赤谷温泉ホテル

写真、パンフレット、文は「飯豊道」 故 五十嵐篤雄 氏著より

昭和6年(1931)茨城県出身で新潟市在住の高橋松之助という事業家が、現在の東赤谷に豪華な赤谷温泉ホテルを建て、湯ノ平温泉を引湯する計画をたてた。 
古くからスダチ、小岐鉱山があって鉱石運搬用の道が開けていたので赤谷温泉ホテルは間もなく建ったが、難問は引湯である。引湯管は松材のイグリ抜き、にかわ接合木管である。 湯が冷めないためかそれとも他に方法がなかったかはわからないが大変な難工事であったと思う。 どんな設計でその引湯管を敷設したかはわからないが、とにかく難工事は完成し、温泉はホテルまでとどいたが既に冷たくなっていたという説と、途中の湯漏れのため全然こなかったという説がある。
いずれにしても開業するわけにゆかず、翌年の春まで待つことになった。雪消えを待って引湯管の調査に入ったが、雪崩、土砂崩れで見るも無惨な姿に変わり果てていたという。 資本を投じ大宣伝をした後のこと、いまさら温泉は駄目でしたというわけにはいかない窮余の策として、昔から湧き出ていた釜ヶ沢の炭酸泉を引き、薪で湧かし赤谷温泉ホテルは営業を開始した。
昭和16年(1941)戦争が苛烈になるに従い鉄鉱関係が重要度を増し、赤谷温泉ホテル一帯は日鉄鉱山の社宅が建ち並び、国鉄赤谷線に新しい東赤谷駅ができ、その年に赤谷温泉ホテルは九年の歴史を残し取り壊される運命をたどることになる。   
     



温泉パンフレット

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赤谷温泉ホテル

赤谷温泉ホテル

客間

家族風呂&応接間

温泉全景

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