旧県知事公舎記念館・五十公野御茶屋庭園

旧県知事公舎記念館

記念館の概要

P1020066.JPG知事公舎は明治42年(1909)12月、新潟市営所通に完成した、12代清棲家教知事の時である。以後80年近い風雪に耐え、歴代知事が起居し、県政の重要事項が決定される場ともなった。公舎が公邸と私邸からなり、私邸の和風建築に対し、公邸は屋根の一部に三角屋根を採用したり、外壁に下見張りを用いるなど、洋風建築となっている。現存する知事公舎としては、国内最古のものである。

記念館として

P1020083.JPG公舎の老朽化にともない、県では昭和63年5月から取り壊しの上新築することとなった。当市では公邸全部と私邸の一部を譲りうけ、奉先堂公園の隣接地に移築・復元した。県政の舞台になった建物と、知事の揮毫額、遺愛品などを鑑賞する記念館として活用されるようになった。


  • 開園時間…AM9:00~PM4:30
  • 休館日…月曜日(月曜日が祝日・振替休日の場合は、翌日が休館)12月~3月
  • 入館料…一般300円、小・中・高校生150円

五十公野御茶屋庭園 国指定名勝

五十公野御茶屋の由来

P1020095.JPG五十う公野御茶屋は新発田藩主の別邸である。初代藩主溝口秀勝は新発田入封の際、到着地であるこの地に仮住居をかまえて御手作田を営み、築城と領内経営の構想を練ったのがはじまりと伝えられている。。新発田城は秀勝入封56年後に完成しているが、その翌年の明暦元年(1655)に3代藩主宜直が初代藩主の旧跡地であるこの地に、約34,000坪の別邸を構えた。4代藩主重雄の時に、幕府の茶道方で遠州流の茶人縣宗知を招いて、庭を作り、別邸を茶寮とした。歴代藩主は江戸への参勤交代の行き帰りにここで休息し、旅装を整えたり、また、普段は重臣にも開放して茶会を催したりなどしたという。平成9年度から11年度の復原修理工事にあたり、同時に調査を進めた結果、式台の存在が確認されたをふまえ、文化11年(1814)建築時の最も整った時期の姿に復原し、併せて構造補強工事を実施した。

記念館として

P1020111.JPG御茶屋は洗練された数寄屋造りの建物で、全般に木柄が細く簡素繊細な造りである。夏座敷二部屋は思い切って開放的につくられ、庭園を十分に鑑賞できるようにつくられている。庭園内の松杉は諸国の名所の種苗を取り寄せて植えたものといわれている。「心」の字をかたどったといわれる池をうがち。なかに美しい赤松の老松を植えた島を浮かべ、まわりに築山をまぐらした池泉回遊式庭園である。石組をほとんど用いないで樹木の丈を低くおさえ、ゆったりとした造りとしてところが最も風味があるといわれている。借景としている裏の御腰掛山の中腹には「華鳥軒」というあずまやが建っていた。


  • 開園時間…AM9:00~PM4:30
  • 会館期間…4月1日~11月30日
  • 休館日…月曜日(月曜日が祝日・振替休日の場合は、翌日が休館)12月~3月
  • 入館料…無料