正保二年 越後絵図は新発田市及び私のお宝

               塩津潟教育研究所
                伊藤 國夫

※越後絵図は、新発田市所蔵の文化財
※尚、新潟県の文化財に指定(平成8年)
※非常に重要な「古絵図」
※新発田藩や村上藩等が協力して製作
※正保二年(1645年)の製作(現存が少なく国宝級)
※江戸幕府三代将軍徳川家光の「越後絵図」
※五代将軍徳川綱嘉吉の「越後国蒲原郡岩船郡絵図」(1700年)へと継続
※私と「越後絵図」との出会いは、小学校5年生の時    ⇒ 私のライフワーク
※この「越後絵図」は、10歳の少年に大きな衝撃を与えた ⇒ 「塩津潟」を発見


※新発田藩の初代藩主「溝口秀勝」侯以来、藩内の新田開発に非常に大きな努力
※新発田藩が、この「塩津潟」を新田開発したのは、1716年頃から着手
※新発田藩は、「塩津潟」を新田開発をし、藩民のための食糧増産に努力

 私は、「塩津潟」を新田開発した新発田藩の事実を、県内の小・中学校や高等学校や 大学の児童・生徒や学生等に、正しく伝承する教材を作成することに努力を継続それが、新潟日報事業社から出版された「塩津潟は塩の道」 「平成15年8月」

 

※中条町では、「越後絵図」を地域おこし等に活用 ⇒ 副読本「ふるさと中条」を編集
※新発田市は、この「越後絵図」を文化の伝承や教育現場の教材に活用
※地域おこしに活用できる貴重なお宝 ⇒ 新発田城の三階櫓と辰巳櫓の復元と関連
※新発田市民は、「越後絵図」を、教育や地域おこしに活用

「越後絵図」は、伊藤の人生を方向付けた大切な逸品