富士山 (三角点3,775.6m 吉田口の山頂の鳥居 3.715m)
平成23年12月22日(木)〜12月25日(日)

 12月23日の朝、スバルラインの営業開始時間を待つ  六合目付近。雪と氷と土埃の妙な取り合わせ。越後人には理解不能
   
2,700m付近から上部を見上げる   テントを設営して、さあ雪上訓練の開始
   
 地形と硬い雪面のため、ロープで安全確保したうえで、滑落停止訓練  登頂に向けて。白雲荘前で絶景を楽しむ
   
 寒くて苦しく長い登山だった。気温−22℃全員無事登頂  クリスマスイブを富士山で過ごす。中央、フィフェスタの谷の沼ちゃん
   
 下山の朝。相模湾から日の出・・・・それにしても寒い  下山途中で振り返ると、強風が雪煙を巻き上げていた
   
いきなり観光地となる五合目駐車場  駐車場のインフォメーション・・・・寒いワケだ。
   



日  時     平成23年12月22日(木)〜25日(日)
参加者    白倉さん、堀口さん、渡辺(康)さん、岡村さん、大平さん、影山さん(新潟山岳会)
        沼田さん(新フィフェスタの谷 福島県)
        
JJφLTQ(ボク 下越山岳会)

行き先    富士山
天 候      22日・・・新潟は風雨・風雪強し 群馬県以南は快晴

        23日・・・晴れ
        24日・・・晴れ時々曇り(山頂−22℃)夕方から、風が強まり気温も低下傾向 夜間風でテントが押されて寝難かった
        25日・・・晴れ

目 的     厳冬期 高山登山
装 備     厳冬期テント泊装備
通信用具  無線機・携帯電話
ナビ用品  地図 コンパス GPS
登攀具   アックス・クランポン(訓練用として、バイル、スノーバー・ガチャ・ロープ)
防寒具    フリース・ダウン・目出し帽
その他   ヘルメット

コースタイム 事柄 備考
12月22日
22時20分 集合場(新潟市内)発


12月23日

00時45分 河口湖IC  コンビニで寝酒、今日の行動食等購入
01時00分 スバルライン料金所ゲート着 YASU号の到着待ち
02時10分 YASU号到着 テント設営〜仮眠

09時00分 スバルライン料金所発
09時25分 スバルライン五合目駐車場着
09時50分 スバルライン五合目駐車場発
10時25分 六合目(2,386.1m)
13時00分 七合目テン場(2,900m)テント設営 軽食
14時00分 雪上訓練開始
15時30分 訓練終了
16時00分 夕食準備〜


12月24日
06時00分 起床
08時10分 テン場発(2,900m)
09時00分 白雲荘(3,200m)
10時40分 九合(3,600)
11時20分 吉田口登山道終了点着 山頂 (3,715m)

11時38分 山頂発
12時40分 テン場着

12月25日
05時00分 起床
07時50分 テン場(2.900m)発
09時27分 スバルライン五合目駐車場着  到着後、入浴、
11時15分 河口湖IC〜関越道 高坂SAで食事
17時10分 集合場所着


概要
日本一の高さだけでなく、その優美な姿の美しさで万人に愛され、多くの登山者を受け入れる霊峰富士。
しかしながら、標高は3.700mを越え、国内で唯一、高所の苦しさを感じる所である。
冬期はそれに加え厳しい気温、突風の激しさ、厳しさは特別な存在としてヤマ屋に知られ、恐れられているところでもある。
今回、新潟山岳会が冬富士を計画し幸いにも、参加を許して頂き同行させて頂いた。
また、新潟山岳会の白倉さん、渡辺さん、大平さんが「北日本海外登山研究会」で知り合った「新フィフェスタの谷」の沼田さんは、偶然ボクとは
旧知の仲で今回、ご一緒させていただいた。沼田さんとは多分、お互い会山行?で谷川岳南稜以来、1年半振り位の再開かと思う。
今年の東日本大震災の後、メールで連絡を取ったきりだったので再開はとても嬉しかった。


記録
12月上旬、新潟山岳会所属のロープパートナーの相方さんから、他会の方も参加するのでLTQもどうか?とお誘いを頂いた。
正直、嬉しかった。なかなか厳冬期の冬富士を所属会で取り組める環境になく、半ば諦めかけていた。
天気予報はクリスマス寒波が襲来し強風と低温で悩まされるのは必定という中、出発した。

12月22日(木)
福島からの沼田さんを除いて、集合場所に集合し2台に分乗し河口湖ICを目指す・・・が、堀口さんがとりあえず、
「米山SAを目指して」・・・という。
「えっ、関越じゃないのですか?」
「そ〜だよね、米山SAと越後川口SAの勘違いだよね。」
と、いうことで、越後川口SAを目指しSAに到着するが、YASU車がない。
電話すると、YASU車のカーナビは上越〜長野廻りを指示とのこと。
今更なんで、それぞれ進んで、河口湖ICで落ち合うことに。



12月23日(金:祝)
01時前に河口湖ICを出て、コンビニで、寝酒と今日の行動食を購入し、スバルライン入口料金所に到着し、YASU車に電話を入れると
02時過ぎの到着予想時間とのこと。
1時間はタイムラグがあるので、先に入山祝い・天気祭りの練習。

越後の空ではこの時期考えられない満天の星空を肴に軽く飲んでるうちにYASU車到着しテントを張って就寝。
就寝時間は遅いものの、スバルラインは9時からのゲート解放なので朝はノンビリだ。

7時頃起き出して簡単に朝食をとりパッキングをし直していると、沼田さんが到着。
どうしても一番乗りがしたい岡村さんの希望でゲート前に車を並べて待っているとドンドンバスやら、観光車両が並ぶ。
9時に料金所が開き五合目の駐車場を目指す。
準備をしていると、ドンドン観光バスが上がってくる。

準備をして冬期閉鎖の登山道を目指す。(一般論として登山道は9月上旬から6月下旬までは管理者である山梨県より閉鎖とされている。)
雪と氷と土埃という、越後人からは理解不能の環境をモクモクとあるく。
途中でクランポン(アイゼン)を付けてテン場を目指す。

テン場は3,000mにほど近い7合目付近。
テン場に着いてテント設営、休憩、軽食を摂り、直ぐ近くの大沢で雪上訓練。
雪面は硬く、雪が少ないために、アチコチで岩が露頭しており油断できない。
訓練といえども、ミスすると危険なため、ロープで確保した状態で訓練を行う。
北向き斜面のため日陰で寒い。一通り訓練して、晩御飯の準備。

当初計画では、テン場で訓練組と登頂組を分ける計画と聞いていたが、全員体調も良く、技術的・フォロー体制も大丈夫であろうという白倉Lの
判断で、明日は全員で山頂を目指す事になった。



12月24日(土)
真っ暗な時間帯に、テントの脇を通過するクランポン(アイゼン)の音で目覚める。
明け方前に少し風が吹いて心配したが、朝食の時間には落ち着いた。
晴天、ほぼ無風の好条件のなか歩きだす。
硬く締まった雪面にクランポン(アイゼン)、アックス(ピッケル)が快適に効く。
とて快適な状況だ。もっとも、転倒したら即、滑り出す状況で危険を内在している。

八合目からは苦しくなるハズで、一度、筋肉が酸欠になると簡単に回復しないので、とにかくユックリ目の歩行を心がける。
3,500m付近上で少し苦しい感覚があった。が深呼吸とユックリ登行でイーブンペースで・・・・3,500m付近からは、ガスと風が視界と暖かさを奪う。
3,600m付近からは特に苦しむこともなくイーブンペースで登る。
やはり、3,000m以下とは登り方が異なる。いや、ボクの場合3,500mからは別物。
3,100m前後では普段のヤマと登り方(スピード)等特段変化はないが、3,500mからは別だ。
とはいえ3.500mできなり登り方を変えることではなく、3,000m付近から疲れないよう歩くことが大事と思う。
特に、冬期は寒さ、風への対応は考えておくべき。

八合目から上は更に雪面の状況は厳しい。
サンクラスト、ウインドクラストの状況は更に硬く締まっている。
とはいえ、硬いのは表面で中は柔らかいので、アイススクリュー、アイスハーケンは論外で
各種スノーアンカーも効き難い。また、SAもシャフトが埋まり切れないので使い難い。
総合的には肩絡み等の方法での確保となろう。
今回はスタカットで確保することはなかったけれど、もし行うのであれば簡単ではないと思う。

3,400m下の八合目付近から、大平さん、影山さんの女性二人が強かったのが印象的な登りだった。
大平さんは、少し離れていたので解らないが、3,400m付近で影山さんがみぞおち辺りの不快感を訴えていたので
とにかく、ユックリ歩こう。
前の人がピッチを切って立ち止まったら、意識的に深呼吸をしよう。と話した。
全体のスピードが急速に落ちるなか、女性二人のペースがイーブンで結果的に順を上げて行った。
お見事でした。

全員元気に吉田口の山頂の鳥居をくぐり吉田口の終了点へ到着。
寒い。後日、気象庁のアメダスデータをみたら−22℃
テルモスに入れた暖かく甘い紅茶とチョコレートで一息。
長居は無用と下山にかかる。

登りとは異なり
だんだん空気が濃くなる気がする。徐々に身体が暖まる。
くとはいえ、下りも案外疲れるのは何時もと違う感覚だ。

下りについては、登りより一層の注意が必要で、八合目下までは気の抜けない状態が続く。
それでも、クランポンが良く効いてくれたのは助かった。
ほんの僅かなミスが致命的な滑落を招く。集中力が必要な下りだった。

テン場に着いて、テン場を下に降ろすかどうかで協議。
撤収・再パッキングして下山しても日没時間に五合目Pまで着かない。
或いは着いても水造り用の雪が取れるか?
結果的に再度テント設営時間を考えると降ろすのもあまり得策でない様な気がし七合目で二晩を過ごすことに。

今晩はクリスマスイブで登頂後ということもあり、早目から酒食が進む。
んが、暗くなる頃から風が強まりテントを揺らす。
気温の低下も顕著。
就寝の頃からは絶えずテントが身体を揺らし寝難かった。
風がテントと煽るたびに、霜が顔に落ちて実に不愉快。
風で身体が押されて目覚めること、頻繁・・・・あきらめて夜明け時間を待つ



12月25日(日)
早いものでもう下山の日
なんだ、もう少し居てもいいのにな。
などと暢気に思う反面、風呂に入ってアツアツの味噌ラーメン・焼たて餃子が食べたいという、別人格も内在する朝。
かなり冷えている様でテントの中も霜が落ちてくる。

カレーうどん他で朝食。身体が暖まり人心地がつく。
撤収準備をしている途中、アクシデント。
同行メンバーの一人が指の変調を訴えた。
観てみると、左手の指先2本が真っ白で指の腹側の他、爪の内部まで青白く変色しており、二度の受傷の可能性を考えた。
しかしながら、12月28日、本稿を記載している時点では一度で済みそうな情報である。ごく軽度で済んだようである。
一度ならは、あの条件下ではラッキーと思う。

荷物を背負いどんどん下り途中で振り返ると大沢に強風に伴う雪煙が見えた。
恐ろしく感じた。
多分、25日なら登頂は出来なかったと思う。

六合目からは土埃が舞う道を歩くが、途中滑りやすい場所もあり転びそうになって
バランスを大きく崩したら、ザックに付けたヘルメットが大外を廻りコメカミを強打・・・・
サングラスが破損・・・・なってこったい。

ツラなら打撲で治るが、サングラスは破棄せざるを得ない・・・・チクショウ
って、オカシイといわれた。

駐車場で荷を解いて、スバルライン下の溶岩温泉で身体を温めて帰途についた。



新潟山岳会各位、新フィフェスタの谷の沼田さん
皆様に感謝

山頂を許してくれた
お天気に感謝
ありがとう。

東日本大震災で何か腑抜けになった春のシーズン以降パッとしない年を過ごしてきたが
何とか最後に記憶に残る山行ができた。



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