加治要害山 165,6

加治城址(佐々木加治氏本城)

 「加治城は鎌倉時代初頭、越後守護職兼加治荘地頭職 佐々木三郎盛綱により築城され以来、室町時代初めに 至るまで、越後守護代、伊予(愛媛)備前(岡山)守護職佐々木加治氏の本城 として隆盛を誇りましたが、足利将軍家の一族、関東上杉氏の越後入封以来、衰微の一途をたどりました。戦国時代上杉謙信の姉が加治春綱の宮となり、再び隆昌の途についた矢先、上杉謙信公の急死に遭遇、天正八年暮一族五十公野氏の奇襲により落城その後再建、天正十五年(1587)九月七日(旧厂)上杉景勝の攻撃を受け遂に落城  慶長二年(1597)上杉景勝の命により加治氏は断絶 加治城は廃城となりました。」 (新発田市観光協会)