会津街道」てくてく旅 旅行記

 「温故知新」(過去の事実を研究し、そこから新しい知識や見解を開くこと)を基本テーマとした「街道てくてく旅」会津街道を歩く会が、9人の健脚自慢?の会員が参加して6月2日から3日の一泊二日で行なわれた。
 今回は、昔、殿様が江戸に向かう際、旅の支度を整えたという五十公野御茶屋から旧津川町の清川高原までの約31kmに挑戦。

 1日目は五十公野御茶屋を午前8時30分に出発し、米倉、大槻、山内を経て赤谷で昼食休憩。午後は赤谷集落はずれにある一里塚を確認の後、旧三川村綱木、新谷を経て行地(いくち)集落までの23.5km。
 途中、赤谷では地元の郷土史研究家の杉原さんに赤谷の歴史について説明いただき、下綱木では地域でお館様と呼ばれ、本陣のあった二瓶亮三郎宅を訪問。築300年以上の立派なお屋敷には古い絵図や水戸黄門の書の屏風など、お宝があちらこちらに無造作に置かれているのに一同びっくり。「小判もあったけれど自分の金歯に化けてしまった」という話は亮三郎さんの人柄を物語っており、そのスケールの大きさにただただ関心。
□ 午後4時40分、1日目の目的地の行地到着。ここでは昔役場に勤めていたという阿部さんから、一対で残っている行地の一里塚まで案内していただき、行地の歴史と一里塚について説明いただいた。一里塚は藩からの命により地元住民が作ったとのこと。また、諏訪峠までの道を住民が管理していたことや、医者や坊さんは津川からやって来ていて、街道の宿場として栄えていたこと、新谷までは、町と言えば新発田を指すのに対して、行地では町と言えば津川を指すことなど貴重な話が聞けた。
 2日目は午前8時40分、行地集落から諏訪峠に向けて再出発。昨日確認した一里塚を通り峠に向かってひたすら上る。途中、中の茶屋跡、殿様や吉田松陰も休憩したという殿様街道大ぶなの木で休憩し、午前10時30分諏訪峠に到着。書物によれば難行苦行の諏訪峠越えとなっていたが、予想していたよりは楽な峠越えであった。諏訪峠から津川よりは道路整備がなされており、下りのため足に来るものの歩きやすい。途中、柳田新田では一対の一里塚が残されている。また、旧津川町によって途切れ途切れではあるが旧街道の石畳が保存されており、昔の雰囲気を味わえるのもうれしい。清川高原に11時30分着。

 参加者全員、故障者も出ず無事完歩。今回2日かけて歩いた行程は、昔の1日の行程とのこと。ただ歩いただけだが、思わぬ発見があり、人との出会いがあり、とても充実した2日間だった。