児童生徒と夢を育んで半世紀
 人生の夢は、実現するものである。幻になっていた『塩津潟』を復活させた私の体験からである。
 私が十歳のときに抱いた「塩津潟の由来」の疑問から、五十年を得た今日確実に蘇ってきたからである。
 私は、四十年間の教師生活の中で、「夢を追い求める姿」を児童生徒に提示できたことに大満足である。
 私の夢は、『塩津潟は塩の道』の出版によって形になって結実した。しかも、一年以内に二刷である。
 この著書によって、児童生徒に新たな『夢』を与える方向へと発展してきた。A新聞社は、夏休み前に「自由研究の課題事例」として掲載した。
また、Y新聞社は、越後の蝦夷と九州の隼人とを対比させた研究課題を掲載した。M新聞社は、塩津潟の干拓と諌早湾の干拓とを比較検討を示唆してくれた。
 このことは、私と直接師弟関係になかった児童生徒に「大きな夢」を与えてくれたものと考えている。 『塩津潟の復活』は、非常に困難を極めたライフワークであったが、「進みある教師であり続けた夢追い人生」に祝杯である。 小原國芳学長から卒業記念に頂戴した『夢』の掛軸を床の間に掛けて、新年を迎えている。

伊藤 國夫  五十九歳
塩津潟教育研究所 所長 (研究者)


〜未来の大人たちへ〜

 表紙の「越後絵図」は、私たちの先輩が伝えてくれた貴重な古絵図です。この絵図は、江戸幕府の命令によって制作されたものです。
 正確で美しい絵図は、六×十メートルの大きさです。立派な芸術作品として価値が、非常に高いものです。
 私は、この絵図を小学校五年生の時に見て「塩津潟」をいう潟名に疑問を持ちました。
 五十年間調べ続けた研究内容は『塩津潟は塩の道』にまとめました。私の夢の実現です。