飯豊山の穴堰 山形県大日杉小屋から切合小屋の間の登山道途中 御沢分れから御沢に下り右に行くとあります。寛政11年(1799年) 米沢藩主 上杉鷹山が 家臣 黒井半四郎忠寄に命じ 西の大又沢と東の 白川渓谷とを結ぶ 本抗154mの 領内かんがい用水の確保の為に 15年かけて完成させた穴堰です。 この場所は標高約1500mの位置にあり、大日杉小屋より登山道を約4〜5時間もかかる所です。 これを作った人の苦労が忍ばれます。 「史跡文化財 県指定文化財」
飯豊山の穴堰
山形県大日杉小屋から切合小屋の間の登山道途中 御沢分れから御沢に下り右に行くとあります。寛政11年(1799年) 米沢藩主 上杉鷹山が 家臣 黒井半四郎忠寄に命じ 西の大又沢と東の 白川渓谷とを結ぶ 本抗154mの 領内かんがい用水の確保の為に 15年かけて完成させた穴堰です。 この場所は標高約1500mの位置にあり、大日杉小屋より登山道を約4〜5時間もかかる所です。 これを作った人の苦労が忍ばれます。 「史跡文化財 県指定文化財」