月心清水にある月心地蔵(がっしんじぞう)

由来 : 猪俣次郎の家は豊実村実川集落の農家で育った、15才の時石川県能登の曹洞宗総持院で修行して僧侶となり、法名は月心といっていた。
そして馬取村宝来禅寺の分家である実川の山渓寺を管理していた。 月心は昭和25年飯豊連峰が国立公園の指定を受け、オンベ松尾根新道の伐開時
には先頭に立って労を厭わず、1ヶ月近くも山に入り伐開作業をおこなった。昭和27年実川で流され事故により亡くなる。 藤島玄さんが飯豊の開拓に
尽力した猪俣次郎の功績を後世に残すためにオンベ松尾根新道を次郎新道と命名した。 次郎の3回忌に依頼により新発田の佐久間石材店の制作
で次郎の写真顔に似せた旅立ち姿ので月心地蔵を標高1050mの地点、伐開時に次郎が発見した水場に月心清水と命名してその分岐に月心地蔵を
まつった。