− 塩の津・塩津潟の復活 (No.3)−
(5)「生涯大学システム」モデル事業に指定
新潟県教育委員会の『いきいき県民カレッジ』の
「生涯学習システム」モデル事業に指定されたことである |
|
この事業は、文部省の委嘱事業として実施している「地域における生涯大学システム研究開発事業」の中の
モデル事業である。中条町・紫雲寺町・加治川村・黒川村の各教育委員会が、広域学習圏事業として
『ふるさとの歴史に学ぶ』取り組んできた。(「奥山荘と紫雲寺潟(塩津潟)の干拓史」の謎にせまろう。と、題して)
 |
 |
紫雲寺役場屋上から、塩津潟を視察
|
塩津潟内を視察
|
この広域学習事業は、6月9日 〜 11月24日までの、6回シリーズで実施された。
各講演で得た感想
-
紫雲寺潟ではなく、「塩津潟」が正しいという確信を得たことである。
-
塩津・弥彦岡・築地・高橋付近に、塩津という地名がある。
-
「塩津潟」が正しい潟名なのに、紫雲寺潟とゆがめられて伝えられている。
-
講演参会者の約80数名は、史実の上からも「塩津潟」が正しいという事実を確認している。
|
 |
「しうつ」という古文書や「塩津潟」と明記されてある古文書から立証される正しい潟名の「塩津潟」がどんな理由や
原因から、紫雲寺潟と改名されたのか以前としてはっきりせず不明である。 しかしながら、紫雲寺潟に変更した理由ははっきりしないが、「塩津潟」が正しい潟名であることは、
地域住民が理解してきていることは確かである。
(6)「越後国絵図」をマスコミが注目
ニュースバリュームの高さ等から「正保越後絵図」をマスコミが取り上げ始めている。
@ |
江戸期 越後の姿一目で 新発田市「正保絵図」公開へ |
(平成8年10月23日) |
A |
「意義深かった”日本丸”寄港」 |
(平成8年08月28日) |
B |
「歴史的価値高い正保越後絵図」 |
(平成8年08月28日) |
C |
県文化財新に四件指定・正保越後絵図の写真 |
(平成8年03月05日) |
D |
「郷土の文化 見つめ直そう」中条「ふるさと」講座が好評で”塩の津・塩津の復活”の講演の様子を写真いりで報道した。 |
(平成8年11月28日) |
|
|
NHK放送局は、新発田の歴史資料展の実施の模様を放映した。 このように、マスメディアが放送したり
記事にすることによって、「塩津潟」についての正しい理解が広がってきているのは事実である。
(7)各町村史の編纂室が着目
私が収集した「塩津潟」に関する資料や講演のビデオを発送しているところは、各市町村の教育委員会、
大学、博物館、資料館、図書室、研究者、資料を提出くださった方々、1回の講演について、五十数箇所に及んでいる。
正保越後国絵図が、新潟県の有形文化財に指定されたことにを受けて、各市町村編纂室が史実の見直しを既に開始している。
例えば、新潟市、村上市、豊栄市、長岡市、上越市、聖籠町、荒川町、笹神村、水原町等である。
私が知らない市町村でも、着手していることであろう。驚くべき速さである。
この他にも、塩津潟や福島潟、信濃川、阿賀野川、加治川、胎内川、荒川等の内陸水上交通に関係している各市町村史の
担当者も、近いうちに着手するものと思われる。そうなれば、「塩津潟」と復活する日はそう遠くなるものと考えている。
真実の「塩津潟」が蘇ってくるのであろう。
− 塩の津・塩津潟の復活 (No.3)−
|