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2011/12/23(Fri) 12:49 | 都岐沙羅柵658年大和朝廷は、新潟県に三つの城柵を設置した。、1渟足柵647年(新潟市)。2、磐舟柵648年(村上市・岩船郡)。3、都岐沙羅柵658年(新発田市・胎内市)と考えている。「塩津潟と都岐沙羅柵のロマン展」を、七回取り上げて実施した。 @エフエムしばた「新発田再発見」。A『ミニック』の「ふるさとの民話」。B敬和祭(敬和学園大学)。C文化セミナー。D小琴祭(県立中条高校)。E柴橋地域ふれあいセンター。F『BM美術の杜』Vol.27である。 特に、『BM美術の杜』は、学問の視野からの論述である。 |
2011/12/23(Fri) 12:16 | 塩津潟の由来のアクセス『塩津潟の由来』のホームページは、52427回のアクセス数を数えた。平成6からのアクセスである。書籍『塩津潟は塩の道』の啓発と相乗効果を示している。塩津潟教育研究所や「塩津潟資料室」や「伊藤國夫展」等の諸活動を充実している。ご覧いただきたい。 |
2011/12/23(Fri) 12:10 | 世界歴史文化研究大賞の受賞『BM 美術の杜Vol.27』に、掲載された。受賞理由は、@塩の道や岩塩のことで海外旅行をした。〔北極経由で欧州へ(冬)、赤道経由で欧米へ(夏)、ロシア経由でオーストリアへ(秋)、赤道通過でオーストラリアへ(春)〕、A海外の芸術祭に出展〔フランス、イタリア、トルコ、オーストア、モンゴル、モナコ、オーストラリア、中国など〕B海外の書籍への掲載が挙げられる。フランス芸術協会実行委員会から、平成23年12月1日の授与である。 この大賞は、本年7月の『塩津潟復興功労大賞』の受賞に続くものである。 |
2011/12/23(Fri) 11:47 | 日仏芸術祭2011「日仏芸術祭2011」に、出展した。会場は、フランスのパリ。27歳(冬季)と30歳(夏季)の時に、パリに行った事を回想している。いずれもルーヴル美術館に入って感激したことを、私のアートに生かしている。この「帰国展」にも参加した。 これは「東日本大震災チャリティーワインラベル展」を、併設したものである。 |
2011/12/23(Fri) 11:34 | 塩津潟資料室の活用「塩津潟資料室」を、胎内市に解説した。開設記念に、イベントを企画した。@「塩津潟は塩の道展」A「塩津潟を復活させた絵図たち展」4回、B「塩津潟と都岐沙羅柵のロマン展」3回、C「塩津潟の文化セミナー&ワークショップ」5回シリーズ、Dエフエムしばたの放送13回シリーズである。これらの活等は、いずれも平成23年の実施である。 新年の活動を、計画中である。 |
2011/12/23(Fri) 11:22 | 「ふるさとの民話」の執筆新潟日報の『ミニック』に、「ふるさとの民話」を約五年間執筆した。Vol.55に達した。塩の道=塩津潟に関する民話が中心である。身近な民話から「郷土の歴史」を、理解していただいた。 |
2011/12/23(Fri) 11:15 | エフエムしばたで放送エフエムしばたで放送したのは、今回で三回目である。塩の道=塩津潟を、「郷土の民話」から迫った内容である。一回目は、4回シリーズ。二回目は、5回シリーズ。三回目は、13回シリーズである。阿賀北地方の民話は、親近感を持って聞いてくれたようである。 |
2011/12/23(Fri) 11:07 | 伊藤國夫展・古絵図展『伊藤國夫展』は、古絵図展を含めて27回実施した。展示は、塩津潟や都岐沙羅柵の研究、写真、書、書籍等である。27回のうち10回は、二大学四高校の学園祭に出展した。 敬和祭(敬和学園大学)3回、連花祭(新潟県立大学)2回、小琴祭2回(県立中条高校)、杉原祭(県立新発田高校)、中央祭(私立新発田中央高校)、西高祭(県立西新発田高校)である。 塩津潟と都岐沙羅柵の啓発は、一段と広がった。 |
2011/12/23(Fri) 10:56 | 塩津潟・都岐沙羅柵の講演平成6年から各種講演を、約100回実施した。各界各層に与えた郷土の歴史は、塩津潟の見直しへと発展した。書籍『塩津潟は塩の道』の影響と同様に、講演の影響も大きかった。 |
2011/12/23(Fri) 10:51 | 『塩津潟は塩の道』の出版『塩津潟は塩の道』を、平成15年8月に出版した。研究結果を、まとめたものである。第二版を平成16年8月に、都岐沙羅柵をさらに25頁加筆して出版。翌年3月に、『Shionotsu -gata is the Soalt raod』を出版。これらの各種出版物が、塩津潟の復活に大きな役割を果たした。 |
2011/12/23(Fri) 10:41 | 塩津潟研究に55年以上塩津潟の存在に気が付いたのが、10歳のとき。それ以来55年以上のライフワークとなる。『ライイフワーク』の創刊号と第10号に掲載される。塩津潟が平成時代に入って約180年ぶりに、紫雲寺潟(1720年代から約170年間続いた)から復活した。長年の研究が、成果を現した結果である。この間に、調査活動を継続してきた。 |
2011/12/12(Mon) 09:36 | 塩津潟と文化セミナー柴橋地域ふれあいセンターに「塩津潟資料室」を開設した記念に、「塩津潟の文化セミナー&ワークショップ」を企画した。〔文化セミナー〕〔ワークショップ〕 @10月4日「塩津潟と新発田藩」→塩津潟の大きさ A10月11日「塩津潟周辺の観察」→塩津潟の地図 B10月18日「塩津潟と青田遺跡」→青田遺跡 C10月25日「塩津潟と都岐沙羅柵」→都岐沙羅柵 D10月31日「塩津潟が復活した要因」→胎内市の塩の道 私の母校「旧柴橋小学校」て開催した企画である。 |
2011/12/12(Mon) 09:18 | 塩津潟と都岐沙羅柵のロマン展「塩津潟と都岐沙羅柵のロマン展」を、本年度3回目のシベントを開催した。伊藤辰治展と同時に行った。・会場 柴橋地域ふれあいセンター(旧柴橋小学校) ・期間 平成23年11月14日〜27日 内容 大和朝廷の3城柵(渟足柵・磐舟柵・都岐沙羅柵) 地域の人々に鑑賞していただいた。 本年度当センターで開催した「古絵図展」は、3回である。 @「塩津潟は塩の道展」《塩津潟資料室》10月3〜10日 A「塩津潟を復活させた絵図たち展」 《イベント室》10月3〜8日 B「塩津潟と都岐沙羅柵のロマン展」 《会議室》11月14〜27日 この他に、「文化セミナー&ワークショップ」を開催した。 |
2011/11/11(Fri) 11:58 | パリ日本芸術2011「東日本大震災チャリティーワインラベル展」会期 2011年9月13日(火)〜18日(日) 会場 フランス・パリ(マドレーヌ寺院) 作品 「加治川桜の復活」 パリ日本芸術祭実行委員長 フランソワーズ・イカール=ラングロワ |
2011/11/11(Fri) 11:46 | 文化セミナーこのイベントは、『市報たいない』(23.10.1号)に、掲載された。「塩津潟」と「都岐沙羅柵」についての啓発が、有効であったと考えている。 |
2011/11/11(Fri) 11:43 | HP「塩津潟の由来」のアクセスホームページ『塩津潟の由来』は、11月4日に52000回に達した。平成6年に開設した以来のアクセス数である。内容の累積を、開設以来継続してきた賜物と思っている。 |
2011/11/11(Fri) 11:35 | ラジオで知ろう!郷土の歴史エフエムしばたは、「ラジオで知ろう!郷土の歴史」を放送している。23.10.4〜12月下旬までの13回である。毎週月曜日の9時15分から10分くらいである。この内容は、新潟日報の地方紙『ミニック』の「ふるさとの民話」から取り上げている。今回は、三回目の放送である。 1回目は、4回シリーズ。2回目は、5回シリーズ。今回は、13回シリーズである。 郷土の歴史を、「塩の道」に視点を当てている。 |
2011/11/11(Fri) 11:23 | 第6回胎内市美術展覧会この市展に、写真を2点出展した。題は、「塩津潟内の青田遺跡」である。これは、「塩津潟資料室」の開設を記念したことと、文化セミナーに、「塩津潟と青田遺跡」を取り上げたことに関連する。 塩津潟内の青田遺跡であり、紫雲寺潟内の青田遺跡ではないことを提言したものである。 |
2011/11/11(Fri) 11:18 | 塩津潟と都岐沙羅柵のロマン展この主題で学園祭に参加したのは、1大学1高校である。@敬和学園大学「敬和祭」(平成23.10.22・23) A新潟県立中条高校「小琴際」(平成23.10.29) この他に、「都岐沙羅柵」を取り上げたのは、 『塩津潟の文化セミナー&ワークショップ』である。 10月4.11.18.25.31日の5回シリーズの中である。 これらの活動は、「塩津潟復興功労大賞」の受賞記念である。 |
2011/11/11(Fri) 11:09 | 塩津潟を復活させた絵図たち展この主題で古絵図展を、6回実施した。@新発田市生涯学習センター(平成23.7.24〜29) A新潟県立新発田高校「杉原祭」(平成23.9.3) B新発田中央高校「中央祭」(平成23.9.22) C柴橋地域ふれあいセンター(平成23.10.3〜8) D新潟県立大学「連花祭」(平成23.10.29) E新潟県立西新発田高校「西高祭」(平成23.10.29) 多くの市民・学生・教職員・保護者等の皆さんに 鑑賞していただいた。 |
2011/11/11(Fri) 10:56 | 塩津潟が復活した要因この「塩津潟が復活した要因」は、敬和学園大学の年報『新発田学』創刊号(平成21年度)・第2号(平成22年度)の主題である。この主題を、2回講演と塩津潟絵図を展示した。@新発田学研究センター(平成22.12.6)。A新潟県教職員組合北新支部会館(平成23.6.8)である。@は、敬和学園大学の学生と新発田市民が対対象。Aは、新発田市立の教職員と新発田市民を対象としたものである。 |
2011/10/17(Mon) 17:57 | 文芸しばた第37号「塩津潟が復活した要因」が、本号に掲載されている。塩津潟が、約280年ぶりに復活したことを寄稿したものである。復活した要因は、古絵図・古文書・遺跡発掘による遺物等の立証物が多数発見・発掘することができたことを紹介したものである。 紫雲寺潟は、1720年代に塩津潟を変えたものである。約270年の経過後に、塩津潟か塩津潟(紫雲寺潟)と記述するまでに発展したことをまとめたものである。 |
2011/10/16(Sun) 21:36 | 古津八幡林遺跡この遺跡の現地説明会に、参加してきた。胎内市の「ひとかご山」の古墳と同じ頃のものであるという。ここの古墳も、円墳である。海抜約50メートルの所にあった。なかなか大きい古墳である。 この周辺の古墳には、田上町・巻町・新潟市・胎内市に存在するという。 |
2011/10/16(Sun) 21:31 | 天野遺跡胎内市塩津に、「天野遺跡」が出土した。この出土品の一部は、考古資料室〔柴橋地域ふれあいセンター〕に展示してある。この隣の部屋が、「塩津潟資料室」である。胎内市の「塩津」の歴史が、旧柴橋小学校の3階に開設したのである。「塩津」の歴史が、容易に理解できるようになった。 |
2011/10/16(Sun) 21:21 | エフエムしばたで放送「民話で知ろう♪郷土の歴史」の放送を、10月から開始した。9時15分から 10分くらいである。今回は、3回目のシリーズである。 多くの人々に、聞いてほしいと思っている。 |
2011/10/16(Sun) 21:16 | 塩津潟についての文化セミナー「文化セミナー&ワークショップ」を開催中である。会場 柴橋地域ふれあいセンター 日時 平成23年10月4日、11日、18日、25日、31日 10:00〜 11:30 内容 @塩津潟と新発田藩 A塩津潟周辺の観察 B塩津潟と青田遺跡 C塩津潟と都岐沙羅柵 D胎内市の塩の道 多くの方に、参加してほしいと思っている。 |
2011/10/16(Sun) 21:07 | 学園祭今年は、2大学〔敬和学園大学・新潟県立大学〕と、4高等学校の学園祭に参加する。この他に、新発田市生涯学習センターと新潟県教職員北新支部でも開催した。 「塩津潟」と記述された5種類の絵図を展示した。この絵図の中には、江戸幕府が命令した2種類の絵図が含まれている。 |
2011/10/16(Sun) 21:01 | 敬和祭敬和学園大学の学園祭「敬和祭」に、『塩津潟と都岐沙羅柵のロマン展』を開催する。平成23年10月22日・23日である。今年で3回目である。 |
2011/10/16(Sun) 20:57 | 塩津潟を復活させた絵図たち展柴橋地域ふれあいセンターのイベントルームに、「塩津潟復興功労大賞」受賞記念として『塩津潟を復活させた絵図たち展』を、10月3日〜10日まで開催した。「塩津潟資料室」と合わせて鑑賞していただいた。 |
2011/10/16(Sun) 20:52 | 塩津潟資料室の開設「塩津潟資料室」の開設を記念して、『塩津潟は塩の道展』を、開催した。10月3日〜10日まで。胎内市民の皆さんに、公開することができた。 |
2011/10/16(Sun) 20:49 | 塩津潟資料室「塩津潟資料室」を、母校の小学校に開設した。オープニングは、平成23年10月3日〜10日。新発田市教育委員会の「考古資料室・民俗資料室のオープニングと合わせて開催した。「塩津潟の由来」の各種資料が、役立つ日が到来した。 |
2011/10/16(Sun) 20:43 | 中央祭新発田中央高等学校の学園祭に参加。「塩津潟を復活させた絵図たち展」平成23年9月23日 |
2011/10/16(Sun) 20:40 | 杉原祭新潟県立新発田高等学校の学園祭に参加。「塩津潟を復活させたえずたち展」平成23年9月3日 |
2011/10/16(Sun) 20:37 | 塩津潟を復活させた絵図たち展新発田市生涯学習センターで開催。芸術関係の第18回を参照してほしい。 |
2011/10/16(Sun) 20:34 | 私の視点「塩の津・塩津潟」の窓に収録。 |
2011/10/16(Sun) 20:33 | 日本教育新聞当新聞に掲載。内容は、新聞等掲載の日本教育新聞を参照してほしい。 |
2011/10/16(Sun) 20:31 | 新潟日報7月3日、8月9日に掲載。内容は、新聞等掲載の新潟日報を参照してほしい。 |
2011/10/16(Sun) 20:29 | ミニック8月=51号、9月=52号、10月=53号に掲載。内容は、新聞等掲載の「ミニック」を参照してほしい。 |
2011/07/30(Sat) 12:18 | 『奇跡を願って』「難病ALSと闘う篠沢教授へ送る」が、届いた。この本には、大和朝廷の城柵「都岐沙羅柵」について記述した。教授には、一日も早く回復してほしい。願っている。 |
2011/07/30(Sat) 12:14 | ビデオレター(NHK)ビデオレター「古四王神社まつり」が平成23年7月29日に放送された。新発田市五十公野に存在する。この神社は、大和朝廷の城柵「都岐沙羅柵」と関連があると考えている。 |
2011/07/30(Sat) 12:10 | 村歌のCD村歌のピアノ伴奏を追加 |
2011/07/30(Sat) 12:06 | 講演の写真追加「塩津潟と都岐沙羅柵のロマン」の写真4枚追加 |
2011/07/30(Sat) 12:05 | 講演の写真追加「塩津潟と青田遺跡」の講演の写真3枚追加 |
2011/07/30(Sat) 12:03 | 新発田再発見エフエムしばたで放送@新発田藩の治水事業と新田開発(7月25日) A社会科副読本「わたしたちの新発田」の塩津潟(8月1日) B塩津潟と青田遺跡(8月8日) C塩津潟の巡検(8月15日) D塩津潟と大和朝廷の城柵「都岐沙羅柵」(8月22日)の予定 |
2011/07/30(Sat) 11:48 | 講演ビデオ「塩津潟と都岐沙羅柵のロマン」の講演を掲載した。新発田歴史探訪倶楽部の講演(平成23年7月19日) |
2011/07/21(Thu) 17:27 | エフエムしばたで放送新発田の歴史を、来週から5回シリーズで放送する。是非、聞いてほしい。 |
2011/07/21(Thu) 17:25 | 「塩津潟の由来」に9項目追加7月21日付で、HPに9項目追加した。芸術⇒BM26号、奇跡を願って 講演⇒塩津潟が復活した要因、塩津潟と青田遺跡 塩の津⇒2講演の資料 塩津潟の教材化⇒「◎○のキーワード」 敬和学園大学研究員の委嘱状 HPの内容が、充実した。 |
2011/07/08(Fri) 08:46 | 『BM 美術の杜』Vol.26この専門誌に、「塩津潟は塩の道 伊藤國夫」として塩津潟教育研究所の実践事例が掲載された。7月5日発行である。 |
2011/07/08(Fri) 08:41 | 都岐沙羅柵 その2『ミニック』の「ふるさとの民話」に、都岐沙羅柵を取り上げた。著書『塩津潟は塩の道』の副題「塩津潟の由来と都岐沙羅柵」にそったものである。7月1日の発行である。月1回発行の月刊紙である。「都岐沙羅柵」は、Vol.50の記念すべき内容になった。 |
2011/07/08(Fri) 08:34 | 塩津潟と青田遺跡歴史探訪倶楽部の講演「塩津潟と青田遺跡」を、市交流センターで実施した。7月6日である。塩津潟中央に位置する新発田市の「青田遺跡」を、取り上げた。 |
2011/06/15(Wed) 13:23 | 6月に9項目追加6月15日までに塩の津、新聞、塩津潟の教材化等に、9項目新着に追加した。『新発田学』の「塩津潟が復活した要因 二」を、発表する塩津潟絵図の展示と講演会を実施したものである。 |
2011/06/09(Thu) 15:08 | 新潟日報で紹介「こしじウィークリー」(平成23年6月4日付)に、「塩津潟絵図展と講演会」が、紹介された。 |
2011/06/09(Thu) 15:06 | 塩津潟絵図展と講演会「広報しばた」に、紹介された。昨年の講演会に続くものである。「塩津潟が復活した要因 その一」 |
2011/06/09(Thu) 14:51 | 塩津潟絵図展と講演会塩津潟教育研究所主催の上記絵図展と講演会を、掲載した。翌日8日に、新潟県教職員組合北新支部で実施した。演題は、「塩津潟が復活した要因 その二」である。 |
2011/06/09(Thu) 14:47 | ミニック5・6に掲載「ふるさとの民話」を、Vol.48、49を掲載した。 |
2011/06/09(Thu) 14:44 | 掲示板の整理掲示板から発信した内容を、年毎に整理した。 |
2011/05/11(Wed) 10:00 | 「各種講演」の整理ホームページ『塩津潟の由来』の「各種講演」を、年度ごとに整理した。大変見やすくなった。 |
2011/05/11(Wed) 09:58 | 「新着情報」の整理ホームページ『塩津潟の由来』の「新着情報」を、年度ことに整理した。分かりやすくなった。 |
2011/05/11(Wed) 09:55 | 塩津潟と新発田藩新発田歴史探訪倶楽部の講演の様子を、追加した。「塩津潟周辺の巡検」の様子は、近日中に追加できると思う。 |
2011/05/11(Wed) 09:53 | 塩津潟絵図の展示と講演会敬和学園大学の『新発田学』第2号の「塩津潟が復活した要因 二」の講演会と塩津潟絵図の展示を、下記のように実施する。会場=新潟県教職員組合北新支部。期日=平成23年6月8日(水)。時間=11時〜16時。講演=13時30分〜15時。 主催=塩津潟教育研究所。 |
2011/05/08(Sun) 12:53 | 『塩津潟が復活した要因 二』昨年の『“塩津潟”が復活した要因 一』に続き、今年も『塩津潟が復活した要因 二』を、実施する。会場は、新潟県教職員組合北新支部。期日は、平成23年6月8日(水)。主催は、塩津潟教育研究所。内容は、塩津潟の古絵図5篇、講演の講師は、伊藤國夫が務める。講演の中心は、古文書や市町村史である。昨年は、古絵図を中心にした。 |
2011/05/08(Sun) 12:39 | ミニック3・4月号「ふるさとの民話」に、掲載した。3月は田螺不動(新発田市)に「中央日本塩の道地域連携整備計画調査を取り上げた。4月は、報謝の泉(新発田市)に、「胎内市立中条中学校と胎内小学校の『“塩津潟”絵図のいろいろ』を取り上げた。 |
2011/03/25(Fri) 10:25 | 新発田学(第二号)敬和学園大学の「新発田学研究センター」の年報『新発田学』が、平成23年2月24日に発行された。昨年の創刊号に続き「塩津潟が復活した要因二」を発表した。副題は、「古文書・市町村史に視点を当てて」である。創刊号には、「古絵図に視点を当てて」である。塩津潟が、この二論文によって紫雲寺潟ではないことが容易に理解できるものと思っている。 |
2011/03/25(Fri) 10:17 | 同窓会だより新潟県立中条高等学校の『同窓会だより』第42号に、「胎内市を古絵図で知ろう」が掲載された。平成23年3月1日に、平成22年度《小琴祭》に「塩津潟」の古絵図を5篇等を展示したものである。当校の創立100周年記念の、特別企画として実施されたものである。 |
2011/03/02(Wed) 14:56 | ”塩津潟”絵図のいろいろ胎内市立小・中学校に、「”塩津潟”絵図のいろいろ」を展示した。中条中学校⇒平成23年1月24〜28日 胎内小学校⇒平成23年1月28〜2月10日 昨年の10月に2大学1高校の学園祭に展示した古絵図を展示し、児童・生徒、教職員、保護者の皆さんに鑑賞していただいた。 |
2011/03/02(Wed) 14:47 | ライフワーク10号『LIFE WORK』10号を、「芸術関係」に収録した。「伊藤國夫と塩津潟の歴史研究」 平成23年3月1日発行。内容は、 敬和祭⇒敬和学園大学 連花祭⇒新潟県立大学 小琴祭⇒新潟県立中条高校 胎内市での講演等が収録されている。 |
2011/03/02(Wed) 14:40 | 年賀状平成23年の「年賀状」を収録した。 |
2011/03/02(Wed) 14:39 | 新発田学研究センター敬和学園大学の「新発田学研究センター」に、「塩津潟の古絵図の展示と講演会を収録した。 |
2011/03/02(Wed) 14:35 | 新聞等掲載新潟日報〔平成22.11.27日付〕「塩津潟」の展示と講演会日本教育新聞〔平成22.12.20日付〕3校の学園祭に展示 この二つの記事を収録した |
2011/03/02(Wed) 14:28 | ミニック「ふるさとの民話」『ミニック』の「ふるさとの民話」に、平成22年12月号、平成23年1月号2月号〔Vol.46〕を掲載した。 |