美術画報 No.43

 現代作家美の競演 (p177 〜p179)

独自の視点で郷土を探求

 昭和四二年以来、生地の新潟県で長らく教員として教育実践の傍ら、植物と人間のかかわりや郷土史に独自の視点から研究成果を上げ、昨年には塩津潟教育研究所を設立して講演活動などもおこなっている作家の写真作品と著作である。
  「加治川桜の復活」は川の堤防沿いに続く満開の桜の遥かな連なりである。桜並木の下草や川原の植物は、まさに萌え出るような緑で桜の花と穏やかに澄み渡る青空が、心弾むような春の雰囲気を色彩のハーモニーとして奏でている。加治川は、飯豊山に源を発し新潟県北部を流
れる全長約六〇キロメートルの川で、下流の一二キロメートルにおよぶ桜堤は有名である。一度は伐られてしまったそうだが、長い歳月や復活運動の結果このように人々の目を楽しませるまでに復活したのだという。そのような経緯を熟知しているがゆえに、感動と歓びをもってシャッターを切ったことだろう。遠く水平線のように見える長い橋げたの赤色がアクセントとなって、遥かな奥行を感じさせる。

加治川桜の復活(写真)


 

 

塩津潟は塩の道 A5判


 『塩津潟は塩の道』は、文字通りライフワークというべき著作で、「塩津潟」という江戸時代の古い絵図にあった地名が、近世以降「紫雲寺潟」と呼ばれてきたことの疑問について半世紀を費やして得た答えなのである。小学生時代に抱いた疑問を、教職という恵まれた立場にあったとはいえ、古絵図や古絵図やさまざまの文献を渉猟して結論に至る過程は知的なスリルに溢れている。かつて塩の積出の地であった「しぉんづ」から「しうんじ」に転じたのではという推論を、文献的に論証するなかで新発田藩の干拓事業や塩の道、米の道といった流通経路、さらには七世紀に存在した都岐沙羅柵の研究から大和朝廷と越の國の関係にも及び、新潟県の歴史の見直しを迫る。B5版7章三六〇ページの大作。「あとがき」冒頭の”十歳の少年が、心ときめかせて抱いた「塩津潟」の探求が、私のライフワークとなり、しかも教員の仕事と深くかかわりながら、今日まで続くとはとても信じられない気持ちである”という文には充足感がこもっている。新潟に縁の薄い読者にも十分な知的興奮を与えてくれる著作である。

本書 見開き


 

文/秋吉和夫

<伊藤國夫>
出身=昭和20年新潟県。グループ展9回、外遊2回。1963年〜玉川大学職員。67年〜新潟県の教員として着任、各学校で教育実践(40年間)。94年〜「塩津潟の由来」ホームページ開設、各種機関誌への執筆多数、各市町村への地域おこし等の支援。95年〜各市町村の生涯学習課等の講演多数(中条町民大学、中条中学校、敬和学園大学等)。2003年〜塩津潟教育研究所設立。現在、塩津潟研究所所長。
HPアドレス http://www.inet-shibata.or.jp/~shionotsu


                                平成16年 6月10日
            様

          

塩津潟教育研究所 所長 伊藤 國夫

『美術画報 43』の謹呈について

 謹啓 初夏の候 貴職におかれましては益々ご健勝のこととお慶び申し上げます。
 日頃より「塩津潟の研究」について、多大なるご協力を賜り厚くお礼申し上げます。
 この度、私の研究及び実践の『塩津潟は塩の道』及び『加治川桜の復活』の新発田市展出作品(写真)が、『美術画報 43』に掲載されました。平成16年6月20日が、発行日です。書をご高覧いただき、新潟県の郷土史の見直しや、地域の活性化にお役に立てば幸甚にじます。私が小学校時代に抱いた疑問「塩津潟」が、約50年後の今日見事に蘇ってきまし。このことは偏に、皆様方のご協力とご支援が継続されてきたから、達成できた郷土史の直しだったと考えています。「新潟県内各地方の塩の道」は、古代より先人が営んできた事を、後世に正しく伝承していけることを願っています。新潟県の夢事業の一つとして『街物語』の中に、「金の道」・「絹の道」・「鉄の道」・「馬の道」等の中に「塩の道」も取り入るように各地方の地域振興局等で検討を開始しました。上越地方は糸魚川市、中越地方は岡市、下越地方は新潟市がそれぞれに中心になって、県内の「塩の道」の地域おこしやまづくりに発展するものと思います。各市町村の活発な取り組みに、期待を寄せています。
 本書『塩津潟は塩の道』は、「都岐沙羅柵」(つきさらのき)のあった場所についてもふれてます。大和朝廷が新潟県に設置した渟足柵(647年)=新潟市付近・磐舟柵(648年)=村上市近・都岐沙羅柵(658年)=中条町付近が記述してあります。また、平成6年度に開設したホムページ『塩津潟の由来』にも、「塩津潟」と「大和朝廷の城柵」についても記述してありす。こちらもご覧ください。(現在のアクセス数は、 8768回です。)
 新潟県社会教育協会主催のシンポジウムに、シンポジストとして「塩津潟」と「都岐沙羅」について発表してきました。平成16年 5月26日に、ウェルシティ新潟で開催されまし。私のタイトルは、『新潟県人は、教育で元気を出すぞ!』です。「都岐沙羅柵」と中条町の関連を、生涯学習課主催の講演等の事例を基に、力説してきました。また、「塩津潟」の名についても、歴史的な史実を古絵図等で解説してきました。新潟県下の社会教育協会の係者が多数出席していましたので、「塩津潟」と「都岐沙羅柵」についての認識を、一段とめたものと考えています。
 『塩津潟は塩の道』と『塩津潟の由来』は、小学校・中学校・社会人の副読本や教育用資料して、多くの人々に活用されています。今回、全国版に掲載されたことを喜んでいます。
 微力ながら郷土史の見直しや町おこしにこれからも努力を続けて参りますので、今後ともご理 解とご支援をよろしくお願い申し上げます。           敬 具

957-0018 新潟県新発田市緑町3-3-8      塩津潟教育研究所

TEL&FAX  0254-24-8397
E-mail   shionotsu@inet-shibata.or.jp
http://www.inet-shibata.or.jp/~shionotsu