって、明らかになったからである。
2012/08/20(Mon) 09:37

エフエムしばた「ラジオ郷土史講座」

大和朝廷の城柵「都岐沙羅柵」についての、「ラジオ郷土史講座」が、7〜10月まで放送される。
毎週日曜日の0時30分から約20分間である。既に何回か放送済みである。
塩津潟と都岐沙羅柵にスポットを当て、胎内市と新発田市の歴史を主なないようにしている。
2012/08/20(Mon) 09:31

CD作成が新潟日報に掲載

胎内市立築地中学校で行われた「村歌のCD作成』の様子が、新潟日報の平成24年8月14日付に掲載された。「旧築地村歌 構成に」である。
2012/08/20(Mon) 09:24

築地村歌のCDを作成

築地村歌のCD作成を、胎内市立築地中学校において実施した。城
城柵に関連する「〜史に名高きつきさらの〜」の歌詞を歌いこんだ録音をした。このCDの村歌により村歌が、これからも歌い継がれることだろう。
2012/08/20(Mon) 09:18

胎内市議会だより

赤塚議員が、「都岐沙羅柵について」胎内市長に一般質問した。そのことが、『胎内市議会だより』30(平成24年5月21日)に掲載された。
城柵「都岐沙羅柵」が、胎内市議会に上程された。都岐沙羅柵が、一段と認識を深めた。
2012/08/20(Mon) 09:14

市報たいない147

「文化セミナー&ワークショップ」の案内が、『市報たいない』平成23年10月1日号に掲載された。
10月に、5回シリーズで実施した。会場は、柴橋地域ふれあいセンターである。 
2012/08/20(Mon) 09:08

「村歌と都岐沙羅柵」新潟日報に掲載

「築地村歌と大和朝廷の城柵」〜都岐沙羅柵〜が、新潟日報に掲載された。平成24年7月21日付
新潟県内に、城柵が三つあることが報道された。@渟足柵(647年)〓新潟市、A磐舟柵(648年)〓村上市、B都岐沙羅柵(658年)〓胎内市
新潟県内の3城柵説である。
2012/08/20(Mon) 09:00

講演・築地村歌と都岐沙羅柵

築地村歌と大和朝廷の城柵「都岐沙羅柵」の関連を講演。会場は、胎内市立築地小学校。
2012/08/20(Mon) 08:57

築地村歌等から都岐沙羅柵へ

旧築地村の村歌をね大和朝廷の城柵「都岐沙羅柵」の解明に活用する。村歌の作詞者は、芳賀矢一博士である。東京大学教授、後の國學院大學の学長を勤めた博士である。
2012/06/05(Tue) 09:37

研究員の委嘱状

新発田学研究センターの研究員の委嘱を受ける。
敬和学園大学の新発田学研究センター平成24.5.28
2012/06/05(Tue) 09:35

胎内市

「市町村の胎内市」に、2ページ追加する。平成24.5.18
2012/06/05(Tue) 09:33

都岐沙羅柵・(つきさら)

都岐沙羅柵に、8ページ追加する。平成24.5.18
2012/06/05(Tue) 09:31

塩津潟・都岐沙羅柵の巡検展

第28回「塩津潟・都岐沙羅柵の巡検展」を開催する。
期間⇒平成24.3.26.〜4.6
会場⇒柴橋地域ふれあいセンター
これは、第二回「巡検」を記念して開催したものである。
2012/06/05(Tue) 09:27

『新発田学』

新発田学研究センターの年報『新発田』第三号を九ページ追加する。平成24.5.18
2012/06/05(Tue) 09:24

新潟日報

「新聞等掲載」に、5ページ追加する。平成24.5.18
2012/06/05(Tue) 09:22

郷土史講座

「各種講演会』に、10ページ追加する。平成24.5.18
2012/06/05(Tue) 09:19

新発田学研究員の委嘱

新発田学研究センターの研究員の委嘱を受ける。
敬和学園大学の研究センターである。
2012/04/27(Fri) 16:24

塩津潟を新田開発した新発田藩

JA北越後年金友の会五十公野支部が、依頼した講演である。平成24年4月5日の講演は、約75人の参加者である。新発田市の歴史と胎内市の歴史の共通点を、理解していただいたものと思っている。
2012/04/27(Fri) 16:19

”都岐沙羅柵の比定地”の標柱設置を記念して

郷土史研究会の講演を、平成24年3月22日に実施した。演題は、「”都岐沙羅柵の比定地”の標柱設置を記念して」である。当研究会の講演以来は、今回で4回目である。平成10年頃からの研究である。
標柱が、3ヶ所に設置できたことは喜ばしいことである。
2012/04/27(Fri) 16:11

”都岐沙羅柵の比定地”の標柱設置

大和朝廷の城柵「都岐沙羅柵」の比定地を、胎内市築地に3ヶ所設置した。(平成24年3月22日)
@弥彦(伊夜日子)神社
A観音様(月更工場)
B築地新
いずれも、塩津潟の北辺の湊に接している。
2012/04/27(Fri) 16:04

塩津潟と都岐沙羅柵の巡検

巡検の内容は、二つである。
(1)塩津潟の位置・大きさ・形・歴史・紫雲寺潟との違い等
(2)都岐沙羅柵の位置・大きさ・大和朝廷との関連・歴史等
(3)胎内市築地の由来
(4)新発田市五十公野の古四王神社の由来
(5)胎内市の博物館等の見学
  @奥山荘歴史の広場
  Aシンクロトン記念館
  B黒川郷土伝習館
  C胎内市役所・新発田市紫雲寺支所からの観察
  D伊夜日子神社の由来
  E遺跡の観察⇒野付遺跡・青田遺跡・蔵の坪遺跡・城の山  遺跡
  F塩津潟資料室・考古資料室
  G塩津潟と都岐沙羅柵の巡回展 等
2012/04/27(Fri) 15:49

郷土史講座

胎内市・新発田市の郷土史の『塩津潟と都岐沙羅柵について』を、3会シリーズで開催した。
(1)「築地と都岐沙羅柵」 ⇒2月19日
(2)「中条と都岐沙羅柵」 ⇒2月26日
(3)「新発田と都岐沙羅柵」⇒2月27日
「塩津潟と都岐沙羅柵」を、関連付けた内容である。
2012/04/27(Fri) 15:40

幻の都岐沙羅柵のPR

新潟日報に『幻の都岐沙羅柵をPR』が、掲載された。(平成24年3月30日付)
胎内市築地に、3ヶ所に標柱を設置した内容である。
「都岐沙羅柵」は、胎内市築地説を採っている。
(1)渟足柵   ⇔新潟市647年
(2)磐舟柵   ⇔村上市648年
(3)都岐沙羅柵 ⇔658年
大和朝廷の城柵は、新潟県内に3城柵ある。その根拠は、
@旧築地村の村歌にある「史に名高きつきさらの」という歌 詞がある。
A『倭名類聚抄』(京都大学編)に、「都岐沙羅柵が渟足柵や 磐舟柵の両柵の間にあると記した文献等を挙げている。
2012/04/27(Fri) 15:24

「塩津潟資料室の活用

収蔵及び展示内容が、充実してきた。平成23年10月以来6か月間に、多く活用していただいた。
(1)古絵図展 ⇒5回
(2)講演   ⇒8回
「塩津潟の由来」や「都岐沙羅柵の歴史」を、多くの人々に啓発することができた。
2012/04/27(Fri) 15:14

『都岐沙羅柵』扁額修復完成祝い

『都岐沙羅柵の比定地』の標柱設置を記念して、上記の「扁額修復完成祝い」(平成17年12月25日)を参会者にお配りした。(平成24年3月22日)
この扁額は、旧築地村の村歌である。作詞者は、芳賀矢一博士(元國學院大學長)である。
2012/04/27(Fri) 15:06

『新発田学』第3号

敬和学園大学「新発田学研究センター」の、年報第3号が発刊(平成24年3月1日)された。
伊藤が寄稿した内容は、「塩津潟が復活した要因 三」である。
(1)創刊号「塩津潟が復活した要因 一」
   〜古絵図に視点を当てて〜
(2)「塩津潟が復活した要因 二」
   〜古文書・市町村史に視点を当てて〜
(3)「塩津潟が復活した要因 三」
   〜遺跡発掘調査結果に支点を当てて〜
伊藤が50年以上のライフワークが、掲載されている。
2012/04/27(Fri) 14:55

柴橋地域ふれあいセンターでの活動

塩津潟教育研究所の当センターでの活動事例
《平成23年10月3日開設以来今日までの活動》
(1)「塩津潟等の古絵図展⇒4回
(2)文化セミナー&ワークショップ⇒5回
(3)郷土史講座⇒3回
(4)塩津潟と都岐沙羅柵の巡回展
旧柴橋小学校(当センター)の活動事例である。
2012/04/27(Fri) 14:43

新潟日報に3回掲載

「こしじウィークリー」に紹介される。《内容は、市報胎内と同じ》
(1)文化セミナー&ワークショップ
(2)郷土史講座
(3)塩津潟と都岐沙羅柵の巡検
塩津潟教育研究所のイベントが、紹介された。
2012/04/27(Fri) 14:37

市報たいないに3回掲載

塩津潟教育研究所の活動3例
(1)文化セミナー&ワークショップH23年10月@4日塩津潟と新発田藩A11日塩津潟周辺の観察B18日塩津潟と青田遺跡C25日塩津潟と都岐沙羅柵D31日塩津潟が復活した要因
(2)郷土史講座「塩津潟と都岐沙羅柵の歴史」H24年2月@19日築地と都岐沙羅柵A26日中条と都岐沙羅柵B27日新発田と都岐沙羅柵
(3)「塩津潟と都岐沙羅柵の巡検」H24年3月27日
胎内市の歴史を、学習することができた。
(2)