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ある患者の病歴-2


 私のジスキネジアは長い歳月をかけて、すこしずつ少しずつ薬の量を増やした結果でした。今はドーパ剤、ネオドパストン100を7錠で、敢えて「無動」の世界を選択 しております。一番多いときはこれが12錠でした。ネオドパストン100の他は通常、一日の薬の量の限界とされている中に収まっているのですが、この薬だけはどうしても抑えきれず12錠までになったのでした。

 この病気は家族は勿論、会社の方でも知っており、一朝一夕にしてなったものではありません。若年性の特徴でしょうがドーパが良く効くのです。時間が極端に短くなりましたが、今も良く効きます。一時期、まるで「スーパーマン」になったかのように健常者と同様の仕事、いやそれ以上に仕事をこなしていったのでした。不思議なものでその時でも震えながら、足を引きずりながらやっていても、私も含めて周囲の者皆が、大丈夫、この状態が何時までも続くと思っていたのです。深夜まで働けば、当然薬は増えて12錠になりました。

 ドーパによる一時的な時期であることは判っていても、破綻が訪れるまで止められなかったのです。若くして妻も子どももあるものが、この病気を宣告されとき、これから先、「どのように生きていけばいいのか?????????」。人間、一生のうち飛躍のチャンスどれほどあるか判りませんが、私は逃したくなかった−−−−−−−−。

 日本では若年性のものに医療以外、社会的に何の保障もありません。破綻の原因!!波動的に襲ってくるジスキネジアに耐えられなかったのです。頑丈な靴が、ひもは1か月で切れ本体も数か月も持たず、両足の足指は内出血で真っ黒となり、壊死して生え替わり、身体の破綻が来たのでした。このようなある程度は止む無しとする予期されたジスキネジア、現在の私は望みません。(ゴ)


 良く聞くことばで「人生は一度しかない」後戻りはできないんです。手の先ちょっの爪は生え替わりますが、手そのものは生え替わりません。当たり前の事ですが自分の脳に外科的に手を入れるという事は、今の私に戻れなくなる危険性があります。

 しかし、私の人生はまだ半分しか終わっていません。百歳までは生きようと思っています。わたしはこれから、新たな道を行こうとしてます。決して余生とは思いません。こんな現在の私には、正常に動ける時間が少しですが、あります。この正常に動ける僅かな時間さえも無くなる危険が、外科的なものにはあると認識しています。したがって百パーセント安全でない限り、今の状態を捨てて、危険率が高いものには 、進んで取り組もうとは思いません。(ゴ)