掲示板から発信 2007

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2007/12/30(Sun) 14:32 807教育ニュース<>日本教育新聞は、「平成19年度教育ニュース」を掲載した。その中に、小生の意見が掲載されている。
2007/12/30(Sun) 14:24 806「塩津港遺跡」2007考古学・国内編をね新潟日報は、平成19年12月30日付で掲載した。その中の一つに、滋賀県西浅井町の「塩津港遺跡」の平安期の特大木簡発掘の写真を掲載した。
滋賀県西浅井町は、「塩津」が多く残っている。「塩の道」を、現在も正確に伝承している。例えば、塩津神社(二社)、塩津小学校・(塩津中学校)、塩津街道、塩津港、塩津川等がある。
国内に「塩津」が、七県ある。これらの「塩津」に、関連する各県・各市や町の行政がネットワークを作ったら、一層強力になることだろう。
2007/12/30(Sun) 14:13 805北陸風景街道<>「登録記念シンポジウム」の様子が、新潟日報(平成19年12月29日付)に掲載された。11ルートが、登録された。
その中の一つに、「北アルプス大風景最長最古の塩の道」がある。新潟県内の「塩の道」の、中核になって地域おこしに発展することだろう。
2007/12/30(Sun) 13:46 804好きです新潟<>新潟日報NICの「語り継がれる不思議にいがた」に、掲載された。「潟をつくった女の執念」の『お福』伝説のことである。
2007/12/30(Sun) 13:40 803テレビ公開講座<>新潟大学の公開講座「越佐の史蹟辿る日本史」の第4回の放送に関する意見を提言した。「紫雲寺潟」を「塩津潟に・・・」については、担当講師の考え方によるとのこと。担当講師はこの点について「紫雲寺潟」は、「塩津潟ともいう」という認識だと言う。
新潟放送の係りからの、回答であった。
当大学の担当課や当講師の方からは、近日中に回答があると思う。
2007/12/26(Wed) 09:50 802塩津潟教育研究所<>教員OBの機関誌に、「塩津潟教育研究所」の活動事例が紹介された。講演や「塩の道」の啓発等が、掲載されていた。この活動事例は、国内ばかりではなくオーストラリア等の海外との交流も紹介されていた。ありがたいことである。
2007/12/16(Sun) 11:33 801日本風景街道プロジェクト<>国土交通省が、『北陸。風景街道協議会』を11月29日朱鷺メッセで開催した。11団体が、認証された。その中に、県内の「塩の道」も含まれている。このことにより、県内の「塩の道」6本が地域おこしの原動力となり、本格的に活動することになると思う。
下越地方の「荒川ルートと阿賀野川ルートの塩の道が、注目されると思う。
2007/12/16(Sun) 11:24 800加治川地区ふるさと歴史講座<>この講座の三回目が、昨日行なわれた。演題は、「地名から探る近世潟端の暮らし」である。講師はこの講座の中で、塩津及び塩津潟についても説明した。本来の潟名は、「塩津潟」である根拠を古絵図等で説明した。
受講者は、容易に理解した様子であった。講師は、私の著書『塩津潟は塩道』を良く読んでいることを感じた。前回の品川氏と同様に、新発田市の歴史の中に占める「塩津潟」の重要性を説明していた。
今回の当講座は、今後の新発田市の先人が新田開発に及ぼした影響が、正確に伝承して力となることを感じた。
2007/12/16(Sun) 11:13 799中世越後の姿<>新潟大学テレビ公開講座の第4回「中世越後の姿」の中では、紫雲寺潟と2回説明した。使用した資料は、『享保6年絵図』である。
しかし、現在は、『正保二年越後絵図』や『元禄13年越後国絵図』を使用し、塩津潟で説明することが多くなってきた。当講座の中では、塩津潟についても説明をするべきである考えている。今後に、二回の講座の中で訂正か、補足説明をするべである。
その理由は、各市町村の教育の現場で「塩津潟の干拓」として学習している児童生徒がいるからである。
2007/12/06(Thu) 21:57 798塩津潟が説明される<>新発田市公民館市主催の講演で、本日の講師は「塩津潟」について詳しく説明した。塩津潟の大きさ、位置、機能、歴史等々に講話した。資料の地図も、塩津潟になっていた。
2007/12/06(Thu) 21:52 797『ヘッセからの贈り物』<>『ヘッセからの贈り物』が、芳賀家から送られてきた。−−スイス。ドイツ・イタリアーーゆかりの地に詩人画家ヘッセの魂をたどる≪ヘルマン・ヘッセの追想の記≫
この本の中に、1958年にヘッセから芳賀氏のもとに送られてきた詩が掲載されている。また、ヘッセの孫であるシルヴァーからこの本の著者に宛てた手紙も掲載されている。
芳賀家は、芳賀矢一博士家のことである。私は、大和朝廷の城柵の一つ「都岐沙羅柵」の研究で、大変御世話になった方々である。
2007/12/06(Thu) 21:32 796ミニックの感想<>「ミニックの連載『ふるさとの民話』、楽しみに読んでいます。」という方に会った。6月〜続いている。筆者としては、嬉しいことである。
2007/12/06(Thu) 21:22 795珠洲市「すず塩田村<>珠洲市の塩田村は、揚浜式の製塩をしている。「北陸風景街道」の会議では、「塩の道」と行政の参加について提言していた。珠洲市の近くに、塩津海岸がある。ここも塩に関する歴史を持っている。
2007/12/03(Mon) 10:11 794ミニック12月号<>「加治大明神」が、内容である。主に、塩津潟の新田開発と河川舟運のことである。胎内市の中条と新発田市の向中条の由来が、記述されている。
2007/12/03(Mon) 10:06 793北陸・風景街道協議会<>「日本風景街道プロジェクト」が、平成19年11月29日朱鷺メッセで開催された。北陸風景街道には、県内で7路線、富山、石川両県で2路線ずつが9月に認定された。
その中の一つに、「北アルプス大展望。最長最古の塩の道ルート」がある。「塩の道」は、県内外のイベントが活発化することでしょう。今後が、楽しみである。
2007/12/03(Mon) 09:56 792『BM』Vol.14<>『BM』美術の杜Vol.14が、平成19年11月に発行された。この書籍の中に、【知られざる日本】「塩津潟は塩の道」“伊藤國夫の世界”が、2ページ掲載されている。
第8回個展「塩津潟は塩の道展」と、メルボルン日本人学校の訪問が、主な内容である。「塩の道」は、海外編・国内編・新潟県内編の三部構成になっている。
2007/12/03(Mon) 09:46 791胎内市小野教育長の礼状<>『芸術探検記』等の礼状が、届いた。「塩の道」については、少しずつイベント化してきている。
2007/11/14(Wed) 17:10 790胎内市展<>市展に「大地の芸術祭」の写真を、出展した。平成19年11月8日〜11日に、市体育館で開催された。
2007/11/14(Wed) 17:05 789市民の声<>『しばた市議会だより』第85号(平成19年10月31日)に、「一般質問の内容が、豊富になり、かつ充実してきた」が掲載された。
2007/11/09(Fri) 08:38 788芸術夢想伝授賞<>上記の賞を、芸術探検記実行委員会から授賞した。この書籍は、国内の美術館や多くの図書館に発信されている。「読書の日」にちなみ発行されたことは、グットタイミングであった。
2007/11/03(Sat) 09:41 787製塩作業紹介<>『豊かな海作り大会』の一環として、岩船小学校の製塩作業が新潟日報に掲載されていた。「塩木流し」や「アクマキ作り」を、紹介していた。「塩」に関わる活動は、地域づくりの大きな活動になる。
2007/11/03(Sat) 09:34 786ミニック11月号<>『ふるさとの民話』に、「九十九曲り」が掲載された。聖籠町の潟と加治川に関連する九十九川の白蛇のである。現在残っている潟跡は、地域住民の魚釣りの娯楽場になっていた。
2007/10/31(Wed) 20:11 785芸術探検記<>この書籍の副題は、「そらに描かれし未来を求めて」である。この中に、「新潟の“塩の道”を全国・世界へ発信中」が掲載された。(平成19年10月31日発行)フランス・オーストリア・モンゴル・オーストラリアとの交流や、国内の島根県等の「塩津」の皆さんとの交流の様子が、3頁に紹介されている。
2007/10/22(Mon) 10:50 784新潟教育界美術展<>第11回の「教美展」が、新潟県民会館でかいさいされている。出品作品は、「大地の芸術際」の写真である。この会場では、新潟県内の「塩の道」について語っていた。私の名前を見て、「塩の道」の研究者だと言っていた。その何気ない会話を、遠くから聞いていてうれしくなった。
2007/10/22(Mon) 10:40 783川柳「塩津潟」<>『文芸しぱた』第33号に、川柳五首掲載されてある。@塩津潟 越後絵図にて 目を覚ましA“津”の土器は 千年前の 香だしB先人の 塩の貴重さ 今分かるC塩津小 我を迎へて 塩の道D塩津浜 塩田の跡 地に残し
新発田藩の塩つくりが、現代人に継承されてきている。 
2007/10/22(Mon) 10:34 782文芸しばた第33号<>「塩津潟が地域おこしに果たした役割〉が、掲載されている。「塩津」という地名や塩津小学校等の固有名詞を有する七県のネットワーク作りの様子を提言したものである。七県とは、@新潟県新発田市・胎内市A石川県七尾市B島根県出雲市C滋賀県西浅井町D和歌山県海南市E静岡県焼津市F愛知県蒲郡市である。各県や各市では、「地域おこし」に、積極的に取り組んでいる。
2007/10/21(Sun) 08:19 781祝砲<>中条まつりに、祝砲があがった。内容は、第8回「塩津潟は塩の道展」と、「塩津潟の由来」のホームページ23000回以上のアクセスを祝うものだった。現在は、24050回に達している。
2007/10/20(Sat) 09:21 780教え子たちと再会<>当時の子供たちは、立派に成長していた。地域の中堅として、お父さんとお母さんの役割を果たしていた。懐かしく且つ楽しい学級会であった。遠くは、京都や東京からも参集していた。頼もしく感じた。
2007/10/20(Sat) 09:17 779文芸しばた第33号<>「塩津潟が地域おこしに果たした役割」が、掲載された。また、川柳5首が、「塩津潟」しいう主題で掲載された。新発田市民は、新発田藩主が「塩津潟を新田開発した史実」を再認識すると思う。
2007/10/20(Sat) 09:12 778小川副市長と面談<>新発田市の副市長小川氏と、「塩津潟」について面談した。「塩津潟」については、認識していた。
2007/10/20(Sat) 09:09 777国の機関と塩津潟の対談<>総務省と「塩津潟」について対談した。新潟県庁や国土交通省は、「塩津潟」の認識を再確認した。
2007/10/20(Sat) 09:06 776新発田市と対談<> 新発田市の郷土史の一つ「塩津潟の歴史」について、対談した。解決策を、提言した。近日中に、市長の回答が届くと思う。
2007/10/08(Mon) 13:07 775上越・延命寺遺跡<>古代越後の姿が、また一つ見えてきた。と新潟日報(平成19年10月6日付)は報じた。最古の売券木簡(天平7年=735年)「物部」の人名が出土した。物部氏の由来の命名であることが確定した。
この記事では、村上氏には、物部氏の祖先を祭る岩船神社との関連がある。この延命寺遺跡の周辺に、@菅原神社古墳が存在することと、A水科古墳群等の古墳群が四つもある。このことは、胎内市の「大塚山古墳=ひとかご山」との関連を思い起こした。
2007/10/06(Sat) 13:48 774塩津港遺跡<>滋賀県西浅井町の「塩津港遺跡」が、国内最長の木簡出土のニュースをラジオや新聞で報道した。私のライフワークは、「塩の道」の探求である。「塩津」という地名は、国内に七県ある。その中の一つが、滋賀県である。滋賀県には、塩津神社(2社)・塩津川・塩津街道・塩津小学校・近江塩津駅等々、『塩』に関連する地名や固有名詞が多い。特に「塩津港」は、島根県出雲市の塩津港を調査に行ったことを思い出している。塩津港の近くの塩津小学校を、訪問してきた。西浅井町の塩津小学校を、新聞を読みながら思い出している。
2007/10/06(Sat) 06:44 773国・県・市合同行政相談<>新発田市で行政相談(9月27日)が、開催された。この時に、塩津潟か塩津潟(紫雲寺潟)について取り上げた。このことで、国土交通省・県の地域振興局・市のそれぞれが取り組み始めた。近日中に、塩津潟や塩津潟(紫雲寺潟)に統一した見解になると思う。その理由は、県や各市町村市や学校用の教育資料・副読本等に取り上げられているからである。
2007/10/03(Wed) 07:06 772お福伝説(その2)<>ミニック10月号に、旧紫雲寺町の「お福」を掲載した。福島潟と塩津潟(紫雲寺潟)の、伝説の曖昧さを確認する内容になっている。
2007/09/30(Sun) 08:26 771ふるさと再考<>『今、地域では・・・』(新潟日報平成19年9月30日付)に、「読者の声」の一人として掲載された。私の感想は、「継続は力なり」を『塩津潟は塩の道』の事例をもとに提言したものである。東北七県の、共通のテーマである。
2007/09/28(Fri) 09:11 770『わたしたちの新発田』<>新発田市立小学校用の社会科副読本『わたしたちの新発田』が、改訂される日が近い。「紫雲寺潟の干拓」が、「塩津潟(紫雲寺潟)の干拓」になるだろう。
2007/09/28(Fri) 09:07 769『蒲原』の改訂<>新潟県新発田地域振興局発行の『蒲原』の紫雲寺潟は、塩津潟という本来の潟名に改訂される日が近い。
2007/09/26(Wed) 11:23 768玉蔵院書道展<>奈良県の信貴山で上記の書道展を、10月21日〜10月31日開催する。昨年の弘法大師帰朝1200年を記念して行なわれた『玉蔵院現代書家奉納展』の作品を展示する。私の掛軸一幅も展示される。
2007/09/21(Fri) 11:18 767知事とのタウンミーティング<>「見逃さない、見過ごさない”いじめ”が行なわれた。いじめ撲滅のための話し合いが、熱心に展開した。その時の私の発言が、当日のNHKのニュースに報道された。
2007/09/21(Fri) 11:11 766姫路市児童合唱団<>兵庫県の「塩の道」については、合唱団の指導者からの連絡があった。製塩の本場だけあって、「塩の道」があるとのこと。また、指導者自身は、トルコの塩湖やポーランド岩塩採掘跡の視察やザルツブルク市での音楽発表等の様子が、写真入で説明してあった。
新潟県の「塩の道」も、理解してくれるとありがたい。
2007/09/09(Sun) 07:25 765高校の教師からの便り<>「塩津潟を教材化して」の講演(8月22日新発田市)の便りが届き始めた。小学校で「塩津潟」と学習したことが、中学校や高校の教師によっても郷土の歴史が、正しく伝承されるまでに発展してきたと思っている。
2007/09/03(Mon) 09:41 764適正規模で教育効果<>日本教育新聞「学校の統廃合」というテーマに、“適正規模で教育効果”が掲載された。教職の3分の2は、大規模校の勤務である。その中には、1学年6学級があった。小規模勤務の中には、7人と9人の担任をしたのが2校ある。規模が極端な場合は、教育の阻害と教育の損失が大きかった経験をもっている。やはり、12〜18学級の適正規模が最良の教育環境であると考えている。
2007/09/01(Sat) 10:01 763「お福」<>「お福」伝説は、旧豊栄市(現新潟市)の福島潟を取り上げた。ミニック9月号に掲載した。豊栄市史に、なぜお福伝説を取り上げたのだろうか。福島潟の生成(由来)は、いささか不自然である。また、紫雲寺潟を取り上げていることも不自然である。『越後絵図』(1645年家光の幕命による)にある「塩津潟」のことである。
「塩津潟」が復活した今日に、紫雲寺潟という伝説が伝承されていることは、本当に不自然なことである。
2007/08/30(Thu) 09:09 762郷土の伝説<>『新潟日報MINIC』に、ふるさとの民話紹介をしている。6月は「ことかご山」。7月は「塩津潟」。8月は「都岐沙羅柵」。
民話や伝説の信憑性を、歴史の真実と照合している。
2007/08/24(Fri) 07:37 761地理分科会の講演<>平成19年度 新潟県高等学校教育研究会の講演を、新発田市で行った。(平成19年8月22日)演題は、「塩津潟を教材にして」である。新潟県内の高等学校では、郷土の歴史を十分理解した上での学習指導を展開していくものと、講演をしながら確信した。
2007/08/24(Fri) 07:31 760上越の塩の道<>上越市の教育懇談会(19日)の席上では、「上越の塩の道」についても説明することが出来た。ますます新潟県内の「塩の道」が、発展する感触を得た。
2007/08/16(Thu) 20:27 759豊浦町史のお福伝説<>当町史に、何故に「お福伝説」が取り上げられているのだろうか?紫雲寺のお福を取り上げても、意味のないことだと思う。
2007/08/16(Thu) 20:23 758千葉県市川市長から返事<>市長千葉光行氏からは、塩浜の由来についての便りがあった。行徳の塩田については、詳しく説明されていた。「塩浜の体験塾」の中に、”塩づくり体験“あることに感心した。
「三番瀬塩浜」の環境つくりに熱心に取り組んでいる。行徳臨海部のまちづくりは、大成功を収めることでしょう。
2007/08/07(Tue) 09:10 757いきいき人生103<>『公立共済友の会だより』平成19年8月1日号に、掲載された。「塩の道探求が私のライフワーク」が、紹介された。「塩の道」の探求の内容は、海外や国内に及んでいる。書籍の出版・ホームページ『塩津潟の由来』・個展等が紹介されている。
2007/08/06(Mon) 04:08 756塩津潟は塩の道展<>第8回目の個展が、無事終了した。まちの駅に期間中来館した人は、800人以上に達した。諸外国と日本との塩の道、国内の塩の道、県内の塩の道を発信できた。また、大和朝廷の城柵の「都岐沙羅柵」についても、情報を発信することが出来た。
塩津潟が、復活してきた。鑑賞した多くの人々の理解を得ることが出来た。紫雲寺潟ではなく、塩津潟か塩津潟(紫雲寺潟)に、多くの共感を得ることが出来て喜んでいる。私のライフワークの、一つの成果だ思っている。
2007/07/31(Tue) 15:38 755サマーフェステバル2007<>新発田市の商店街が、夏のイベントを7月29日に開催した。私の8回目の個展「塩津潟は塩の道展」と重なったので、多くの人々に鑑賞していただいた。このイベントでは、県内の「塩の道」を、市民の皆さんに紹介することが出来た。
2007/07/30(Mon) 22:18 754東京都江東区塩浜<>塩浜は、製塩した塩浜が存在したと言う。江東区の場合も、同様である。塩浜は、千葉県市川市・東京都江東区・三重県四日市市に地名として継承している。塩浜小学校が2校。塩浜中学校が、2校現存している。「塩の道」は、国内に多数残っている。各県及び各市は、、地域おこしに協力して活動できないものだろうか。ネットワークが出来ることを、期待している。
2007/07/20(Fri) 05:55 753塩津潟は塩の道展<>『塩津潟は塩の道展』が、本日より開催する。期間は、平成19年7月20日〜8月5日。会場は、新発田市「まちの駅」。内容は、「塩の道」の海外編・国内編・県内編の三部構成。多くの皆さんに、鑑賞していただきたい。
2007/07/17(Tue) 09:34 752ふるさと発見ゼナール<>このゼミナールの資料には、まだ紫雲寺潟という記述している。坂井秀弥図である。この認識のズレに、驚いた。正しくは、塩津潟である。
2007/07/16(Mon) 05:46 751渟足柵の謎とその時代<>このゼミナールが、7月16日に開催されれる。都岐沙羅柵についての内容が、解明されることを期待している。
2007/07/13(Fri) 17:55 750三重県知事からの返事<>「製塩」に関する四日市市の「塩浜」に対して、県知事に提言を申し上げたところ、野呂氏から返事が届いた。「塩浜」は、千葉県市川市塩浜と東京都江東区塩浜と三重県四日市市塩浜に現存する。特に、市川市と四日市市には、塩浜小学校と塩浜中学校がそれぞれに校名として使用されている。「塩の道」というキーワードで、地域おこしの連携をしてほしいものである。
2007/07/12(Thu) 07:24 749日本芸術祭<>『メルボルン日本芸術祭』〜21世紀日本美術の現実〜の報告書『21st century 日本芸術』が、7月に発刊した。初秋のメルボルンでの芸術祭は、有意義な体験となった。「湖の息吹」を出展し、芸術の秋をワインを飲みながら満喫してきた。
「メルボルン日本人学校」を訪問し、日豪の「塩の道」について交流することが出来たことも意義があった。この本を見ては、オーストラリアへの旅を回想している。
2007/07/03(Tue) 18:59 748塩浜小学校<>三重県四日市市立塩浜小学校から、「塩浜」という地名に由来する返事を頂戴した。「塩浜のあゆみ」は、製塩に関することが分かった。これは、千葉県市川市立塩浜小学校と同様であることが分かった。市川市立塩浜小学校・塩浜中学校と、三重県四日市市立塩浜小学校・中学校は、郷土の歴史が類似していることが理解できた。東京都江東区塩浜と相まって、郷土の歴史学習の交流が出来ればよいと思っている。
2007/07/03(Tue) 18:33 747塩津潟<>ミニック7月号に、塩津潟が主流になってきたことを掲載した。紫雲寺潟ではなく、塩津潟か塩津潟(紫雲寺潟)が、公文書に記述されることが多くなってきた。また、新潟県民は、塩津潟と抵抗なく呼称するまでに認識されてきた。
2007/06/11(Mon) 18:00 746市川市立塩浜小学校<>千葉県市川市の「塩浜」は、製塩の塩田と関係があることが分かった。このことは、三重県四日市市の「塩浜」と同じ意味の地名の由来がある。東京都江東区の「塩浜」は、同じ由来によるものと推察している。
2007/06/09(Sat) 07:58 745「塩津潟」は塩の道展<>第8回個展『「塩津潟」は塩の道展』を、新発田市“まちの駅”で開催する。
期日は、平成19年7月20日(金)〜19年8月5日(日)
副題は、〜塩津潟が地域おこしに果たした役割〜
大勢の市民の皆さんに、鑑賞していただきたい。
2007/06/07(Thu) 05:23 744聖き塩<>四日市市塩浜は、伊勢神宮に「聖き塩」を奉げた地域であるという。神聖な製塩を、思い起こしている。そのことが、現代も学校教育で取り扱われてと言うことは、本当に素晴らしいことてあると思っている。これぞ本物の教育と言える教育活動だ!「塩濱」が、地名や学校名に残した先人の知恵に感服する。
2007/06/06(Wed) 17:10 743塩浜中学校<>塩濱中学校の校歌に、「聖き塩 ささげまつりし 塩浜の・・」と、歌いこまれている。また、社会科歴史単元の中に、取り上げられている。地域の歴史に即した学習活動を実践している。「塩津」という地名ように関連していることが、理解できた。
2007/06/02(Sat) 02:50 742『ひとかご山』伝説<>新潟日報MINIC(ミニック)6月号に、「ふるさとの民話紹介」として『郷土の伝説』が掲載された。その初回が、『ひとかご山』である。内容は、古墳時代の「大塚山古墳」を紹介したものである。
2007/05/31(Thu) 06:59 741塩浜小学校・塩浜中学校<>「塩浜」という地名が、千葉県市川市・三重県四日市市・東京都江東区等にある。その地名が、学校名に現存している。塩浜小学校は、市川市と四日市市。塩浜中学校は、市川市と四日市市にある。
「塩浜」は、塩を作った浜いわゆる塩田が地名の由来だと思っている。塩津小学校や塩津中学校と同じ歴史的経緯が、あるようだ。
2007/05/30(Wed) 14:21 740外国との「塩の道」の拡大<>『仏日久遠の栄光祭in Paris』の出展によって、オーストリア・モンゴル・オーストラリア等の諸外国との「塩の道」に次いで、フランスとも「塩の道」が、つながった事になる。
2007/05/30(Wed) 14:17 739『BM Vol.12』に「書」を掲載<>『BM』(平成19年5月25日発行)に、「わけのぼる〜」の書が掲載された。『日中精鋭書画名筆の視点』しとて、日中国交正常化35周年記念「日中名筆の検証」の中に、伊藤東軒の作品も載っている。
2007/05/30(Wed) 14:10 738『博物館だより』の分析<>新潟県立歴史博物館の「博物館だより」第17号の分析を、1〜2で解説してある。
なお、『平安期の越後古図2種』の新潟日報の掲載記事(平成19年5月4日付)の論旨を、3でまとめてみた。しかし、この「康平絵図」(1060年)・「寛治絵図」(1090年)、「越後絵図」(1645年)との『塩津潟』の解明を急がなければならないと思う。
2007/05/30(Wed) 13:59 736「塩津潟を論ずる時の留意点<>「塩津潟」を論ずるときは、この留意点15項目を正確に検証することが非常に重要になってくる。その結果は、「塩津潟」の歴史的経緯が正確に認識できる。紫雲寺潟ではないことが、容易に理解できる。
2007/05/30(Wed) 13:53 737仏日久遠の栄光祭in Paris<>〜シャンゼリゼに捧ぐ和の花々〜に、英訳版の『Shiotsu-gata is the Salt road』のラベルアートが、【シャンゼリゼ芸術ワイン黄金賞】を受賞した。(平成19年3月30日)
栄光際の様子を、HPに掲載した。
2007/05/30(Wed) 13:38 735『ライフ・ワークVol.2』に都岐沙羅柵が載る<>『LIFE work』Vol.2(平成19年4月7日発行)に、Vol.1の訂正文が掲載された。内容は、「都岐沙羅柵」が、新発田市と胎内市に関係する大和朝廷の城柵の一つであるという意味である。「都岐沙羅柵」は、胎内市の旧築地村の村歌に「史に名高き月さらの」と国学学院大学の芳賀矢一学長が、作詞していることに関連する。
2007/05/04(Fri) 10:16 734新発田市の『社会科副読本』の改訂<>新発田市の3・4年生用の『副読本』は、再検討されるだろう。新発田市の歴史が、正確に教材化されていない。残念なことである。即ち、『塩津潟(紫雲寺潟)の干拓』という単元名と内容になっていることが重要である。だから、「紫雲寺潟の干拓」とはならないであろう。
2007/04/27(Fri) 07:26 733「新発田学」の研究員<>「新発田学」の研究員の委嘱を受けた。新発田藩政の新田開発や潮の道等については、諸活動の中で新発田市民や大学生に啓発していきたいと思っている。
2007/04/27(Fri) 07:21 732新発田市長の回答<>「塩津潟」について新発田市長の認識を、『市長への手紙』で確かめた。第一通目は、平成19年2月の手紙に対して、3月7日に受け取る。回答が、不明確なので再度文書で最質問した。これが二通目である。その回答が、4月12日に届いた。その内容は、『塩津潟(紫雲寺潟)という「塩の道」に由来する歴史的経緯をついては、小学校の社会科副読本に記述し、また、平成18年2月開催の「新生新発田 ふるさとの文化を紹介する展示会などでも変遷年表を提示したところです。』との明確な回答である。
この塩津潟に対する片山市長の認識は、大きな進歩であり、画期的な回答である。
「塩の道」の塩津の地名を有する7県(国内の7市1町)のネットワーク作りについては、この回答欄の中では、省略する。
2007/04/25(Wed) 17:25 731地名の変遷<>新潟県立歴史博物館は、『博物館だより』第17号(平成19年3月30日発行)で「地名の変遷」の中で、塩津潟と紫雲寺潟について掲載した。「塩津潟」について、当博物館が公式に記述したことは大きな進展である。
塩津潟(紫雲寺潟)の由来については、まだまだ説明不足の点が多いが、今後一つずつ解明していく必要があると思う。
小林達雄前館長と、塩津潟(紫雲寺潟)について対談してきた効果があったようだ。「塩津潟」が、新潟県民や各方面に今後一層認識されていくことは明確だ。
2007/04/25(Wed) 17:07 730「文明開化の歴史刻む<>新潟日報社は、【新潟日報源流130年】『明治10年4月新潟新聞創刊』(平成19年4月6日付)で海上交通や河川舟運の様子を掲載している。これは、大小の河川と塩津潟等の多くの潟による内水面交通の歴史を紹介していた。
2007/04/25(Wed) 17:02 729栄光祭in Paris<>『第2回 仏日久遠の栄光祭in Paris』が、フランスのパリで平成19年3月6〜7日開催された。副題は、「シャンゼリゼに捧ぐ和の花々」である。この栄光祭に、『塩津潟は塩の道』の英語版
『Shiotsu-gata is the Solt r0ad』のラベルアートが展示された。フランスにも「塩の道」が、紹介されたことになる。これは、オーストリア・モンゴル・オーストラリア・イタリア・トルコに続くものである。
2007/04/20(Fri) 11:52 728「22222回」のアクセス数<>HP『塩津潟の由来』が、22222回に達した。平成6年に開設以来、12年目である。これは、私のライフワークとしての「成長の記録」の一つである。
2007/03/29(Thu) 08:54 726上杉謙信の義塩<>山梨キャンペーン「戦国時代の塩ー宝石で恩返し」
越後の上杉謙信が敵対する甲斐の武田信玄に塩を送ったことにつなみ、その恩返しと山梨県の観光PRを兼ねて企画。と、新潟日報は掲載してる。戦国時代の「塩の道」が、蘇る企画である。山梨県と新潟県の歴史を活用した地域おこしの一例である。
2007/03/27(Tue) 17:33 725オーストラリアの塩<>今回のオーストラリアの旅のねらいの一つは、日豪の「塩の道」の拡充である。本日、オストラリアの塩「Australian LAKE SALT」が届いた。豪州内の「ソルト レーク」で生産されたミネラルの多い美味しい塩である。「塩の道」は、メキシコ・フランス・オーストリア・モンゴル・オーストラりアと5か国が連携した。
2007/03/27(Tue) 10:10 724県の人事異動発令<>新潟県の人事異動が、発令されたことにより県の歴史についての認識が最新のものになるだろう。例えば、「塩津潟」の由来や新田開発の歴史も、大きく修正されると思う。旧態依然の慣例に流されていてならない。新人事の担当者に、大きな期待をしている。
2007/03/26(Mon) 07:04 723東京の方から礼状<>オーストラリア旅行に一緒に行った方から、「塩の道」についての礼状があった。日豪の「塩の道」が、少しずつ認識されてきた。フランス・オーストリア・モンゴル・メキスコに続く外国との交流になる。
2007/03/26(Mon) 06:56 722新潟市長から返事<>柳都新潟市の篠田市長から、内水面交通の資料送付のお礼の返事がありました。新潟市は、阿賀野川水系の「塩の道」が取り上げられると思います。
2007/03/26(Mon) 06:52 721大町市長から返事<>長野県大町市で「塩の道フォーラム」が、開催された。その時の市長から、返事が届きました。「塩の道」が、今後益々充実することが記してありました。
2007/03/25(Sun) 10:30 720塩津潟と紫雲寺潟の呼称<>新潟日報は、「にいがたの一冊」の中で、『米食悲願民俗 紫雲寺潟と江戸時代』を紹介している。この記事の中には、塩津潟と紫雲寺潟の潟名の由来について、曖昧になっている。江戸幕府が命じて制作した絵図二編の国絵図〔@1645年とA1700年〕は、「塩津潟」と明記してある。江戸時代の公式な絵図は、「塩津潟」である。新潟県の歴史については、(1)新潟県文化行政課(2)新潟県立歴史博物館B関係する各市町村等で、一日も早く明確にするべきであると思う。私は、著書『塩津潟は塩の道』で研究結果をまとめめた様に、「塩津潟」が正しい潟名であると考えている。
2007/03/23(Fri) 06:53 719「祝22000回」おめでとう<>ホームぺージ『塩津潟の由来』が、アクセス22000回にたっしました。今回のオーストラリア旅行が、「塩の道」を拡充させました。
外国との「塩の道」の交流は、5カ国になりました。メキシコ・オーストリア・モンゴル・フランス・オーストラリアは、日本に『塩』を輸出している国です。天日塩や岩塩が、活躍しています。
2007/03/20(Tue) 13:48 718塩の道と芸術の融合<>今回のオーストラリアの旅は、まさに塩の道と芸術の融合の旅でした。「塩の道」が、日本とオーストラリアとを結び付けました。今後は、益々拡大することでしょう。
2007/03/19(Mon) 18:38 古絵図から教材開発<>日本教育新聞は、「古絵図から教材開発」という見出しで掲載(平成19年3月19日付)された。『越後絵図』(1645年徳川家光の幕命による制作)が、写真入で新発田市及び新潟県の文化財を紹介した。この絵図は、現存する数少ない国絵図です。本当に貴重な、教材の一つです。
2007/03/18(Sun) 21:48 716オーストラリアから塩の輸入<>日本は、塩をオーストラリアから多く輸入している。日豪の塩の道に関連して、オーストラリアを旅したのは本当に有意義であった。メルボルンの日本人学校を、訪問したことは良い機会であった。教育関係には、「塩の道」が今後ますます認識されていくことであろう。
2007/03/18(Sun) 18:21 715県歴博館長の交替<>小林館長から中島館長に4月1日付で交替するという。新館長になったら、県内の「塩の道」を館内展示と塩津潟と紫雲寺潟の歴史的事実を早急に解決してほしい。前館長に説明をしてあるのだが、いまだに解決されていないのが残念である。
縄文館などといわれないように、県内の歴史を多方面に渡って展示してほしい。新館長に、大きな期待を寄せています。
2007/03/16(Fri) 11:10 714康平絵図の果たした役割は大きい<>戸根氏は、何をもって「康平絵図」と「寛治絵図」を”やはり偽作“と結論付けたのだろうか?その定義が、よくわからない。この2種の越後古図は、誰が・いつ・何のために作成したのだろうか?平成19年3月16日付の新聞の内容では、よく理解できない。
2007/03/16(Fri) 09:20 713平安期の越後古図2種<>「やはり偽作」と新潟日報は、文化欄で報じている。この記事を書いた戸根与八郎氏は、旧紫雲寺潟という潟名を使用しているが、塩津潟と紫雲寺潟との歴史的事実を解明もできずに、康平絵図(1060年)や寛治絵図(1089年)を論ずるのは如何なものかと思う。偽作ならば、考古的に発掘した事実からの地図(絵図)を作成して説明するべきであろう。江戸幕府が製作させた「越後絵図(1645年)と「越後国蒲原郡岩船郡絵図(1700年)」と康平絵図と寛治絵図との関連も解説してほしい。
3月21日「平安越後古図ー過去認識と災害」と題して新潟大学の堀健彦氏が講演する。どんな内容になるのだろうか?
多数の遺跡発掘によって、新潟県の古墳時代が明らかになりつつある。大和王権が、県下に増設した城柵〔渟足柵・磐舟柵。都岐沙羅柵〕についても、明確な見解を提示してほしいものである。
2007/03/14(Wed) 11:44 信貴山玉蔵院からのお便り<>弘法大師1200年帰国記念の、「弘法大師伝説」についての関連するお便りが届きました。「塩井」のことが、全国にますます認識されていくことでしょう。
2007/03/13(Tue) 07:09 712静岡県総務部からのお便り<>「塩津」による地域おこしと、各県の「塩津」を有する県・市のネットワークつくりについては、積極的な取り組みの考えと具体的な内容のお便りを頂戴しました。
2007/03/13(Tue) 07:03 メルボルン日本芸術祭<>上記の芸術祭は、王立博覧会(世界遺産)会場で盛大に行われました。600点に及ぶ日本の作家の作品が、一堂に展示されました。絵画・写真・書・工芸等々が、日豪友好の橋渡しを担ってくれたものと思います。この機会に、メルボルン日本人学校や州議事堂やセント・パトリック教会等、メルボルン市内の見学をしました。新潟は、猛吹雪・強風・積雪等で真冬の気候ですが、オーストリアは、気温35℃の中ブドウの収穫後ワイン作りをしていました。ワイン工場をいくつか見学し、ワインを堪能してきました。とても有意義な豪州の旅でした。
2007/03/06(Tue) 08:17 710北アルプス塩の道フォーラム<>長野県大町市で3月3日(土)に、開催された。新潟県・長野県・静岡県及び「塩の道」に関連する多くの市が、真剣に取り組んでいた。「今後の取り組みと連携について」のグループ討議に、私は学問的なアプローチの必要性を提言してきました。
「塩津サミット」の、7県及び7市の取り組みが今後実施されるものと思います。
2007/03/06(Tue) 08:08 709文芸たいない<>この文芸誌に、3点掲載されている。(1)「堀切川の淀みなくに寄せて」〔2.5頁〕(2)「胎内市を全国・世界へ発信展を開催して」〔2頁〕(3)川柳5首○伊夜日子の 眠りからさめし 塩津潟○塩の津は 古墳時代に 舞い戻る○船着場 今は車の 高速道○ひとかごの 高官ねむる 潟の端○子が学ぶ 都岐沙羅の月 むかし今
平成18年11月に発行された。内容は、いずれも「塩津潟」と「都岐沙羅柵」に関連したものです。
2007/02/23(Fri) 10:09 708メルボルン日本芸術際の開催<> 『メルボルン日本芸術際』「21世紀日本美術の現実」が、オーストラリアで開催される。メルボルンの王立博覧会ビル展示場で、平成19年3月9日〜12日までです。私の作品は、「湖の息吹」です。
  オーストラリアの「塩の道」は、どうなっているのだろうか。大変に、興味があります。
2007/02/23(Fri) 09:48 707「塩津サミット」開催の提言<> 私は、「塩津サミット」の提言をしています。「塩津」を有する7つの県知事・市長・教育長に、対してです。私が調査したり、実際に行って確認しました。その結果は、「塩」に対して先人は非常に大切に伝承しています。例えば、幼稚園や小・中学校名に、塩津小学校のように残しています。また、塩津街道・塩津大川・塩津海水浴場・塩津町内会・塩津公園・塩津橋・塩津港・塩津神社・塩津駅・塩津潟等々に、沢山残しています。
  私の提言に対しては、各県知事や各市長さん等の各方面からご返事や電話をいただいています。私の感想は、県外との地域間交流が盛んであることに感心しました。「塩津サミット」開催は、かなり早く取り掛かるものと感じました。
2007/02/23(Fri) 09:26 706すその広がれ「塩の道」<>アルプス塩の道交流会議は、「参加団体募り説明会」を開いた。このことを新潟日報は、平成19年2月22日付で報じた。この塩の道は、糸魚川ー松本ラインに関係する県・市町村の参加が多い。しかし、日本各地には、塩の道は沢山ある。各県及び各市町村の歴史や郷土文化の掘り起こしや教育や文化の伝承に、本気に取り組む時機にきていると思う。新潟県糸魚川市に、早急に学ぶべきでしょう。3月3日に、長野県大町市でフォーラムを開催する。「塩津」という地名を有する石川県七尾市・滋賀県西浅井町・島根県出雲市・和歌山県海南市・静岡県焼津市・愛知県蒲郡市等は、このフォーラムに、参加してみる価値はある。先進都市の「地域おこし」に、学ぶところは多い。人間がすんだ所には、「塩」が必要だった。そこに「塩の道」が、出来たからです。
2007/02/22(Thu) 08:52 705弘法大師堂祭礼<>新潟日報(平成19年2月21日付)は、「御詠歌唱和行列厳かに」が掲載された。弘法大師がもたらしたという伝説がある塩水井戸の祭りのことです。BM(美術の杜)Vol 11に掲載された内容とと符合するので良かったと思う。新潟県にも、この祭礼を行っている地域がいくつかある。
2007/02/14(Wed) 10:27 704弘法大師と塩の道<>『BM美術の杜』Vol 11に、「弘法大師と塩の道」が掲載されています。平成19年月10日発行です。掲載内容は、7つです。@信貴山玉蔵院現代書家奉納展(弘法大師帰朝1200年記念)A弘法大師祭礼(新潟県長岡市)B塩津小学校の訪問(島根県出雲市・和歌山県海南市・滋賀県伊香郡・石川県七尾市)C塩津潟の講演(4会場)D製塩記念碑(福島県西会津郡)Eザルツブルク市長と対談(オーストリア)F伊藤國夫写真展(新潟県庁ギャラリー)です。ご一読下さい。
2007/02/14(Wed) 10:13 703アクセス21835回<>『塩津潟の由来』は、平成6年に開設して以来平成19年2月12日までにアクセスされた回数が、21835回です。12日以後は、新しくカウントをしています。今後も、多くの方々にホームページ『塩津潟の由来』をご覧ください。
2007/02/04(Sun) 15:32 702川蒸気船<>新潟日報源流130年『時代を拓いて』(平成19年2月3日)は、蒲原平野の河川舟運の「川蒸気船」について、掲載した。この記事の中は、加治川・阿賀野川・信濃川の河川舟運の歴史が、詳しく掲載された。
2007/02/02(Fri) 18:03 701磐舟柵<>『街角こんぱす』の19年2月号に、「石船神社」のことが掲載された。都岐沙羅柵と渟足柵・磐舟柵のことが、新潟県で論じられることが多くなってきた。古墳時代の蒲原地方が、中央政権と深いつながりがあったことが理解されてきた。
2007/01/27(Sat) 06:24 700愛知県と静岡県の塩津を訪問<>「塩津」の次の訪問は、愛知県と静岡県の「塩津」に関連する土地と塩津小学校・塩津中学校を訪問してきたいと思っている。
2007/01/27(Sat) 06:21 699斎明天皇の遺跡見学<>斎明天皇は、新潟県に城柵を設営している。奈良県に行った折、斎命天皇建造の「亀型遺跡や酒船石遺跡等を見学してきた。
新潟県の「都岐沙羅柵」は、この斎名天皇と深い関連を持っている。
2007/01/27(Sat) 06:17 698弘法大師伝説と塩井<>弘法大師伝説に、大師が杖をつくと温泉・清水・塩井が湧き出したという。新潟県内の長岡市や旧栃尾市に、その伝説が伝わっている。地域住民は、祠を建てて丁寧に祀っている。特に、海岸でないのに「塩井」があるのは不思議である。
弘法大師帰朝1200年記念の信貴山奉納展(奈良県)に、平成18年12月行って来た。私の書一幅が奉納されている。この旅行のときに、和歌山県の塩津小学校と滋賀県の塩津小学校と石川県の塩津海水浴場を、訪問してきた。大変に、有意義な旅であった。これも何かの因縁だったと思う。
2007/01/27(Sat) 06:01 697モンゴルとの関連<>日本政府は平成18年に、モンゴルに”美術館“を開館した。その時に、私の「芸術ポスター」と『塩津潟は塩の道』が、展示された。その期間中に、小泉総理大臣がその芸術祭に訪れている。
オーストリアやモンゴルは、塩の輸出国である。塩の輸出国には、「塩の道」があるはずである。
2007/01/27(Sat) 05:54 696オーストリアとの関連<>平成18年に、オーストリアを旅行した。その時に、インスブルック市・ザルツブルク市・ウィーン市(代理の17番区長)の各市長さんと、「塩の道」について対談することが出来た。私の著書『塩津潟は塩の道』(英訳版を含む)が、各市に寄贈されている。
オーストリアとは、「塩の道」の架け橋になっている。
2007/01/27(Sat) 05:47 695海外の「塩」の地名<>外国には、「塩」に由来する地名がある。@オーストリアのザルツブルクは、塩の城という意味に由来する。また、○○ハルやハル○○は、塩に由来すると聞いている。Aアメリカのソルトレイクは、塩の湖という意味である。このように、外国にも塩に由来する地名は存在する。
塩は、人間を含む動物の生存に必要欠くべからざる物質である。そのために、先人が塩つくりにかけた執念と努力を後世に伝承するため、地名等に付与したものと考えている。塩津潟教育研究所は、塩を輸出しているオーストリアとモンゴルと関連を持っている。
2007/01/27(Sat) 05:25 694「塩津」の各関係者の交流<>「塩津」に由来する各関係者は、交流を開始している。(1)塩津小学校同士の交流(2)塩津潟教育研究所との交流@塩津小学校等の各種学校A各県や各市町村の教育委員会との交流B各市町村との交流C各県との交流D各県や各市町村の図書館との交流E各大学との交流F各研究団体との交流Gその他NPO等との交流がある。このように、全国的なネットワークが出来つつある。
今後は、各県同士の交流や各市町村同士の交流が、益々活発になることを期待している。郷土の歴史や文化を、是非伝承してほしい。且つ、地域おこしに活用してほしい。
2007/01/27(Sat) 05:04 693「塩津」のつく固有名詞<>国内には、「塩津」の付く固有名詞が多い。@新潟県=塩津・塩津潟A島根県=塩津港・塩津小学校B和歌山県=塩津浦・塩津幼稚園(現在は統合)・塩津小学校・塩津口・塩津第一トンネル・塩津C滋賀県=塩津中・塩津浜・塩津街道・塩津大川・塩津小学校・塩津中学校(統合?)・塩津神社・下塩津神社・近江塩津駅・塩津城・塩津浜城D石川県=塩津・塩津海水浴場・笠師保(笠塩?)E愛知県=三河塩津駅・塩津小学校・塩津中学校F静岡県=塩津・塩津公園・塩津橋・塩津公会堂等々。『塩』に由来する固有名詞が多く現存しいる。まだまだあるように、考えている。
2007/01/27(Sat) 04:46 692国内の「塩津」が多い<>今回の写真展には、国内の「塩津」での写真を展示した『塩津編』がある。@新潟県胎内市の塩津A島根県出雲市の塩津港・塩津小学校B和歌山県海南市の塩津浦・塩津小学校C滋賀県伊香郡西浅井町の塩津浜・塩津小学校・近江塩津駅D石川県七尾市の塩津・塩津海岸(塩津海水浴場)・笠師保駅E愛知県蒲郡市の塩津小学校・塩津中学校・三河塩津駅F静岡県焼津市の塩津・塩津公園・塩津橋等である。これらの多くは、『塩』の製塩や塩を送り出した港や塩井や塩池等に関する由来が、それぞれにある。
2007/01/27(Sat) 04:26 691褒章を記念した写真展<>今回の写真展は、「オーストリア名誉芸術褒章」と「百家芸術褒章」の受章を記念したものでした。鑑賞して下った方々の感想には、次のようなものが多かった。「いろんな国に行ったのですね」「海外の芸術展等に、出展したのですね」「戦争中や戦後の塩不足のことを思い出した」「塩の道は、糸魚川ー松本間だけでないね」「日本には、塩津という地名が多いのに驚いた」「良い写真が多いが、みんなあなたが撮影したのですか」「外国にも塩の道があるんだな」「新潟県の写真が、本に沢山載っていますね」「あたなの研究は、全国誌に沢山掲載されていますね」等々の感想が聞かれた。研究者として、また写真家としてこれらの感想は、私にとって大変嬉しかった。来場者の皆様、本当にありがとうございました。
2007/01/27(Sat) 04:05 690第7回写真展が終了<>新発田市市民ギャラリーでの第7回伊藤國夫写真展は、多くの皆さんに鑑賞していただいた。新発田市民の皆さんを中心に鑑賞していただいた。主題は、「塩の道を探求する旅展」で、新発田市に関する写真を多く展示した。この会場でも、@海外編A国内編・県内編B塩津編のまとまりで展示した。「塩の道」に、関心を持っている方が多いのに驚いた。新潟市や兵庫県からの来場者もいた。
2007/01/27(Sat) 03:45 689第6回写真展が終了<>新潟県庁ギャラリーの写真展後に、胎内市民の皆さんに第6回写真展を公開することが出来た。多くの方々に、鑑賞していただいた。胎内市に関する写真を、多く展示した。「塩津編」のコーナーには、『塩の道』に関する河川舟運の旅の写真を多くした。このコーナーには、国内の7つの各県の「塩津」に関する旅の写真も展示した。
2007/01/05(Fri) 11:37 688第6回伊藤國夫写真展<>新潟日報MINIC1月号に、『河川舟運の歴史の旅展』のことが掲載された。副題は、〜「百家芸術褒章」受賞記念〜。
期日は、平成19年1月10日〜1月12日。会場は、胎内市産業文化会館。新潟県庁ギャラリーに展示した写真に、更に20枚加えた写真展になる。沢山の皆様に鑑賞してほしいと思っている。