−掲示板から発信−

投稿日 投稿内容
2003/12/31

[106] 「塩津潟」の充実
平成15年4月に、『塩津潟教育研究所』を開設してから、『塩津潟」が一層充実してきました。その一番良い例が、『塩津潟は塩の道』の出版です。この著書は、相当広範囲の方々に読まれています。もうすぐ2版に入る段階になってきました。新潟県民が、郷土の歴史を正しく学ぼうとしている傾向の現れだと思います。大勢の方々のご支援とご協力に、心より感謝申し上げます。
2003/12/20

[105] 玉川学園同窓会報
当会報no127(2003.12.10)号に、「同窓生の本・先生の本」が、13冊紹介されました。その中の一冊に、「塩津潟は塩の道」が全国的に紹介されました。新潟県の「塩の道」の歴史が、全国の玉川学園の同窓生に読んでいただく事をご期待申し上げています。
2003/12/19

[104] 弥彦神社の歴史
弥彦神社は、かつての越後国の一の宮。祭神は、天照大御神の曾孫天香山命である。天香山命が神武天皇の勅を奉じて和歌山県熊野から越後国におもむき、地元民に稲作・漁業・製塩・酒造の技を教え、指導したことから越後国の文化・産業の始祖人として奉祀されたのが、始まりとされている。
2003/12/15

[103] 「塩津」という地名
「塩津」という地名を3つ追加します。
和歌山県海草郡下津町大字塩津
滋賀県伊香郡西浅井町大字塩津
石川県鹿島郡字塩津
「塩津」は、新潟県・島根県・愛知県と合わせて、6県に存在します。新潟県中条町の「塩津」は、『塩』との関わりを通して、政治・経済の重要な地域であったことが少しずつ明らかになってきました。
2003/12/15

[102] 「白い船」を試写
「白い船」を、検索して試写し見てはいかがでしょう。塩津町の人々の、「夢」をかなえてくれた感動エンたーティントです。
新潟県の小・中学校でも、学習活動の教材として活用できるものと思います。
2003/12/15

[101] 塩津港
島根県平田市塩津町に、「塩津港」が存在します。塩津小学校の子供たちは、「白い船」の映画に出演しています。とてもロマンのある映画です。「白い船」で検索してみてください。
当校の子供たちは、昔ながらの「塩つくり」に挑戦しています。昔は、塩津港から、『塩』が送り出していたことでしょう。
2003/12/15

[100] 塩津小学校の「塩つくり」
当校では、体験活動の一環として「塩つくり」をしているそうです。黒川村の小・中学校で、「製塩」についての交流は共通の学習課題になるものと考えています。総合的な学習の時間に、取り上げる児童・生徒がいるような気がします。
両県の教職員の、教材研究に期待します。きっと、楽しい学習活動ができるように思います。
2003/12/15

[99] 「白い船」との交流
島根県の塩津小学校では、「白い船」との交流を続けています。当校のホームページにその内容が、掲載されています。日本海を行くフェリー「れいんぼうらぶ」の乗船記等が、記述されています。新潟県の直江津と博多を結ぶ航路で、体験活動を積んでいます。当校は、「白い船」の映画にも登場する学校です。新潟県の学校から、当校と交流する学校が早く登場することを願っています。また、「白い船」が、新潟県で上映されることを願っています。
2003/12/12

[98] 塩津小学校と塩津中学校
文芸しばた第29号に、「塩津小学校と塩津中学校」のことが掲載されました。新発田市民はじめ新潟県民は、島根県や愛知県に「塩津」という地名があることを認識しました。
人々や物資の交流が、活発になることを機会あるごとに、皆様に呼びかけています。とりあえず、小・中学校の児童・生徒たちによる学習面による交流が、開始されることを願っています。
2003/12/12

[97] 塩津小学校からの便り
島根県の大森校長先生から、お便りがありました。塩津小学校では、新潟や博多までのフェリーによる体験旅行や海水から塩をつくる活動をしているそうです。『塩』という共通点から、島根県と新潟県の子供たちが、交流を始めることを期待しています。
塩津小学校には、立派なホームページがあります。是非、ご覧になってください。新潟県の人は、島根や博多方面へはフェリーで旅行することをお勧めします。
2003/12/11

[96] 「塩津潟の由来」の充実
私のホームページ「塩津潟の由来」は、今年一年間で27項目を追加し、充実することが出来ました。講演の様子や論文の掲載等、多岐にわたることが出来ました。中でも、『塩津潟は塩の道』の出版はとても大きな出来事でした。現在1500冊以上が、読者の手元に届いています。新潟県の歴史の見直しに、非常に大きな影響を各方面に与えています。これは、「塩津潟教育研究所」の開設が大きく関わっています。
2003/12/10

[95] 校長先生方のお話や便り
「塩津潟は塩の道」の著書についての感想が、私の耳に沢山聞こえるようになってきました。また、お便りを沢山頂戴しています。社会科や総合的な学習の時間に、教材として活用しているとのことです。大変喜ばしいことです。歴史上の真実の強さを、感じています。この著書の内容が、各市町村が編集する「副読本」に参考資料として役立つことを、切に期待しています。
2003/12/08

[94] 「われは海の子」の作詞者
芳賀矢一博士は、「旧築地村村歌」を作詞した方です。「都岐沙羅柵」を調査している過程で、「われは海の子」の作詞者であることを知りました。それは、芳賀様の親族からの申し出によるものでした。
博士は、新潟県ととても深い関わりのある方なので、他人事とは思えません。何とかならないものでしょうか。
2003/12/08

[93] 「塩の先生」という呼称
私は、子供たちから「塩の先生」という愛称で呼ばれるようになってきました。地域の子供たちは、親しみをこめて呼ぶようになりました。このことは、「塩の道」についてかなり理解を深めていることを物語っているようです。
2003/12/08

[92] 各市町村長さんが塩津潟を認識
平山新潟県知事さんはじめ、県内の各市町村長さんが、「塩津潟」及び「都岐沙羅柵」をそれぞれに認識してきました。各市町村長さんたちと会って、郷土の歴史について話し合ってきました。その結果、「塩津潟」及び「都岐沙羅柵」については、理解していただいたものと考えています。
この歴史的な事実を、地域の活性化にどう活用していくかが、今後の課題です。既に、活発に取組んでいる市町村もあります。
2003/12/08

[91] 塩津さんが登場
「塩津」という苗字、が、日本にあります。塩津という地名と同様に、『塩』に関わるお仕事をしていたものと想像しています。先日、テレビを見ていたら俳優の中に「塩津」という姓名の方が、出演していました。日本には、何世帯数おられるのか調べて見たくなりました。
2003/12/05

[90] 塩津潟か゜文献に続々登場
最近発刊された中世の考古学の文献等を読んでいましたら、「塩津潟」が文献に登場することが多くなってきました。学者の論文にも、『塩津潟」が定着してきました。内容的に注目されているのは、「塩津潟」が河川舟運に果たした役割の大きさです。
今後ますます、塩津潟の政治上・経済上の果たした役割が、明確になると思います。
2003/12/05

[89] 大甫場整備と地域の活性下
農地の大甫場整備と各市町村の活性化が、密接に連携しています。阿賀北地方も、相当整備してきました。活性化の内容は、多種多様に考えています。塩津潟の活用についても、同様のことが言えます。
2003/12/02

[88] 敬和学園大学で講話
平成15年11月14日の当大学での講話が、私のホームページ「塩の津」に掲載しました。レジュメも掲載しましたので、ご覧ください。大学生は、郷土の歴史を愛郷の念で調べ始めることでしょう。
2003/12/02

[87] 大倉喜八郎さんの啓発
私は、大倉さんの歌を座右の銘にしています。「知恵比べ、努力比べの多き世に、ほしきは人の勇気なりけり」です。この言葉は、昭和42年にお茶碗に揮毫した言葉です。私の講演に、よく出てくる言葉です。私と大倉さんとは、18歳で上京したり、海外視察をしたり等良く似た点があります。新潟日報「ミニック」の12月号に、大倉喜八郎さんのことが掲載されました。新発田市でも、最近大倉さんのことが取り上げられるようになってきました。
2003/12/02

[86] ガンジーの「塩の行進」
nhkの「その時歴史が動いた」で、ガンジーの非暴力運動のことが放送されました。イギリス支配と闘う方法として「塩の行進」を取り入れたことを知り、本当に驚きました。やはり、「塩」の持つ力はすごいものです。
2003/12/02

[85] 広報しばた12月1日号
当広報に、出版記念祝賀会のご祝儀と著者の志を合わせたものを、新発田市に寄贈(8月)しました。そのことが、今号に掲載されました。教え子たちの新発田市に対する愛郷の念を感じました。
祝賀会を開いてくれた気持ちと、郷土を大切にする気持ちのあることを知り、感心しました。
2003/11/25

[84] 「月さら」は都岐沙羅柵
中条町の『月さら研究会』が、郷土の歴史を明確にしようと活発な活動を再度開始したとのことです。これは、文芸なかじょう30周年記念祝賀会での会話である。中条町民は、「塩津潟」同様「都岐沙羅柵」を再認識してきました。今後は、全国に向けて発信することでしょう。
2003/11/25

[83] 北陸農政局等の資料の活用
官公庁から、多種多様の資料が刊行されています。私は、上記資料を活用した教育実践を「塩津潟の由来」に掲載しました。
それにアクセスした愛知県の「オルナタティブコミュニケーションズ」様から、連絡がありました。「郷土の歴史を教材化する時の配慮点」についてでした。「官公庁からの刊行物」は、内容もよく吟味され、安価で有用な資料が多いです。
学校現場では、これらの資料をさらに多く活用するべきであると考えています。
2003/11/25

[82] 県立高校の最近の取り組み
国立大学の法人化に伴い、県立高校の対処を心配していました。しかし、高校の会議に参加して最近の取り組みを知ることが出来ました。阿賀北地方の大学がある新発田市や中条町は、さらに積極的に取組むべきだと考えています。先般、新潟大学のシンポジュウムに出席してきまた。幼・小・中学校の連携した研究内容と研究組織には、感心しました。大学の生き残りを、強く感じた一日でした。
2003/11/25

[81] 文芸なかじょう30周年記念祝賀会
創刊30周年記念祝賀会は、平成15年11月22日に中条グランドホテルで盛大に挙行されました。約80名の参加者でした。中条町の文化・文芸・教育・歴史・俳句及び短歌等、多岐にわたる内容の創刊30周年です。本当におめでとうございます。
『塩津潟」については、平成6年ころから掲載させていただきました。多くの方々から、読んでいただきました。
今後、ますますの増刊を祈念しています。
2003/11/21

[80] 「塩津潟は塩の道」の重層構造
この著書は、重層的に記述してあります。塩津潟の河川舟運時代と干拓された新田時代。即ち、塩のことと米のこと。中世の塩津潟のことと古代の大和朝廷の越後3つの城柵のこと。塩津潟の現代の様子と未来の未来の希望について等、重層構造にしてあります。是非、ご一読ください。敬和学園他大学の延原教授の書評の通りです。
2003/11/20

[79] 日本図と越後絵図
「伊能忠敬と日本図の関係年表」と新潟県の古絵図等を比較しながら、講話しました。その中に、世界の国々が「日本図」に関心を寄せている年表を、資料として活用しました。
また、中央政府(江戸幕府)が、国を治めるのに「日本図」をいかに重要視したかが伺われます。敬和学園大学の学生は、その点を理解してくれたものと思います。
2003/11/19

[78] 講話で登場した人物
今回の講話で登場した人物は、次の方々です。小原國芳学長、北垣宗治学長、徳川家光、徳川綱吉、伊能忠敬、大倉喜八郎、伊藤孝二郎、延原時行様等々で、それぞれに説明しました。
歴史の経緯を、人間との関わりで講話しました。学生の皆さんは、阿賀北地方の歴史を、見直してくれたものと受け取ることが出来ました。
2003/11/15

[77] 敬和学園大学で講話
平成15年11月14日「塩津潟は塩の道」と題して、講話してきました。学生は、120人以上聴講してくれました。新発田藩の塩作りや塩津潟の新田開発について、歴史的背景をふまえながらお話しました。新発田の郷土史や、新発田出身の大倉喜八郎さんの人生観や生き方を交えて、講話しました。講話後、レポートを読ませていただきましたが、私がメッセージとして発信したことは、理解していることが分かりました。学生の中には、小学校で教えた人が数人いました。とても懐かしく思い、楽しい一日でした。
2003/11/12

[76] 国立大学から法人化へ
新潟大学付属幼・小・中の「科学教育シンポジウム」に、先般参加してきました。平成16年度から、法人化になります。確かに、研究内容及び研究方法が、今までとは進展していました。
法人化になると、地域素材に密着した教材をより一層取り扱うことになるでしょう。今後の研究内容に、大きな期待を寄せています。新潟県の『塩の道』も、近日中に取り上げられるでしょう。
2003/11/11

[75] 「塩の道」の輪が広がる
阿賀北地方の「塩の道」の輪が、少しずつ広がってきました。その訳は、『塩』に関する話題が各市町村の行政側から、多く聞かれるようになってきました。このことは、合併が進行すると一層「塩の道」のイベント化が加速すると思います。
2003/11/10

[74] 子どもに対する食教育」に参加
新潟県教育委員会主催の「にいがた連携公開講座」に参加してきました。今後は、食農教育の重要性を強く感じました。先人が、潟の干拓を長年継続して、食糧増産に努力してきました。その事実を教育の現場で、もつと大切に取り扱わなければならないと、強く感じました。
2003/11/10

[73] 文芸なかじょう30周年記念号
「塩津潟が新発田市議会に上程」が、30周年記念号に掲載されました。新発田市議会議員が、ようやく認識し、活動を開始しました。新発田藩の新田開発が、新発田市民に認識されてきました。平成15年3月19日のことでした。新発田市の教育の現場でも、児童生徒の「副読本」として、登場できるようになりました。とても大きな成果です。
2003/11/09

[72] 科学教育を考える会に参加
第2回科学教育シンポジュウムに、参加してきました。日本の科学教育は、危機的な状況にあることを再認識してきました。学問的に真実を、正確に探求し伝承していくことの大切を、つくづく感じました。各大学の研究や授業を通しての、検証を急ぐことを強く感じました。合理的な努力を、継続していく必要があると考えています。
2003/11/09

[71] 大倉集古館名品展を鑑賞
新発田出身の大倉さんのコレクションを、鑑賞してきました。「塩津潟は塩の道」にも記述したように、大倉さんの『知恵比べ努力比べの多き世にほしきは人の勇気なりけり』の支えがあったからです。大倉さんの先見性と行動力には、本当に驚くばかりです。
2003/11/07

[70] 伊能忠敬と日本図
江戸開府400年記念特別展「伊能忠敬と日本図」を、参観してきました。「塩津潟」を解明できたのは、多くの古絵図が存在していたからです。同展は、日本の地図の歴史がとてもよく理解することができました。是非、観賞することをお勧めします。
それにしても、伊能忠敬さんの50歳過ぎてからの、「日本図」作成の大偉業に驚くばかりです。伊能さんの人生観を、見習いたいものです。
2003/11/05

[69] 黒川村から新潟市までの塩の道
黒川村の塩沢・塩谷から、中条町の塩津を経由して、新潟港の新潟市まで『塩の道』がつながりました。このことによって、黒川村から新潟市を通って、津川町まで「塩の道」が連携できました。阿賀北地方の、「地域おこし」のイベントに期待しています。
2003/11/04

[68] 「塩津潟は塩の道」に登場する人物
「塩津潟は塩の道」の中に登場する人々は、沢山います。その人たちは、郷土の歴史を大切にしようと心がけた人たちです。それぞれの立場で、いろいろな面で多大なご支援を頂戴いたしました。
多くの人たちのご協力で、刊行にいたったものです。今後も、多くの人々に活用していただきたいと思っています。
2003/11/04

[67] 文芸なかじょう30周年記念号
創刊30周年記念号おめでとうございます。担当者の30年間におよぶ感慨は、ひとしおのものがあると思います。
私は、この記念号に「塩津潟が新発田市議会に上程された」を、掲載させていただきました。中条町民に対して、読んだり書いたりを通して、文学に親しみを持ち続けた30年間だったことと思います。特に、阿賀北地方の先駆的な役割を果たしたと聞いています。記念祝賀会の盛会を、祈念しております。
2003/11/03

[66] 英国人「イザベラ・バード
新潟日報は、15年10月15日付けの朝刊で、英国の旅行家「イザベラ・バード」を紹介してます。今回の津川町郷土資料展でも、イザベラを紹介していました。彼女は、会津から阿賀野川を船に乗って新潟を経由して山形県へと旅行しいます。1878年のことです。この頃の河川舟運の様子が、この旅行記によって知ることが出来ます。
私は、新潟日報の記事と、津川町での展示の偶然にとても驚いています。
2003/11/03

[65] 「阿賀野川」の塩の道
『塩の道』の阿賀野川ラインは、新潟市・安田町・三川村・津川町・鹿瀬町と、各市町村の連携が出来、共通の認識が市町村長や行政側に出来上がってきました。
昨日の津川町での「水運の歴史一堂に」を参観して、強く感じました。
2003/11/02

[64] 水運の歴史一堂に(2)
津川町役場の「水運の歴史を一堂に」は、河港としての物流の様子が分かり易く展示してありました。佐藤さんや赤城さんや宮川さんから、詳しくお話をお聞きすることができました。
津川町の歴史を、合併した後も児童生徒に正しく伝承する教育活動を継続してほしいと思いました。
2003/11/02

[63] 水運の歴史一堂に
「津川の河港と阿賀野川水運」をテーマにした東蒲原津川町郷土資料展が、津川町役場で3日まで開催されています。
新潟県の『河川舟運』が、各市町村で取り上げられています。
2003/11/02

[62] 港テーマあつく討論
「みなとまち新潟」について、10月31日新潟市万代市民会館で開催されました。「新世紀港湾ビジョン」について討論が行われたと新潟日報は伝えていました。
2003/10/31

[61] 作者と読者
私は、今までは「読者」一辺倒でした。この度、「塩津潟は塩の道」を出版してみて、「作者」としての『メッセージ』の発信と伝播力に喜びを感じています。現役時代に、「学級文集」を1年間に5冊編集した経験がありましたが、その子供たちが出版記念祝賀会を開いてくれました。その子供たちも、書くことの喜びを理解してくれたように思いました。
2003/10/31

[60] 「暮らしの中に生きる図書館」
上記の講演を、昨日聞きました。講師は、埼玉県鶴ヶ島市教育長松崎頼行様でした。私は、『まちづくりと図書館づくり』に興味と関心がありました。著書を発刊するにあたり、本当に多くの図書館にお世話になりました。特に、図書館員さんに相談することが多かったです。私のメッセージの中に、「地域おこし」がありますので、大変参考になりました。ありがとうございました。
2003/10/30

[59] 都岐沙羅柵の比定地は中条である理由(1)
中条町に「都岐沙羅柵」があったと提唱している人々がいます。
@齋藤修平様(元新潟県立図書館長)A芳賀矢一様(元国学院大学長)
B小野まつえ様(中条町)C伊藤國夫(新発田市)D城柵の研究者等々特に、旧築地村の村歌に「史に名高き月さらの〜」があることを見逃せない。中条町の地域おこしに、「都岐沙羅柵」が取り上げられることでしょう。
2003/10/30

[58] 児童生徒の最近の反応
最近、児童生徒の口から「塩」のことや「塩津潟」のことが、私の耳にまで聞こえるようになってきました。さらには、「伊藤先生は本を書いたんですね」というところまできました。子供たちの心の中に、新発田や中条の歴史のことが意識されていることを知り、著者として喜んでいます。
2003/10/30

[57] 出版記念お祝いと祝賀会のお礼
著書の出版に際して、沢山の方々からお祝いを頂戴いたしました。また、祝賀会には大勢の皆様からご出席頂き、祝賀会を盛り上げていただきました。本当にありがとうございました。おかげ様で、著書の売れ行きは好調に進んでいます。地域史の見直しや郷土を愛する児童生徒等が、育成されることを期待しています。
2003/10/29

[56] 文芸「しばた」の塩津小学校を掲載
平成15年10月18日発行の「塩津小学校と塩津中学校」を掲載しました。新潟県の児童生徒と、島根県や愛知県の「塩津」に由来する人々が、交流することを期待しています。
2003/10/29

[55] 「にいがたの一冊」の全文を掲載
平成15年10月12日に、新潟日報に掲載された敬和学園大学の
延原時行教授の「塩津潟は塩の道」の書評をご覧ください。
2003/10/29

[54] 中条町議会の一般質問を掲載
平成15年9月19日の富樫誠議員の質問に対して、熊倉信夫町長が答弁したものを掲載しました。前回の平成12年の中倉教育長が答弁したものより、明確な答弁になっています。
2003/10/28

[53] 各町村だよりに「塩津潟」が紹介
「塩津潟は塩の道」が、各市町村便りに紹介され始めました。このことによって、阿賀北地方の『塩の道』がなお一層イベント化に近づいてきました。先人が営んだ「塩」との関わりが、新潟県民に理解されてきました。
2003/10/28

[52] 地域学の誕生
先般「東北学」という本が、知人から郵送されてきました。内容は、地域に関するものでかなり大冊でした。各大学で、「地域学」に取組み始めていることを知りました。近いうちに、新潟学や長岡学や新発田学というような、地域と密着した学問が活発になってくることを感じました。
2003/10/28

[51] 図書館担当教師からの激励
新潟県内の沢山の「図書館担当教師及び担当者」は、いろいろな本を本当に沢山読んでいます。私は、『塩津潟』や「都岐沙羅柵」の調査には大変お世話になりました。
私が今回出版した「塩津潟は塩の道」について、「よくまとめられましたね」との激励を多く頂きました。この著書を、さらに活用して郷土の発展に寄与できることを願っています。
2003/10/28

[50] 里創プランの愛称は慎重に
新潟県内の各市町村は、「地域おこし」に取組んでいます。里創プランの愛称は、新潟県の歴史とも深く関連しているので、慎重に検討して決定するべきものと思います。やはり学問的な配慮が、絶対に必要であると考えます。
2003/10/23

[42] 「塩の道」の学習状況
現在、学校で「塩の道」について学習を進めている学校または教師がおられましたら、お知らせいただくとありがいです。よろしくお願いいたします。
2003/10/22

[41] 新潟県総合政策部地域政策課へ提言
「塩津潟は塩の道」で、各市町村の地域活性化に対する提言をしています。先般、お話し合いをした通りご高配をお願いいたします。
2003/10/22

[40] 「塩津潟は塩の道」のメッセージ
「塩津潟は塩の道」のメッセージの中の一つに、小学校・中学校の児童生徒に『自分が持った夢を、実現させてほしい』という、著者の願いが込められています。そのためには、社会科学習等の発展や総合的な学習の時間に、積極的に努力してほしいと思います。
2003/10/21

[39] 「よみがれ!都岐沙羅柵」
上記の主題は、「塩津潟は塩の道」の第7章の内容です。   「つきさらのき」については、是非一読願いたい。中条町の地域おこしに関連して、近いうちに「都岐沙汰羅柵」がよみがってくることでしょう。
2003/10/21

[38] 新潟県地域振興課のご理解
県の地域振興課〔新潟・新発田・村上〕は、都岐沙羅柵について中条町築地が比定地であるという説を、ご理解いただけたものと思います。大和朝廷は、新潟県に3つの城柵を設置しています。つまり、沼垂柵・岩船柵・都岐沙羅柵です。里創プランの愛称としも、史実に基付いた名称を使用するべきだと考えます。今後、一考してくださるようお願いいたします。〔平成15.10・21〕
2003/10/21

[37] 土木事務所のご理解
新潟や新発田及び村上の各土木事務所は、新潟港〜阿賀野川〜福島潟〜加治川〜塩津潟〜胎内川〜岩船港による河川舟運について、一定のご理解を頂いたものと思っています。
2003/10/21

[36] 最近の便りから
10月12日の新潟日報「にいがたの一冊」『知の考古学の傑作』を拝見しました。今までも日報紙上でいろいろな形で紹介されていましたが、今回の記事は、あなたの本質を最高に激賞した、価値の高いものと思います。〔n.k〕
2003/10/21

[35] 最近の便りから
『「塩津潟は塩の道」の最近の活動状況についてお知らせありがとうございました。付近の小学校・中学校が、先生の御本によって地域の歴史に眼を開かれ、歴史の面白さを知って児童・生徒たちを知的に刺激していくことが、最も願わしいことだと思います。』というお便りが届きました。
2003/10/18

[34] 都岐沙羅柵に対する中城町民の想い
旧築地村の皆さんは、村歌の「史に名高き月さらの〜」を、中条町に合併するまでは歌っていたのです。また、「月更工業」は、ずっと以前から経営している会社です。この歌詞の「月さら」とは、「都岐沙羅」のことです。だから、中条町民にとっては、「都岐沙羅柵」は、感懐深い言葉なのです。大和朝廷の、城柵に想いをはせているのです。
2003/10/18

[33] 市町村長たちとの話し合い
阿賀北地方の各市町村長たちと「塩の道」について、話し合ってきました。それぞれに地域の活性化に努力しておられました。また、合併問題についても、真剣に取組んでいました。
2003/10/18

[32] 「塩津潟記念公園』の造成計画
中条町の住民の皆さんは、「塩津潟記念公園」の造成計画に、平成10頃年から本格的に取組んでいます。福島潟と塩津潟の「水辺の文化」の交流が、早く開始できることを願っています。
2003/10/18

[31] 阿賀黎明中学校・高等学校の参観
中・高校一貫校の「阿賀黎明中学校・高等学校に、お邪魔する機会がありました。吉田校長先生以下、学校をあげて地域に根ざした教育活動に取組んでいました。今後の卒業生の、大活躍に期待がふくらみます。
2003/10/18

[30] 新発田市内の5つの高校
最近、市内の5校にお邪魔する機会がありました。高校生のさわやかな様子を、目の当たりにすることができした。小学校の時に教えた子供たちから「伊藤先生』と、声をかけられる場面もありました。入試の季節が、すぐやってきます。自分の目当てに向かって、驀進してほしいと思いました。
2003/10/18

[29] 塩津潟教育研究所の開設
平成15年4月に、『塩津潟教育研究所』を開設しました。その記念に「塩津潟は塩の道』を出版しました。2000部を印刷し、8月に販売を開始しましたが、残りが少なくなりました。地域の住民は、地域史の見直しに、深い興味と高い関心を持っています。     多くの方々のご協力に、感謝いたします。
2003/10/18

[28] 地域振興課から地域振興局へ
平成15.8.20に平山征夫新潟県知事は、地域の活性化を図る上からも「課から局へ」平成16年4月に格上げをすると、中条町で説明されました。合併後の各市町村で、各地域の振興に力点を置くことでしょう。
2003/10/18

[27] 都岐沙羅柵の比定地の検討
新潟大学等は、「大和朝廷が新潟県に設置した3つの城柵のあった場所」の検討始めました。沼垂柵・岩船柵・都岐沙羅柵が、近いうちに明確になることでしょう。これは、文部科学省の研究指定を受けているからです。
2003/10/18

[26] 文芸「しばた」に塩津小学校が掲載
平成15.10.18に発売された「文芸しばた」に、島根県と愛知県の「塩津小学校と塩津中学校」のことが、掲載されています。
新潟県内の小・中学校の児童・生徒が、「塩の道」という共通点から、総合的な学習の時間等で相互の交流が図られることを期待しています。
2003/10/18

[25] 町だより「なかじょう」に紹介
平成15.10.15の町だよりで、町内の小学校5校・中学校3校の児童生徒に、活用されていることが紹介されていました。
自分たちが生活している郷土の歴史を、正しく学んでくれることを願っています。
2003/10/16

[24] 主な活動の経過
平成15年の主な活動の経過を、紹介しました。詳細については、「塩津潟の由来』をご覧ください。
2003/10/16

[23] にいがたの一冊〔新潟日報〕
平成15.10.12に、新潟日報に「塩津潟は塩の道」の書評が掲載されました。敬和学園大学の延原時行教授は、「知の考古学の傑作」という論評で紹介してくださいました。
2003/10/16

[22] 中条町議会の定例会議
平成15.9.19に、中条町議会に富樫誠議員が、「塩津潟』について熊倉中条町長に質問しました。熊倉町長は、「塩津潟」についての認識を明確に答弁されました。
2003/10/16

[21] 町だより「なかじょう」に紹介
中条町の『塩津」の歴史的事実が、中条町民の皆さんに紹介されました。平成15.9.1のことです。
2003/10/16

[20] 県立歴史博物館友の会会報
平成15.8.31に、上記の会報に「塩津潟は塩の道」の出版のことが紹介されました。新潟県内に、広く紹介されました。
2003/10/16

[19] 新潟日報「ひととき」に掲載
平成15.8.27に、新潟日報の「ひととき」欄に掲載されました。「塩津潟は塩の道」の出版に関する記事でした。私の『塩津潟研究』の様子が、詳しく説明されていました。
2003/10/16

[18] 平山新潟県知事との集い
平成15.8.20に、上記の集いが中条町の産業文化会館で開催されました。その時に、阿賀北地方の『塩の道』についての地域おこしの提案を、新発田市での平山県知事との集いに次いで、私がしました。
2003/10/16

[17] 新発田郷土史会の講演
平成15.8.21に、上記の講演会を行いました。演題は、「塩津潟は塩の道』です。4年連続の講演でした。大勢の方が、本当に熱心に聞いてくださいました。
2003/10/16

[16] 塩津潟は塩の道
平成15.8.8に、「塩津潟は塩野の道』の出版記念祝賀会を開催しました。中条グランドホテルにおいて、80数名という大勢の方たちによって盛大に行われました。
2003/10/16

[15] 新発田市議会
平成15.3.12に、新発田市議会において、長谷川晃議員が『塩津潟』について一般質問をしました。新発田市において、『塩津潟』が公式に議会で質疑応答か行われたのは、これが最初のことです。このことによって、学校現場において「新発田藩の塩津潟の新田開発」のことが教材として取り上げられることになります。とても大きな進歩です。
2003/10/16

[14] 中条町議会
平成14.3.7に、中城町議会において、富樫誠議員が「塩津潟』について一般質問をしました。『塩津潟』が、新潟県内において議会で討議されたのが、今回が最初のことです。本当に画期的な議会でした。
2003/10/16

[13] シポジウム
平成14.3.3に、「にいがた・沼垂の古環境と歴史像」のシンポジウムで私の意見を発表してきました。
2003/10/16

[12] 地域素材を教材化
平成15.2.28に「地域素材の教材化」で実践記録を発表しました。
2003/10/16

[11] 県建築士会の講演
平成15.2.27に、「塩津潟と新発田藩」という演題で講演しました。このことで、新発田市民に『塩津潟』のことが、一層広く認識されてきました。
2003/10/16

[10] 新発田ロータリーの講演
平成15.1.27に、「塩津潟と新発田藩」という演題で講演をしました。このことが、新発田市議会の一般質問へと発展しました。
2003/10/16

[9] 敬和学園大学
平成15.1.17に、当大学で「塩津潟』のお話をしてきました。それ以来、新発田市においても『塩津潟』が広く認識されてきました。演題は、「塩津潟と新発田市」でした。
2003/10/16

[8] 『塩津潟
このホームページは、平成6年に開設しました。現在は、6412回のアクセスがありました。内容の充実とともに、利用する人が多くなってきています。
2003/10/16

[7] 塩津潟
塩津潟は、大変よく読まれています。