美術画報 No.43 現代作家美の競演 (p177 〜p179)
文/秋吉和夫 <伊藤國夫> 平成16年 6月10日 塩津潟教育研究所 所長 伊藤 國夫 『美術画報 43』の謹呈について 謹啓 初夏の候 貴職におかれましては益々ご健勝のこととお慶び申し上げます。日頃より「塩津潟の研究」について、多大なるご協力を賜り厚くお礼申し上げます。 この度、私の研究及び実践の『塩津潟は塩の道』及び『加治川桜の復活』の新発田市展出作品(写真)が、『美術画報 43』に掲載されました。平成16年6月20日が、発行日です。書をご高覧いただき、新潟県の郷土史の見直しや、地域の活性化にお役に立てば幸甚にじます。私が小学校時代に抱いた疑問「塩津潟」が、約50年後の今日見事に蘇ってきまし。このことは偏に、皆様方のご協力とご支援が継続されてきたから、達成できた郷土史の直しだったと考えています。「新潟県内各地方の塩の道」は、古代より先人が営んできた事を、後世に正しく伝承していけることを願っています。新潟県の夢事業の一つとして『街物語』の中に、「金の道」・「絹の道」・「鉄の道」・「馬の道」等の中に「塩の道」も取り入るように各地方の地域振興局等で検討を開始しました。上越地方は糸魚川市、中越地方は岡市、下越地方は新潟市がそれぞれに中心になって、県内の「塩の道」の地域おこしやまづくりに発展するものと思います。各市町村の活発な取り組みに、期待を寄せています。 本書『塩津潟は塩の道』は、「都岐沙羅柵」(つきさらのき)のあった場所についてもふれてます。大和朝廷が新潟県に設置した渟足柵(647年)=新潟市付近・磐舟柵(648年)=村上市近・都岐沙羅柵(658年)=中条町付近が記述してあります。また、平成6年度に開設したホムページ『塩津潟の由来』にも、「塩津潟」と「大和朝廷の城柵」についても記述してありす。こちらもご覧ください。(現在のアクセス数は、 8768回です。) 新潟県社会教育協会主催のシンポジウムに、シンポジストとして「塩津潟」と「都岐沙羅」について発表してきました。平成16年 5月26日に、ウェルシティ新潟で開催されまし。私のタイトルは、『新潟県人は、教育で元気を出すぞ!』です。「都岐沙羅柵」と中条町の関連を、生涯学習課主催の講演等の事例を基に、力説してきました。また、「塩津潟」の名についても、歴史的な史実を古絵図等で解説してきました。新潟県下の社会教育協会の係者が多数出席していましたので、「塩津潟」と「都岐沙羅柵」についての認識を、一段とめたものと考えています。 『塩津潟は塩の道』と『塩津潟の由来』は、小学校・中学校・社会人の副読本や教育用資料して、多くの人々に活用されています。今回、全国版に掲載されたことを喜んでいます。 微力ながら郷土史の見直しや町おこしにこれからも努力を続けて参りますので、今後ともご理 解とご支援をよろしくお願い申し上げます。 敬 具 957-0018 新潟県新発田市緑町3-3-8 塩津潟教育研究所
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